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別荘の夜

 別荘というのは昼間は良いが夜になるとあたりは暗いし人も通らないので怖いところである。
 魚政の常連さんで地元の顔役Aさんは魚政の大事なお客さんである。この顔役さんがいつも世話になっているからという口実で実は新築の別荘をどうでも自慢したくて祐さんに是非一度来てくれという話になった。
 祐さんは手ぶらで人を訪ねない人だから、当日はトロ箱に特上のお刺身をしこたま詰め込んで夕方東京を出発した。目的地の駅でタクシーを拾う頃には薄暗くなっていて山道を車が走っているうちに鼻をつままれても分からないような漆黒の闇となっていた。
 なんの疑いもなくタクシーを乗り捨てて目指す建物の玄関に立った祐さんが手探りで探し当てたベルを押したところなんの応答もないのだ。             押せど開かず叫べど声もなしで狐につままれた祐さんもそこでやっと日にちを間違えたことに気がついた。
 仕方がないから帰るしかないと思ったがタクシーも帰してしまったことだし、家の中には入れないので、近くの家で電話をかりて車を呼ぶことにした。ところがなにしろ真っ暗闇の中で近くといっても季節はずれだったこともありすぐ隣というわけには行かない。明かりのついている家に辿り着くまでが大変である。トロ箱を担いで闇の中を手探り足探りで歩いているうちに石ころにけつまづいて転がってしまった後は四つん這いで明かりを目指して死に物狂いで進んでいった。途中崖から落っこちそうになったり、木の枝で頭を叩かれたりしながらやっと目指す家にたどり着きベルを押した。
 ところが当然のことながら夜更けに人里離れた別荘に人が訪ねてくるなどというのはロクなことではないから家の人はなかなか出てこない。こっちも必死だからドアをドンドン叩いていたらやっとドアがすこし空いておそるおそる表の様子を窺がう。祐さんの格好はと見れば、長靴を履いて大きなトロ箱を背負い、体中ドロだらけ、手足から血が流れているという有様だから別荘の主はあわててドアを閉めてしまう。祐さんのほうはここを先途と大声で難儀をしているので車を呼びたいから電話を貸して欲しいと何度も嘆願したので、やっと家人も家の中には入れないが電話をしてあげようということになりなんとか光明が見えてきた。
 やがてタクシーが来たがすでに十時過ぎで終電も出てしまっていて東京に帰ることも出来ない。安宿に泊まるくらいなら朝まで飲んでいようと思い駅前のバーに飛び込んだ。流石に飲み屋の女将は話のわかった人で祐さんの話を聞いているうちに、丁度明朝早く娘が東京に車で行くので一緒に乗せていってあげようということになった。
 このあたりが祐さんという人の人柄というか運の強さというか、あるいは悪かったというか、議論の分かれるところであるが兎に角朝四時出発で娘さんが亀戸まで送ってもらいやっと店に辿り着いたのである。
 祐さん曰く「あの女将には世話になったけど、早く厄介払いしたかったんじゃねえのかな」
「俺はあそこの店で五万円払ってやった上に上等の刺身をトロ箱いっぱい置いてきたんだからあっちは大儲けよ」


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