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ノアの箱舟、バベルの塔、国立競技場、コロナウイルス

ゴールデンウィーク初日。
今日から妻の実家に帰省して98歳の妻のおばあちゃんの誕生日祝いをする予定だったのだけれど、昨日から喉が強烈に痛くて病院で検査を受けるとコロナ陽性。ということで旅行をキャンセルして家でしばらく謹慎することになった。私は正月とかゴールデンウィークのタイミングを見計らって体調を崩す。仕事に影響がないタイミングで病気になるサラリーマンの鑑。でもワークライフバランス的には時代遅れなのだろう。

プロジェクトが佳境に入りつつあり、メンバーも50人を超えた。本社に増員を繰り返しお願いしているなかでようやく東京からバリバリの中堅スタッフが合流してくれることになり、先日顔合わせを兼ねて懇親会(と言う名の社内接待)を企画した。

懇親会場は札幌の中島公園という大きな公園の脇にある「北の海鮮炙り ノアの箱舟」というお店。ノアの箱舟というのは建物の名称で、かなり見た目が特徴的な建物だ。ノアの箱舟の中で魚や肉をあぶって食べる、悪い冗談のようなお店だ(おいしかったけれど)。

設計したのはナイジェルコーツというイギリスの建築家。noteで紹介しているページがあったのでリンク。

ナイジェルコーツは最初の新国立競技場案で知られるザハハディドと同じように計画が奇抜すぎてコストや技術上の理由で実際は建築されない「アンビルド」の建築家として知られていたけれど、バブルのころの日本はそんなアンビルドの作家の建物を実際に作ってしまう乱暴な勢いがあったようで、東京や札幌にナイジェル・コーツの建物が残っている。一つ前のnoteで紹介したニトリ美術館は元々旧拓銀小樽支店だった建物をホテルに改装し、その後に美術館に再改装されたのだけれど、ホテルに改装した時のデザイナーもナイジェル・コーツだ。彼らにとってお金と理解のあるバブル日本のクライアントはありがたい存在だったろうと思う。

ちなみに「ノアの箱舟」の斜め向かいのビルの中に昔あった「北倶楽部ムーンスーン」というレストランの内装はザハ・ハディドのデザインで、これがアンビルドの女王が初めて実空間に立ち上げた仕事だったのだけれど、残念ながら今は内装を改修されてしまっている。彼女のその後の活躍を考えるととてももったいないことをしたと思うけれど、アンビルドの女王らしいのかもしれない。以下のページに当時の写真が残っている。


とんでもない形をしていた代々木の新国立競技場案も結局実現に至らず、千駄ヶ谷の駅の前に立つと、日本人建築家の味気ない競技場が私たちを迎えてくれる。ザハ・ハディドの新国立競技場を見てみたかった気もする。当時は3000億円もかかるということで日本人らしい、国民総出でのバッシングが起こり(日本人はなぜ、みんなが同じようにバッシングするのだろう)あえなく白紙撤回・アンビルドとなった。

以下リンクは、ザハ・ハディドのコンペのプレゼンテーションボード。


ここから少し離れた代々木公園に1964年の東京オリンピック会場である丹下健三の代々木競技場がある。

丹下健三の競技場はすでに歴史的建造物の雰囲気がある。2021年に国の重要文化財に指定され、将来的には世界遺産登録を見据えている。当時も予算を大幅に超過して建設が危ぶまれる中で、設計者の丹下健三が当時の大蔵大臣に直談判して「金はなんとかするから、恥ずかしい建物はつくりなさんな」と言われて建設にこぎつけたというエピソードが残っている。当時の大蔵大臣は田中角栄。

丹下の案を実現させた日本と、ザハの案を白紙撤回した日本。私たちは丹下健三が作った夢のオリンピックスタジアムを作っていたころの日本でもなく、ザハの未来的なスタジアムを建設した日本でもない、そんな国で生きている。

ザハ・ハディドのスタジアムが実現した「もう一つの日本」を舞台にしたのが、九段理恵の芥川賞受賞作「東京都同情塔」だ。国民がヒステリックな偏狭さを見せる今の日本と逆の、ザハ・ハディドのスタジアムを建設した寛容さが優勢な日本で、スタジアムの隣の新宿御苑に現代版バベルの塔を建設される。塔の中にいるのは寛容なその世界においては「罰せられる」のではなく、「同情される」べき存在である罪を犯した受刑者たち。彼らはその塔の中で何不自由のない生活を送る。

偏狭さと寛容さ。罰と同情。全く逆のようでもあり、似たもののようでもある。何も許さないこととすべてを許すこと。その本質的な違いとは何なのだろうか。


コロナで外出禁止なので今日は朝から読書。
読んだのは阿部公房の短編集「壁」。
その第二部のタイトルは「バベルの塔のたぬき
主人公の詩人は公園で狸のような動物に自分の影を引きはがされて食べられてしまう。影を喪った詩人は実体を失い(影がないということは実体もないということだ)、狸と一緒にバベルの塔へ向かう。バベルの塔には人間の壁を食べた狸がうじゃうじゃしている。ニーチェやダンテの影を食べた狸も。バベルの塔には入口がなく、詩人は狸に押されて壁を通り抜ける。影を喪う主人公や壁抜けというのは、村上春樹の小説のコアとなるモチーフだけれど、それはただの偶然なのだろうか。

それに続く短編「洪水」。
立場の弱い労働者や農民がどんどん液体化していき、世界中で洪水が発生する世界でノアが箱舟を作る。自分だけ生き残ろうとするノアは、あえなく「話の通じない」液化した人間におぼれて死んでしまう。


ノアの箱舟。
バベルの塔。
偏狭さと寛容さ。
罰と同情。

コロナウイルスに感染しながら
ぼんやりと色々なことを考えてみるゴールデンウィーク。

思ったほど悪くないかも。


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