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最大限の感謝と、アバターについて

まずはじめに、この文章を読んでいただいている方々に、最大限の感謝を。

人生がまた変わった

こちらの企画に参加しないかと話を持ちかけられた際、正直なところ、
「本当に読んでもらえるのだろうか・・・?」
という疑念を拭えないでいた。
とても魅力的なメンバーが集い、その中で知名度のないほとんど一般人の私の文章が読まれるなんて、想像だにできなかった。

しかし、現在、私の予想外に沢山の方々に読んでいただいている。

そして、スキボタンを押していただき、あまつさえフォローまでしていただけている。

本当に、本当にありがとうございます!!!!!!
それだけで、私の人生はまた変ったように思います!!!!!!!

生きる糧

私の書いた拙文に、コメントもいただけた。
それを読み返す度に、とてつもない元気が湧いてくる。
これが人の生きる糧になるのかと、改めて学んだ気がする。
それだけで、この企画に参加してよかったと心から思えるのである。

企画を持ちかけていただいたはれのそら氏、そして同じく企画立案者のふしめろ氏にも足を向けて眠れないほどに感謝をしている。


「まつりぴ」というアバター

感謝だけをつらつら書いていても、読む側も楽しくないと思ったので、ここで私のアバターについてと、私なりの「アバター論」というものを書き残そうと思う。

そもそも私が現在使っている「まつりぴ」というアバターは、10年近く前に誕生した。
生まれおちた場所は、その当時流行していたさまざまなSNSの中でだ。
その時はもっと長ったらしい名前ではあったのだが、存在としては現在とほとんど変わらない在りようであった。

私の偽物である。

私の思う「アバター」

アバターとは
《化身 (けしん) の意》コンピューターネットワーク上の仮想的な空間において、自分の分身として表示されるキャラクターのこと。
出典:デジタル大辞泉(小学館)

「分身」という言葉は言いえて妙だと思う。
つまり表示上(見た目)以外は自分と変わらないということだ。

しかし、私の中での「アバター」とは、偽物なのである。

私とまつりぴは、表示上の違いもあるが、物の見方や考え方、しゃべり方までまるっきり違う。
まつりぴでは、配信でも緊張せずにペラペラしゃべり、色々な方々と交流をし、リアルのイベントまでこなしてしまう。
一方の私は、そもそも人と話すことが極端に苦手であり、無口で無表情で、基本目を閉じて生活をしている。目に入ってくる情報を極力避けたいからだ。

そんなまつりぴは、わたしにとっての分身なのだろうか。

ここで私は、「アバター」とは個人を覆い隠すための「偽物」だと定義したい。

偽物は悪いものではない

「偽物」という言葉の響きは、必ずしもよいものではない。
しかし、自分の在り方としての「偽物」は、決して悪いものではないと考えている。
弱い私のために用意された「偽物」は、現在も私を生かしてくれている。
「偽物」だからといって、今まで生きてきたことや書き記したもの、話した内容は全て「本物」である。
嘘から出た真、ではないのだが、10年も生きていると「偽物」は本物と何一つ変わらなくなる。

いや、本物の私と取って代わって生きているのだ。

終わりに

長々と書いてしまったと今になって気付いたので、今回はこの辺りで〆させていただこうと思う。
今回の続きも含め、まつりぴと私の生き方であったり、その他のこともまたつらつらと書いていこうと考えている。
その際も、少しでも読んでいただいて、感想や批評などをいただけると幸いである。

ここまで読んでいただいた皆様に、最大限の感謝を。

私自身に何かしらの魅力を感じて頂けたなら、よろしくおねがいします!!