小説 天気の子
「ヤバい」
この一言に尽きる。
登場人物や描写が全部広がる。
あとがきで新海誠監督が 「映画版と小説版について、基本的に同じものである。」と仰っていますが、やっぱり映画に無い描写が多いです。
映画では穂高と陽菜、須賀さんの視点・描写が多く展開されましたが、小説では (さらに深く)須賀さん、夏美の視点・描写が加わり、より一層ストーリーに深みが出たように感じます。
何より私は現在就活生ですから夏美の気持ちはよく分かるんですよね。
カッコいい大人になりたい
穂高と出会うまで夏美は 「大人になりたくない」 と思い、親や大学、社会の常識に抗っていました。
けどそれがダサいと気が付いている。
そして東京の見る物全てに無邪気な穂高と出会い、夏美は心地よさを感じるようになります。
最終的には穂高と陽菜、二人にカッコいいと思ってもらえるような大人になるという目標ができ、前を向きました。
賛否両論の声
「天気の子」 は "常識人が見ると不評" と一部で言われております。
「なにかの犠牲の上じゃないと生きられないくせに」
穂高のこの言葉は多くの常識人を敵に回しました。
これを現実の誰かが言ったら本当に炎上しますね(笑)
しかし、終章で穂高が親や学校、社会に優しくなれたのは 「一度抗ったから」 だと感じます。
僕は常識人より穂高のように優しくなりたいと思いました。
最後に…
今回はネタバレなど気にせず書いたので
作品をこれから楽しみにされている方がいて
不快にさせてしまったらごめんなさい。
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