ネタバレってなんなんだろう

 しろくまVtuberの抹皚遊氣です。近々大作RPGの初見配信をしようと思ってます。ネタバレは禁止です。
 この手のゲーム配信に付き纏う問題としてネタバレがあります。ほのめかしという表現を併せてしているところも見ますね。
 なぜこの問題が難しいかというと、ネタバレの基準も、ネタバレ禁止の温度感も、それぞれ違いすぎるからだと思います。配信の概要欄にネタバレ禁止!とあっても、その人にとって何がネタバレなのかわかんないこともあるんじゃないでしょうか。
 ネタバレギリギリのことを言う、それはネタバレになるからやめて欲しいと返す、ネタバレじゃないよと説明する、その説明が完全なネタバレになってしまっている、という悲しい連鎖を見たこともあります。
 というわけで僕の思うネタバレについてを書いておこうと思います。ネタバレの中でもゲーム実況配信に寄った文章になります。

 一番下の段落に結論あるからそこだけ読んでもいいよ。


悪意のあるネタバレ

 ってことで、とりあえず分類として書いたけれど、これはみんな納得できると思う。
 最初から「楽しみを奪ってやろう」「楽しみにくいように騙してやろう」という意図がある。これはだいたいの人が許容できないと想像できる。
 万人がネタバレを避けたいと考えてるわけではない。先に何が起きるかわからないことを楽しいと思う感覚がゼロなら、ネタバレはさほどダメージにならない。
 それでもこんな風に、悪意と共に急襲する形での情報は要らないのではないか。

 悪意のあるネタバレはわかりやすく分類できる一方で、防ぐことは難しい。
 どれだけお願いしても悪意があるのだから聞いてくれるわけがない。

 既プレイのモデレーターに即BANしてもらうしかないんじゃいかなあ。


悪意のないネタバレ/ほのめかし

 ネタバレとは何か。
「犯人はヤス」はネタバレだけど、それだけがネタバレかというと、そうではない。
 僕はゲームという媒体が小説や映画などの他のメディアと一番違うところは、自己決定感だと思っている。
 辿り着くエンディングが規定のものだったとしても、そこまでに辿った道のりや集めたアイテム、自分の思考は千差万別になる。
 ピカチュウじゃなくてコイルをメインにしていたかもしれないし、10まんボルトのわざマシンを使うか迷って最後まででんきショックで進んだかもしれない。上に進んで辿り着いたニビシティで更に上に続く道がどこにもないなあと悩んだかもしれないし、ハナダシティから暫く出られなかったかもしれない。そうして立ち止まってる間に、今後の展開を予想していたかもしれない。
 その悩んだ過程や、思考、考察、全部纏めてゲーム体験なのだ。

 ネタバレやほのめかしは、その体験を奪うものと、僕は考えている。
 マサラタウンから北に進んだ先にあるニビシティには東へ続く道があるけれど、「ニビジムクリアおめでとうございます!次は右の3番道路ですね!」と言われてしまうと、この言葉自体に大したネタバレは含まれていないかもしれないけれど、ニビシティの次の街を探す体験も、ニビシティの北側を探索する体験も、そこにいるNPCの話を聞く体験も、博物館に入る体験も、ポケモンのわざで切れそうな木を見つける体験も奪ってしまうかもしれない。
 そうならないようにNPCや木があることを教えといてあげよう? それらの存在をみつけるという体験を奪うことになる。
 気を病まないように特にイベントがないと教えてあげよう? 何もないことを確認しに行く体験を奪うことになる。
 そもそもその情報が正しいとも限らない。無視して探索したとしても、「その情報が本当か確かめる」という本来必要のない過程が生まれてしまう。これは自己決定感を邪魔する、ただのノイズである。

「道の話くらいしてもいいだろ!」と思う人もいるかもしれない。ネタバレが嫌だという人でも「いや道の話くらいならしていいよ」という意見もあるだろう。「道とかネタバレとかじゃなく、ジムクリア後の動きを誘導しようとしてるのが気に食わない!俺はピカチュウを捕まえにトキワの森に戻る!」という人もいるだろう。それぞれである。
 ここで言いたいのは道の話がネタバレかどうかではなく、道の話もネタバレになることがあるくらいに、ネタバレというのは繊細な問題ということである。人それぞれに楽しみを見出すことができるゲームという娯楽は、楽しみがそれぞれ故にネタバレもそれぞれなのだ。
 道のネタバレをされたくないという人でも、1時間も迷ったら泣きながら本気で道教えてと言ってくるかもしれない。そうなったら、道の話はネタバレではない。

 過ぎようとした場所で取りこぼした要素も、扱いは難しい。
 ニビシティの博物館のイベントだって、やらないとクリアできないものでもなければ、重要な情報が手に入るというわけでもない。僕は全然知らないままクリアした。「たまたま触れずに終わった」「後から知って驚いた」もまた、その時だけのゲーム体験になりうる。
 それらをいちいち全て拾っていくのも、人に教えられてやるのではやらされているようになってしまう。やらされていることほど楽しくないものもない。自己決定感皆無だ。


ネタバレになるから詳しく言えない

「詳しく言えないと言いつつ、そこに未知の何かあるのは言っている」ので紛うことなきネタバレである。そこに何かがあることを知る楽しさを奪っている。
 
 情報を出していないつもりでも、言葉とは難しく、意識していないうちに情報が込められてしまう。今のこの文章だって「意識していないうちに情報を込めてしまったりする」と言い換えても意味は通じるけれど、無意識のうちに「情報以外を込めたり、情報を込めなかったりのことは今は考えなくていい」と思ったから、"~たり"で他の選択肢を仄めかさずに最初の表現が出てきている。

 そんな感じで「それにコメントしたこと」そのものが先の体験を奪う何かになっていることがある。なぜ詳しく言えないのか、なぜ言わないのか、なぜネタバレになるのか。ゲームするにあたってノイズとなる情報である。
これ覚えといてください」「セーブしといたほうがいい」も一緒である。何度も言うけれど、選択の結果として何かを知るところから、知ったものを理解し解釈するところまで、全てがゲーム体験なのだ。

 こうした"本人がネタバレと思っていない情報"はネタバレ禁止のお願いで防げないから、併せてほのめかしも禁止しているのかなと思う。



じゃあ何をコメントすればいいの!

 あれもネタバレ、これもネタバレ。じゃあ何をコメントすればいいの!
 と思うならそもそも既プレイのゲームにコメントするのは控えたほうがいいかもしれない。

 というのは暴論な気もするので、対策法を書いておこうと思う。

 配信者についてコメントしよう!!

 ゲーム実況ならばゲームだけでなく実況も配信の要素である。
 ゲームがどうあれ、配信者がかわいかったらかわいいと言えばいいし、変だったら変だと言って笑えばいい。怖かったら怖いと言っていい。これはネタバレにならない。ゲームについて何か言おうとするからネタバレになるのだ。

 ネタバレコメントの多くは善意で言っていたり、無意識に情報を乗せてしまったりしている。余計なお世話になってしまっているけれど、コメントするという行動自体は良いことである。既プレイのゲームにコメントする時はぜひ内容を吟味して、その行動を悪いものにしないようにしてほしい。

 初見の配信者と一緒に初見として盛り上がるのは、初見の視聴者に任せておけばいい。既プレイは初見の配信者と視聴者の両方を眺めて楽しむ。
 それが通というものだ。

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