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「心理」の話。

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難聴児の「ことば」を考える。

 本記事は、上記タイトルと関連して、2007年度に掲載した論考の一部を引用する形で紹介したものです。  これまで難聴児とご家族の相談支援に関わっていますが、現在も以下の内容にあるような問題がまだ見られますし、論考を読んでくださった様々な種類や程度の難聴がある聴覚障害当事者からも15年ほど経った今もつながる内容であり、大切だと思うと指摘してくださっています。何かの参考になればと思います。 文献情報 松﨑丈(2007)難聴児の教育・ことば・コミュニケーション. 難聴者の明日,

ろう幼児の語りに見る「手指休止」

1.自己編集を示唆する停滞現象としての有声休止  人間は、いろいろな出来事や情報を一つの物語としてまとめて一方的に語るとき、あらかじめ何をどのように話すかを考えようとします。こうした思考活動は、心理言語学では「自己編集」とよばれています。  これは発達心理学者の岡本夏木(1985)のいう「二次的ことば」の特徴の1つであり、言語によって分析したりまとめたりするといった思考活動を示しています。ようするに、考えながら話す、または話しながら考えるということです。  ただ、自己編集は

超巨大地震が発生した瞬間に起こった心理状態。

東日本大震災が発生した2011年3月11日14時46分。 その時、自分は宮城教育大学3号館3階にいた。3階にある松﨑研究室の時計の針は、過去に経験したことがない異常な揺れ方で床に落ち、動くのを止めた。止まった時計の針は自分の当時の震災記憶そのものだ。 毎年3月11日になると、当時自分が見てきた映像が写真のようにモノクロで映し出され、その写真を見ている自分も静止したかのように映像を見つめているような感覚にいつも襲われる。 最近、当時の記憶を少しずつ言語化できるようになって

「ヴァンサンへの手紙」とは何か。

あるレッスンの場でろう者や聴者が集まってお互いに目で語り合うように交わしながら、手話で、音声で、歌い合っている。 それぞれが歌い終わる瞬間の歌い手の目や表情から感じる、何とも言いようがない高揚感と密接な一体感のある空気。 手話の歌い手であるろう者のレベントも最後には微かに微笑んだように口角をあげるけれど、やはりどこかある一種の寂寥感を漂わせてもいる。 そんな風景に触れていると、突然真っ暗になり、”稽古をする人々の話し声”という白く無機質な文字列が無慈悲に流れた。 これは、フ

「語る」ことの意味。

語る行為は、相手との関係によって生まれる。 社会言語学者Labov (1972)は、幼児の語る過去経験の物語には2つの機能的側面があるという。 1つは、参照的機能。経験の時間的順序に則ったもの。例えば、いつ、どこで、だれが、何を、など。語る相手と日常経験を共有する機会が少ない場合、語られる内容には、活動や叙述が多く、感情表現は少なくなるという。 もう1つは、評価的機能。報告されるエピソードの評価や重要性を伝えるもの。例えば、どのような気持ち、どのような考え、

集団会話の「トピック」をめぐる聴覚障害当事者研究

私は、高校を卒業するまで「1対1会話」の世界を生きていました。 「1対1会話」というのは、複数の他者の音声日本語の発話を聴き取ることが難しいため、他者の口唇運動を一人ずつ読み取って発話内容を推測する方法(読唇)で話を聞く必要があったからです。 日本語は、聴覚で受信すれば50音に分けられますが、視覚で受信すると50音が15パタンになってしまい、いわば「同口異義語」のようになってしまうのです。例えば、「いう」「きく」「いす」「りゆう」「ニーズ」「しる」「ひる」「にく」「ひふ」

聴覚障害児にとって「聞こえる子ども」の存在とは?

