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雑記 2024.4.21早朝

毎日が目まぐるしくて、心が感じていることを細かく捉えて言葉にするのが全く追いつかない。

この数年、つらつらと長文で日々を綴るのは、「まつかな食堂」という名前のクローズドなファンクラブ内だけにしていた。"松本佳奈に興味がある人にだけ文章が届く"のがいい。
興味がない人に興味を持ってもらうために書くのは全く別物だ。

歌うこともまた然りで、ワンマンライブの気楽さは「全員が私の歌を聴きにきている」というところにある。

SNSはとにかく範囲が広すぎて、全方向傷つけないように気を遣って書こうとすると(そもそもそんなこと不可能なのだけど)結局当たり障りのない、事実を並べただけの投稿になりがちなのが小さなストレス。だったら発信なんかしないほうがいい。

小さな頃から、正直な自分の気持ちを話しちゃダメ!な場面に置かれるたびに、いちいちまろやかな言い換えを考えたり結果的に嘘をつくことになるのが本当に耐え難くて、人と関わることは苦手だ。大勢がいる場も苦手だ。(大勢っていうのは、4人以上)
大人になって、浮かんだ言葉や感じた気持ちをそのまま口に出しても笑って話せる人とぽつぽつ出会うようになってすごく救われている。海外で日本語が通じる人に出会う気持ちに似ているかもしれない。おー!あなたもでしたか!

私の母や祖母は非常に傷つきやすく難しい人たちで、私が自分の気持ちを話すと「そうじゃないでしょ、そんなこと思っちゃダメでしょ」と、彼らが思う"正しい方向"へ導こうとするので、私は自分の本当の気持ちに蓋をして、家族が求める娘像を察して演じていた。

"正義"

今もついつい人と接する時に、相手が言ってほしい言葉を探そうとしてしまう。自分の気持ちを後ろに後ろに押しやって、「他人のための自分」で接してしまう。それをもうやめる。

これだけ価値観もバックグラウンドも違う人たちがごった煮のように同じ社会で生きているんだもの。

こちらは対等な気持ちで接していても、相手はそうじゃない場合がある。親子関係は特にわかりやすい。
上からものを言う人の標的になりやすいのはおそらく身長が低くて童顔で優しくてニコニコ話を聞いてくれる印象があるからだと思っているのだけど、「他人のための自分」であろうとする匂いを敏感に察して近付いてきているのもあるかもしれない。こいつには上から物を言っても反抗してこないだろうと。

私に必要なのは強そうな見た目とデカい声。

同じ目線で話す「対話」はウェルカム。上から物を言いたいだけ・自分の正義を認めてほしいだけの人はカウンセリングを受けて自分の内面と対峙してから出直してこい。10日間くらい山に篭れよ。

他人を見るな、自分を見ろ。

本が好きだけど一冊読み切ることは少ない。ぱらっとめくって何行か読んで、そこに「読める部分」を探す。それは頑張って読もうとしなくてもスッと入ってくる文のことだ。同じ本を読んでいても読める部分はその時々で変わる。
日々の答え合わせのような気持ちでそれを読む。

同じように、耳に入ってくる音、匂い、手触り、まぶしさ。心がわずかに動く瞬間を無視しない。「気になる」「引っ掛かる」小さな感覚の端っこを掴んで手繰り寄せる。
それに何の意味があるのか?
お金になるのか?
なりません。意味もありません。
自分が自分であるためにやるだけ。
感覚を無視して生き続けるなら機械と一緒だろ。効率よく仕事するためだけに生きるならもう私は人間じゃなくていいだろうがよ。


2024.4.21

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