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正しくて温かいネオ菅波『おかえりモネ』第20週

りょーちんの「きれいごとにしか聞こえないわ。」にしびれました。
このドラマは、ここまできちんと踏み込んでくれるのかと。

何をもって“きれいごと”とするかの分かりやすい補助線は、「絆」という無闇にポジティブに染め上げられてしまった言葉の、“呪縛”としての側面と向き合っているかどうかだと言えると思います。

絆に縛り付けられているのは、りょーちんとみーちゃん。みーちゃんは自分の意思で地元を離れないことを選び取ったのですが、そこに、二人姉妹のどちらかは実家を守った方が良いだろうという思いがあったはずです。さすが令和のドラマだけあって、「このままだと永浦家が途絶えてしまう。」なんてセリフもそぶりも皆無ですが、昭和なら確実に、平成でもかなり高い割合で、主人公が二人姉妹の時点で婿養子騒動が描かれます。フィクション全般がポリコレ問題で急速にクリーンになった一方で、現実はまだまだドロドロしています。

さすがにイマドキ婿養子うんぬんは、現実の地域社会も脱却しているところが多いとしても、それなりの設備投資をしてのれんを育ててきた牡蠣養殖という家業を、誰かが継いだ方が一族全体で見るとハッピーになれるのでは?という計算というか使命感がみーちゃんにはあったと思うのです。

“他の選択肢は、とても選べない、選ばせてもらえない状況”だと言い換えても良いかもしれません。中世ではないので、いろいろ切り捨てれば、他の選択肢ももちろん選べるわけですが、心優しいりょーちんとみーちゃんは、どうしても切り捨てられないわけです。自分で選び取ったことにされてしまうのは、余計にたちが悪いかもしれません。

そんな鎖の太さという土俵で勝負しようとしているようにも見えるモネ。

地元に居なかった時間の分の鎖を、モネが自分で自分にぐるぐる巻き付けているように見える文脈だったので、そんな文脈に重なるようにして出てきた菅波先生の
「自分の居なかった時間を埋めるのは、しんどいけど、案外、面白い。」
という言葉の意味がすぐには分からなくて、ずっとずっと考えていました。

たどり着いたのは、菅波先生のこの言葉は、モネとはまったく違う土俵での言葉だという結論です。大学病院の職場にもそれなりにしがらみはあると思いますが、今の菅波先生にとって、しがみつかなきゃいけない選択肢というわけでもありません。この言葉は、もっとひたすらポジティブな、
「一度捨てたつもりだった専門分野だから、後れを取り戻すのは大変だけど、地域医療と真剣に向き合ってきたおかげで培うことができた力もあるし、それが総合力を高めてくれていた手応えも大きいし、これって結果的に専門分野も地域医療分野も最前線までいける欲張りモード?オラ、ワクワクすっぞ!」
という言葉だと思うのです。そりゃあ勉強は大変ですけど、ほら、僕たち勉強嫌いじゃないので。

そして、モネが土俵に乗ってしまった鎖の太さ勝負、選択肢がないこと自慢大会の哀しみを、正しくて温かいネオ菅波が溶かしていくのだと思うのです。

地元をひたすら守り続けてくれるりょーちんやみーちゃんのような存在はありがたいです。しかし、すっかり成長して、鎖が結びつけられている杭ごと引っぱって新しいあり方を目指すこともできる力すら身についているのです。ゴールの方を動かしてしまえば良いのです。菅モネはゴールの方をしょっちゅう動かしています。結婚“する”“しない”という選択を迫られる中で、“保留”という形でゴールを動かしてしまいました。

そのことに気づけずに、自分でも哀しいと思っている鎖の太さ自慢ばかりしてしまうのは、やっぱり哀しすぎます。もっと欲張って良いのです。その選択肢が捨てられないなら、他の選択肢“も”一緒に選べば良いのです。

それは強者の理論ではあるのですが、そういうときこそ、仲間の“絆”をしたたかに生かしていけば、どうにか乗り越えられるはず!

ネオりょーちん、ネオみーちゃん爆誕の日を楽しみにしています。ネオりょーちんに生まれ変わった時、いつもどこか哀しい目からの変化を永瀬廉さんがどのように演じるのか、今から楽しみです。

なんてことをつづっているうちに、「ただいま」「おかえり」の場所は、別に一つじゃなくてもいいことに気付けました。そう言えば、私も転勤族なので、そこら中に「ただいま」「おかえり」の場所がありますし。

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