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本気のマグカップ

 モーニングルーティン。直訳すると朝の慣例。朝起きて、お水を飲む。冬場は寒いので白湯を飲む。それからコーヒーを淹れる。いい感じです。出来上がった淹れたてのコーヒーを、カップに入れる…その前に。棚に並ぶカップと真剣に会話する。怪しいでしょうか。怪しい感じです。
 これは、私が幼児の子育てから卒業した頃に始まった、毎朝のルーティンです。

「毎朝好きなカップを選びます」と言うと優雅に聞こえますが、ことはもっと重大、且つ本気です。
 器好きの夫が集めてきたもの、私がごく稀に買ってくるもの、本来は湯呑みのもの…うちの棚には20個くらいは「カップ」と呼べるものが並んでいます。
 その中に自分のお気に入りは4つか5つくらい。その4つ5つの中から、今日の気分はどれなのか、側から見ると笑われそうなくらい真剣に選びます。自分の気分を確かめる。
 ずっと続けているので、今は0.2秒くらいで決められます。忙しい時やしんどい時は大体コレ、というカップもあり、自分の体調や心の余裕の具合もカップで計れます。

 なぜこんなことを始めたかというと、乳幼児の子育てが落ち着いた頃、私は私の本当の「欲」がわからなくなっていることに気がついたからです。

 食べ物は「子どもが食べやすいもの」、お出かけは「子どもを受け入れてくれるところ」、着るものは「授乳や公園遊びの邪魔にならないもの」、気がつけば何もかも外側の指針に従っていました。
 子育ては幸福なことが山のようにあります。しかし、同じくらいに山のような「諦め」が付いてきます。はじめは抵抗しても、だんだんとガッカリしたり腹が立ったりするのに疲れてきて、「いいよいいよ、私のことは」という風に諦め上手になっていきます。

 そうやって何年も過ごしているうちに、自分は何を食べたいのか、どこに行きたいのか、なにが欲しいのか、分からなくなってしまった。そのことに気がついた時は結構衝撃を受けました。ですが子育てに関係なく、そういうことは往々にしてあるような気もします。

 それで、誰に言われるでもなく、なんとなーく始めたのが「真剣カップ選び」だったのです。本気の真剣です。妥協してはいけない。
 同じ形のカップを何色か揃えても良いし、そうでなくてもお気に入りを最低3つは揃えると良いと思います。そして今日はどれだ?と、言葉ではなく感覚で問いかけます。理由は入りません。むしろ無い方がいい。
 その言語化できない本当の欲が、直感や第六感と呼ばれるものに近いのではないか、と勝手に踏んでいます。

 これを続けていると、だんだん他のことにも波及していきます。
 風呂上がりに選ぶパンツ、朝着替える洋服、ふと口にする飲み物、
 読みたい本、聴きたいラジオ、選びたい道。
 もしよければお試しください。優雅にやらないで、本気でどうぞ。


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