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東日本大震災の「その後」。

3月11日。その日が近づくと、「東日本大震災」が再び起こりそうで非日常を生きているような感覚に襲われる。未曽有の自然災害は、聴覚障害当事者としてどう生きるのか根源的な問いを突き付けてきた。被災地では、聴覚障害当事者たちに様々なつながりにくさが起こっていた。

自分以外の家族は皆聴者という環境で家族に気を遣って緊急情報や生活情報を聴けないまま黙り続けていた。コーダの子どもが聴覚障害のあるご両親のために情報を伝えようと夜の避難所で気を張り詰めながら起き続けていた。補聴器を装用している高齢の難聴者が周囲に気を遣って雪が降る体育館の玄関の外で暮らしていた。スマートフォンを所有しているろう者がテレビ電話ができることを知らないまま手話で話せる相手が欲しいと望んでいた。避難所や役所で配布された日本語による案内や書類の文章の意味が理解できなかった。盲ろう者が自宅内で家具などが倒れたため身動きできず友人知人の訪問をただ待つしかなかった。聴覚障害当事者運動団体の役員をしている者が発災直後に身近にいた聴者に自分の困りごとを伝えられず去ってしまった。

人とつながりたいのに、なかなかつながらない。なぜつながれないのだろうか。悲しくも悔しくもあり、もどかしさもあった。

自分は、聴覚障害当事者として、聴覚障害領域のことば・コミュニケーションについて教育・研究・活動する立場として、何をすべきか自問自答しながら様々な支援活動を実践した。

その時もやはり一番支えになったのは「人とのつながり」だった。こちらから様々な困りごとを個人、団体、教育機関や企業等に発信すると、予想を上回る数多くの支援を頂き、最終的には国際連合の会議で障害と防災に関する提言を行うまでになった。

さて、東日本大震災の「その後」はどうなったのだろうか。

スマートフォンやタブレットを所有する聴覚障害当事者は増えてきた。防災マニュアルを開発したり防災教育を実施する聴覚障害当事者団体も増えてきた。電話リレーサービスのようにICTを活用した意思疎通の手段も複数確保できるようになってきた。SNSで聴覚障害と災害・防災に関する情報が多く発信されるようになってきた。

ICTやテクノロジーを活用した情報の獲得や交信は震災前と比べて拡がってきたように思う。

一方で、聴覚障害当事者は、必要な時に人と確実につながれるようになったのだろうか。

例えば、家族、学校、職場など身近な人々に自分から些細なことでもよいから困りごとを伝えられるような状況になったのだろうか。お互いに困りごとに対してどのように取り組んだらよいのかを語り合う関係を自分なりに築く方法が見えてきたのだろうか。災害が起きてからではなく、平時から、そうした取り組みをするようになったのだろうか。こうした取り組みを次世代に継承する仕組みやアイデアは生まれたのだろうか。

年に一度しか来ないような特別な日や特別なイベントだけでなく、いつもやってくる日常のなかに、人との「つながり」が必要な時に生まれることが大事。しかし、いまでも「聴こえる人」が怖いと苦悩する聴覚障害当事者は多い。「聴こえない人」はどういう人なのかわからないと躊躇する聴こえる当事者もまた多い。

お互いの「つながり」をどうするのか模索は続いている。「東日本大震災」で突き付けられた根源的問いへの答えはまだ明確になっていない。