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セレブのいない国の寄付文化

毒にも薬にもならず、何にもならないことも考えてみよう。

米国の27歳の若者が難病の友人のために氷水をかぶるか100ドルを寄付するかを選ぶという運動を始めた。そしてチェーンメールのごとく知り合い3人に同じ選択をするように促す。アメリカでは著名人セレブたちの間であっという間に広がって…というか、著名人でセレブなので広がった。みんな嬉々として氷水をかぶり、もちろん寄付も忘れない。

あまり世間には知られていないが、現実にこの病気で苦しんでいる人がいることの啓蒙も拡散され、援助と治療法の研究のための募金も集まっている。

水をかぶるセレブたちの動画は、ネットを介して拡散され、そして日本にもやってきた。このゲームの仲間に指定されることは誇りだろう。短絡的に欧米セレブの仲間として認められたということだ。セレブのことは良く知らないけれど、世界一の大金持ちであるビル・ゲイツもかぶっていたからね、氷水。

しかし持つものが持たないものへ、日常的に寄付やチャリティを行っている欧米と違って、ここは日本である。無理だろう、絶対に。そもそもセレブという立ち位置がないし、寄付やチャリティの習慣もない。

Twitterのタイムラインを眺めていると、拒絶する人たちが何人もいて、それは全員男性だった。

日本の男性は、一般にホモソーシャルの気があって(気があるだけで、そうだというわけではない)責任の分担を分かち合うことがとてもうまくできる。誰かの仕事の失敗も、ひとりで負うことはめずらしく、仕方ないなあと知恵と力を出し合って集団としてのへこみを修復するというやり方をする。話は飛ぶけれど、離婚して妻の方に引き取られていった我が子に対して、養育費を払わなかったり、踏み倒すというのは、村社会や江戸の長屋の夜這い文化から培った、誰の子かよくわかんないから、余裕のあるもので適当に育てておけばよいというような集団での責任意識が働く分、個人の責任意識が弱いのかもと勘繰ったりもする。自分のまわりに観察にしか過ぎないが、母親たちよりも、父親たちの方が、そこらにいる子どもたちに分け隔てのなく相手しているような感覚がある。群として見ているというか。単なるざっくりとした傾向だから、もちろん全員ではないよ。

で、この所詮セレブたちの社会的責任を果たすという自己顕示欲にお任せした啓蒙と募金に、拒絶反応を示している男性たちの言い分は、このシステムがチェーンメールとか、ネズミ算とか、つまり公衆道徳に外れた卑劣で失礼なやり口であるということだ。「自分の知り合い3人を指名する」というのが、ひっかかるらしい。

でもこれは、嫌なら嫌です、で自分のところで止めてしまって良いのではないの?だってこれ、余裕のある人の世界の話でしょ?氷水なんてかぶるのごめんだし、(よく知らないその病気に対して)寄付する余裕も自分にはない。そう思ったのなら「ヤダ」で終われば済むのです。だって「寄付」だから。ノリが悪いとか、せっかくここまで続いたのに空気読めよ、という攻撃もあるかもしれない。ないとはいえない。でも、だから?と、止められないのは何故なんだろう。そしてやりたいやつには勝手にやらせておけばいいと寛容できないのは何故なんだろう。

別の仕事をしながら、考えていたのだけど、それはやっぱりこの世界で起こっている、なんらかの不幸に対しては、自分も加わらなくては!というホモソーシャル的な責任感なんだよね。自分の分の責任を果たしたいという想いが、あるべき正しい寄付のシステムでなければ、認められないと拒絶につながっている。

日本は一応、総中流という意識なので、もちろんどこからどこまでがセレブで著名人という線引きもない。こういうイベントにおいては、セレブ側にいたいと思う人は氷水をかぶり寄付をするし、そちら側ではないと思えば無視するか辞退するか、せめてその難病がどういうものかくらいは調べたり、100ドルではなく1ドルくらいは寄付するかもしれないし、しないかもしれない。こんなことやっているんだ!とセレブたちの自己顕示欲に加勢するためにネットの動画のアクセスカウンタをまわすこともしたりしなかったりだろう。どちらにしろ、どんな有名人著名人お金持ちだったとしても、自分が氷水をかぶったところで、そこに価値があるかないかは自分で決めて、他者にジャッジしてもらうしかない。そして多くの人は、自分にその価値はないとわかっているし、勘違いして、氷水をかぶったとしても、それは特に大きな問題にはならないと思う。

私は基本、性善説なので、やりたいやつが勝手にやってある程度、難病の知識は啓蒙されて、そこそこ寄付金は集まり、そのうち収束して、みんな忘れるからどうでもいい、と思っている。

しかし何人かの、責任感の強い男性たちが、これってチェーンメールだし、本来自主的であるはずの寄付が強要になる恐れがあるからNGでは、とか氷水かぶるのなんてクソもおもしろくない(権威あるセレブとか著名人でないとおもしろくないです、そこがキモなんだけどな。ちなみにビル・ゲイツは自分で自動かぶり器を設計してかぶっていて、アホらしくてよかったです)とか心配しているんですよね。

というところで、武井荘さんという漢が颯爽と「やだ!」といっていて、しびれました。氷水はかぶらない、寄付はもっといろんな寄付が必要なところを自分で勉強して調べて、自分の意志で選択していく」ときっぱり。

3人のうちのひとりに指名されても、ヤダ!っていえばいい。こういう人がある程度の人数いないと、「空気読め」の強制寄付地獄になってしまう可能性も、それはありますね、日本だから。

今回のシステムが秀逸だったのが、セレブに指名されることで、自分もセレブという気分の良さを利用してあるべきところから足りないところにお金がちゃんと集まったということです。寄付文化というのはそういうもので、心意気を見せつける、日本でいうとお祭りの提灯に名前が書かれるとか、そんなアレです。だから心意気なんか見せる余裕ナイヨ、という寄付をしない人の自由を守れなければ、せっかくの心意気も意味を見いだせなくなる。そのためには、同調圧力の日本では、セレブとセレブの波打ち際にいる人は、「ヤダ!」という係りが絶対に必要なのです。

今後、日本も貧富の差が顕著になり、よくわからない利権で一部の私腹を肥やすより寄付で減税して、効率よく自分の求める社会に貢献したいという形になってくると思います。欧米のざっくりしたバカ騒ぎチックなやり方は、日本にはなじまないのねーと思う一節でした。

そーれーにーしーてーもー、東北の災害のときの寄付金、ほんとにうまく使えていないんだねえ。まだ仮設住まいの人がたくさんいるってどういうことなんだろう。税金もそうだけど、連帯責任方式で集めるのうまいけど、使うのがほんっとに下手だよね。


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