このタイトルは、私が大学生の時に「宮城県難聴児を持つ親の会」からのご依頼で寄稿したものです(宮城県難聴児を持つ親の会 機関紙「坂道」 第78号, Pp.8-9)。 寄稿したきっかけは、当時の親の会に所属していた親御さんの方々との語り合いで「聞こえる子ども」との関係への捉え方に気になることがあり、浅学非才の身でありながらしかし勇気をもって書いてみたものです。 以下の文章に友達Aが登場しますが、彼のことを非難するものではなく、彼とつながれたことに感謝しつつも、当時のインテグレ

「語り」とは零れ落ちるもの。

「語り」は、語ってほしいと言われてすぐできるようなものではないですし、ただひたすら待てば出てくるというようなものでもないと思います。 とりわけ、その「語り」が、語り手となる人自身にとってある一種の苦悩をもたらすような場合は。 その人が語る人になるというのは、「(あ、この人なら/この場なら)語ってもいいな」と「語る主体」になることを意味すると思います。 その人の「語り」を聴く人は、何かを「聴く」ことから始めるのではなく、その人が何かを語る主体になるまでの“身体”の変化(微

私の声はヘンだ、という話。

私が子どもの頃、初対面の人が聞いて明確にわかるほど明瞭に発音することが充分にできていなかったので、周囲からそのようなことをよく言われました。 当時のろう教育では、自然に音声言語を獲得できない聞こえない子どもに対して発音できるようになるための指導法を考案し、その指導法の有効性を確かめることに没頭していました。しかし現時点で、聞こえない子ども全員が初対面の人が聞いて明確にわかるほど明瞭に発音できるようになったという研究成果はゼロであり、実際にどれほど発音できるようになったのかに

「先入観」をとり除く。

ある人に会う。その人の外貌、服装、仕草、身分、そして障害や病気などの外的情報が先に入ってくる。その情報から「こういう人ではないか」と判断・認識する。 しかし、この判断・認識の根底にある自分の「知識(見識)」が先行して、その人の「本質」を見えなくする「先入観」を作ってしまうことがあります。 例えば、保育の実践と研究を長年続けてきた津守先生は、次のようなエピソードを紹介しています。  最近入園したS子は、まだ母親から離れない。母親が部屋に座っていれば、庭から室内へと歩きまわ

「信頼の履歴」の話。

聴覚障害だけでなくダウン症、自閉症スペクトラム、脳性麻痺、ろう重複障害、重度重複障害など様々な障害を有する子どもたちに出会って、子ども自身が自身の関心ある活動を展開できるように必要な「輔け」をする。また、親御さんや学校教員等にも必要な「輔け」を伝えて、親御さんや学校教員等との関係も形成できるように係わる。 それが「教育」に関わる私の仕事になっている。そうした仕事の中で、子どもたちから「信頼」に関して思いもよらぬことをしてくれることがある。特に、いわゆる言語をまだ持っていなく

宿命とは「自由の所産」という話。

これまで聴覚障害のある当事者として、研究、教育、運動など実に様々なことを実践してきました。しかし、これらを実践している時は、まるで常に目に見えない「鎖」に縛られているような「宿命」をいつも感じていたものです。 また、過去に起きた偶発的な出来事は後から振り返ってみれば必然的な過程として作られたものだ、というふうに見えてしまうこともあります。これをドイツの哲学者ヘーゲルは「理性の狡知」といいます。そんなわけで一層「宿命」の重さを感じてしまうことも。 しかし実は「宿命」とは「自

「立つ」の現象学の話。

運動発達に遅れがあると言われているダウン症のお子さん。 2歳になったばかりで、家の中をハイハイして、立つときは誰かに支えてもらっていました。 ある日。リビングで親御さんと話している時、お子さんがベランダの方へハイハイし、窓を両手でポンポンと叩く。しばらく窓を見てから、左手で窓に体重の一部を預け、両膝を床から離したところで、すぐ左手よりも高い位置に右手を窓に置いて立ち上がります。しかも上手に。スッと。 ただ、立ち上がるといっても窓に体重の一部を預けている状態です。窓に寄り

きょうだいの「家族アイデンティティ」の話。

私には、3つ下の耳が聴こえる妹がいます。 妹は、両親よりも私の「音声日本語」を聴き取ることができていました。いつも一緒にいたからでしょう。両親が、私の「音声日本語」を聴き取れない時、妹が明瞭に復唱(リスピーク)してくれることがよくありました。 ただ、妹にとってその「復唱(リスピーク)」は、ちょっと特殊なものでした。家族団らんでは、両親は私のことをよく「話題」にしていたようです。 当時の聴覚障害教育では、保護者は言語指導を担わなければならないと強く求められていた時代だった