わたしはレイシスト?

唐突に

今日でトロントに来て、ちょうど3か月。
記念すべき3か月であり、儚く終わった3か月であり、人生で考えるとそれなりに実りの多い3か月である。

今日はその3か月での気づきを少しだけ綴ろうと思う。

その前に
なぜ私は現在トロントにいるのか、何をしているのか、何歳、何者、なぜ今こうして3年越し唐突にnoteを書き始めたのか、、、
きっとあとでわかると思う。たぶんそのうち記事にします。

とりあえず、今回はどうしても書きたかったことだけ。
インスタのストーリーに載せる感覚で書きます。


だからあなたも読むときは、友達の友達の知り合いあたりのインスタのハイライトを流し見る感覚で。


隠れレイシスト

結論からいってしまう私の悪い癖を露呈するようだけれど
結論からいうと、わたしこの3か月で
自分の中に''隠れレイシスト(人種差別主義)''が存在するということが、判明してしまった。

トロントにいたら、人は誰も何も気にしない。本当に全く。
どんな服、どんな髪型、どんな色、どんな体型。

みんなそれぞれ自分の文化で、自分の好みで、いいと思ったもの、取り入れようと思ったものを取り入れている。

この土地で、私は、やっと自由に生きられると思った。
年齢や人の目を気にせず
自分が自分のために、美しくなろうとすることができると。

そんなわたしは、
ブロンドヘアにして髪を巻き
ロングネイルをして
ロングブーツにショーパン
丈の短いトップス
濃いアイメイクに赤リップ
小さい鞄。

ずっと憧れを抱いていたファッションを身にまとい
鏡に映った自分を見て、ああ、遂にわたしは完璧な自分になれたと思った。
これこそ私だ、と。

でも
ある日気づいてしまったのだ。

友達が撮ってくれた写真で自分の姿をみると
あの日鏡で見た完璧な自分なんてどこにもいなくて。
そこにいるのは
頑張ってブロンドガールになりきろうとする、醜いアジアン。

低い鼻
平べったい顔
小さい目
えらのはった輪郭
短い脚

自分にできることは全部したのに
努力ではどうにもならない自分の醜さの現実を感じてしまった。

つまり私は
インスタのおすすめに出てくるような白人ティーンズが、私の絶対的な「美」の基準で、アジア人は美しくないと心のどこかでひそかにずっと思っていたのだ。


恋愛する中で明確に

実はこの3か月の間に
カナダ人guyとそれなりにちょっと親密になっていた。
しかし関係は、年を越さずに終わった。

理由はいろいろあるのだけれど
きっと、私自身の'隠れレイシスト'的な部分が大きかったのだと思う。

彼と会うたびに、なぜこの人は
金髪美女じゃなくてわたしのような醜いアジアンを選ぶのだろう?
アジアンが性癖なのだろうか?
それともアジアンを試してみたかっただけ?
もしBarで金髪美女に出会ったら、きっとそっちにいくだろうなあ。

といったように
私自身が、自分のアイデンティティであるアジアン要素を自分の中で認め、自分の生まれ持った美しさを受け入れることができていなかったのである。
そしてそれは現在進行形である。

恋愛をするときに一番大事なことは
自分自身を愛すること。自分に自信をもつこと。
よくそういわれている。

わたしは間違いなく、自分が生粋のアジアンであることに劣等感を感じ、ブロンドヘアの白人ガールが絶対的に美しいと感じてしまっている。

そもそも人種で人間を比較することこそが間違いで、それがレイシストの発想であることは百も承知である。

それなのに’隠れレイシスト’的な自分は、アジアンの美しさを見出せず、
ブロンドガールになれないという現実と、自分のアイデンティティを受け入れられず、本当の自分を愛することができていない。
当然自信なんてもてるはずがない。


日本にいたら感じることのなかった、人種のアイデンティティ。

トロントにいたら、何者にもならなくていい。
ただ自分の好きな自分でいればいいとおもっていたのに。
皮肉にも、自分の憧れるものは自分にはないもので、どうあがいてもそれを手に入れることはできないし、それになることはできないのだった。


リスペクトという名の開き直り

ここまで来たらもう、レイシストを超えてリスペクトとするほうがいいのではないかと思えているのが最近である。

見た目の美しさを基準に判断し、それに優劣をつけているからレイシストと捉えられるのであって

日本人としての自分のアイデンティティを一度横におき
見た目だけなく、彼らの文化、考え方、生き方を知り、愛し、
彼らの文化を憑依させてこの土地で生きていこうとするのなら
それはレイシストではなく、完全にリスペクトだと思う。

ということは、わたしの’隠れレイシスト’的な自分は、リスペクトへの成長過程だといいかえることができるのでは???などとばかばかしく開き直っていたりしている。

というか、相手へのリスペクトのきっかけなんて、なんでもいいと思う。

ただその国が好きだから、友達やパートナーが○○人だったから、スポーツ、歴史、芸能人

ただ単純に好きでその人たちを知ろうとしているだけなのだから、そこにレイシストだなんだ優劣だ何だと考えるほうが考えすぎだ。


レイシストとどう向き合うか

レイシスト的な考え方をもってしまうのは仕方がないことだと感じる。
トロントのような多人種の土地にいても、「インド人は~」とか「アジアンは~」とか、そういう会話をたまに耳にするし
往々にして、悪意なく会話のネタになっていることがほとんどだと思う。
受け手が勝手に悪意を過剰に感じ取ってしまうだけで。


きっと、なくそうと思って簡単になくせるものではない。
そもそも、レイシスト的な考えがまったくもって0%の人なんてこの世にいるのかな。


わたしの個人的な意見としては
レイシスト的な考えによって、相手や周りの人、そして自分自身を傷つけなければ、心の中でもっている分には仕方がないことだと思う。
比較して優劣つけてしまうことは、人間の本能だ。

ただしそれを外の世界に表出したり、
人種や美しさなどという一面的なものさしだけで誰かを判断したりしたら、それは確実にレイシストだ。

そして私は今、間違いなく自分自身のレイシスト的な思考によって自分を傷つけてしまっている。

もっと自分自身を、アジアンを、そしてカナディアンを、
多面的に捉え、色んな側面から知っていくこと。

結局はありきたりな常套句になってしまうのだけれど
そういうことを、生活の中で実質的に体現し、自分の中に落とし込んでいければいいなと思う。

わたしはレイシストじゃないと、胸を張って言えるように。


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