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こんな時だから海外展示会出展に思うこと・その2(香港・パリ・ロンドンを経てパリBIJORHCA展へ)

写真は2016年の夏、BIJORHCA展出展時のMatsuyoiブースの掲示灯。これ見ると当時の緊張を思い出します。

前回"こんな時だから海外展示会出展に思うこと・その1"から8か月も経ってしまいましたが、、、やっと続きをお書きしましたのでお読みください。

2012年パリのマレ地区での展示会以後

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写真は香港ハーバーシティー。
パリのマレ地区の直前に出展した、経済産業省主催のグローカルチャレンジプロジェクトの会場となった巨大ショッピングモールです。

とにかく2012年という年は、「禍福は糾える縄の如し」のスペシャルバージョンの様な年でした。

この年の年始、激しい闘病の末、大切な姉が無くなりました。
身も心もへとへとになっていましたが、
その悲しむ間もなく、その3月には香港の展示会に出展。

そしてその数週間後には、パリ・マレ地区展示会に出展のため
パリへの飛行機に乗っていました。

そして更にその半年後、以前
”「パリ・マジック」フジコ・ヘミングさんのヘッドドレスを作る話”
でお書きしました様に、
パリのフジコさんのコンサートで自分の作ったヘッドドレスを使っていただくため、再びパリに飛ぶのでした。

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2013年から、伊勢丹新宿店の個展から始まり、急激に東京、大阪の百貨店や
ファッション雑誌の掲載が増えだし、目まぐるしい忙しさの中、
9月、ロンドン、Design Junctionに出展。

その後、パリ、ロンドンで少しづつですが、お仕事を頂いたりして
毎年2~3回渡航することになりました。

そして2016年パリBIJORHCA展初出展

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以前からサロンと呼ばれる、パリの大きな展示会に出たくて
いろいろリサーチをしていました。

そして知人に紹介され、パリのアクセサリーの展示会BIJORHCA展を知り、早速出展応募。

パリの大きなサロンはどこも厳しい審査があり、審査書類も英文か仏文で全て書かなくてはならず、なかなか大変なのですが、なんとか無事審査も通過。
2016年9月、無事出展となったのです。

そして、その翌年の2017年も連続出展したのですが、、、、
そこでまたまた!「パリ・マジック」が起こるのです!

それはまた次回お書きします。

とにかく寝る間もない日々でした

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先程もお書きしましたが、この時期、ありがたいことに
海外だけでなく、国内でのたくさんの仕事をこなしている上、
姉に寄り添って一緒に闘病したり
移動手段で事務仕事しながら、時に睡眠時間になっていました。

とにかく何度飛行機に乗ったかわからないくらい、
そしてそもそも仕事以外の記憶がほとんどなく、家族には本当に協力してもらったなあと感謝しかありませんでした。

一見、華やかな経歴に見えますが、水面下で猛スピードで足をばたつかせている感覚だったと思います(笑)

ではまた。

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