会えない人に会おうとする夢
「これで本当に会えるの?」
真剣な表情で古い和綴じの本を読む女中に、私は何度目かもわからない問いをした。
「はい、きっと……」
返事に身が入っていないということは、今は大事なタイミングなんだろう。薄暗い廊下を見回す。
私がこの、降霊術と言っていいのかわからない儀式に付き合う必要はない。会いたい人がいるのは私ではなく女中の彼女である。私は女主人として、仕事先でそんなことをやるなと一喝し、やめさせることもできた。仕事に支障ない範囲で勝手にやっていてくれと放っておくこともできた。
それでも、その思い詰めた表情が心配になって、私と彼女しかいないこのタイミングならば、と許可を出し、見守ることにしたのだ。
彼女の呼吸と、ページを捲る音だけが聞こえる。
見守るといいつつ、ここまでに行われていたらしい下準備で何をしていたかは知らない。何かが起きたほうがいいのか、何も起きないほうがいいのか。私は自分の思いがわからなかった。
その時だ。ほんの2メートルほど先に白い少女が現れた。
かなり色白の肌で、白いワンピースを着て、そこにまっすぐ立っている。
視線を外した隙とか、瞬きする間にとか、そうではない。
まさにたった今、ここに現れたのだ。
不思議と怖い感じはしなかった。
これは成功なのだろうかと女中の顔を見る。真剣なままだ。儀式はまだ続いているらしい。
少女が背を向けて歩き出す。
女中がこちらを見て頷いた。ついていこうということだろう。
私たちは、意外と速いその少女の後を追った。
屋敷の構造は複雑だ。
増築の不自然さがわからないように増築を重ねたらしく、部分的な地下構造や、不自然さを隠すためだけの無意味な小部屋や通路、窓などが多くある。
少女はそれを迷いのない足取りで進んでいく。
目的地までの最短距離を通っているというわけではなさそうだ。わざと遠回りな道を選んでいることがある。
うちでなければこの儀式はどうなっていたのだろうか。このように止まることなく自由に歩き回れる空間は、普通の家にはないはずだ。それこそが、彼女が実家などでやらなかった理由かもしれない。
いつまで追えばいいのだろう。
女中は追いながらも時折ページを捲っている。
歩くには速く、走るのには遅いその速度がもどかしく思え、何か変化はないのかと思った頃に、それは現れた。
物音がしたのだ。後ろの、今通ってきたあたり。
誰かが帰ってきたとしても、そこから音がすることはない。
少女を追って角を曲がるのに合わせて、来た方向を見る。
居た。
黒い何かが、居た。
同時に理解した。
白い少女に危険を感じなかったのと、同じ種類の理解だ。
あの黒いものは、良くない。
大きさは人間と変わらず、形も近いと思われる。しかし黒い靄がまとわりついて上手く捉えることができない。
触れてはいけない。見るのも良くない。
きっと絶望し、すべて諦めて足を止めてしまいそうになる、悪いモノがそこに居る。
それは私達を追ってくる。
「ねえ」
私は堪らず、女中に声をかけた。
「喋らないほうがいいです」
彼女は短くそう言った。落ち着きようからすると、あの存在のことも本には載っているのだろう。どうせ何も起きないからと流し読みしかしなかったことが悔やまれる。
「到着すれば、大丈夫なので」
彼女の目はこちらを見なかった。本と少女しか見ていない。
この儀式は順調に進んでいるのだろうか。
黒いアレに追いつかれず、少女を追う。
それだけのことで会いたい人……死んだ人に会えるのだろうか。
さっきから後ろとの距離が少しずつ近付いている気がする。
そう考えているうちに庭に出た。真昼の陽光の中でも黒い靄が晴れることはないらしい。
やはり距離は近付いている。曲がり角でなくても、少し視線を向けただけで見えるようになっている。それが手を伸ばせば、私達の背中に届くのではないか。
もう無理だ。
私は小走りになり、少女を追い越した。
少女は来た道を引き返すことはなかった。仮にあったとしたら、黒とぶつかるのでどうせついていくことはできない。追い越してはいけないとも言われてない。
そしてこの庭は、屋敷内と違って道が限られている。今は裏口から時計回りに正面玄関を目指すルートだが、近道も遠回りもない一本道だ。待ち構えることは可能である。
これらは後付けの理屈かもしれない。本質はただ白と黒の間にいることに耐えられなかっただけだ。私はスピードを上げて正面玄関を目指した。建物に沿って右に曲がる。もう一度、右に曲がる。正面玄関が遠くに見える。
悲鳴。
「ああああああああああああああッ!!」
女中の声だ。
長く続きそうな大きな叫び声は、不自然に途切れた。
黒に捕まった。
きっとそうだ。
私は正面玄関に急ぎながら後ろを見る。
白は来ない。
白は来ない。
左へ向かう道を確認する。
女中も来ない。
玄関の正面で左へ曲がる。
屋敷には入らない。
黒が見えた。
私はそのまま屋敷の敷地を出た。
近所の奥さんが数人集まっていた隣家の前を走り抜け、その向こうの細い路地に入る。その先は小高い丘が草原のようになっている。今日は遊んでいる子供はいない。
その頂上で振り返る。見通しがいいので、あれが来たらすぐにわかる。
これも理屈ではなく、ただ理解したことだ。
私は儀式には参加していない。たまたまそこにいただけだ。
あくまで行っていたのはあの女中である。あの女中に何かあった時点で、儀式は成功だか失敗だか知らないが、終わっていたのだ。
残ったものも、私が出て、敷地内に誰もいなくなった時点で消えているだろう。唐突に現れたあれらが害か無害かすぐ判別できたように、その害が消えたことも唐突にわかった。
彼女は会いたい人に会えたのだろうか。
何にしろ、新しい女中を探さなくては。
そんな現実的なことを考えながら、私はまだ、帰る気にはなれなかった。
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久々に面白い夢を見たので夢日記でした。
脚色もほとんどせず、見たままを書きました。
でも2000字オーバー。読んでくれてありがとう。
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