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「諦め」と「受容」

「諦める」ことが、これほど難しいとは知らなかった。こんなふうに書くと、これまで順風満帆な人生を送ってきた人間のように聞こえるかもしれないが、そういうことではない。「諦める」ことに対して過去これほどあがいたことは無かった、というハナシである。何を諦めたかって?諦めたのは「以前の自分」。

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うつ病というのはやっかいで、普段の自分ではないと感じながらも自分は病気だというはっきりとした自覚を持ちにくい。なぜなら、目に見えるものがなにもないから。傷口が見えない、脳のケミカルの働きが数字化できない、症状の個人差が大きいなど、病気だと自分を納得させられる客観的証拠が何もない。

入院が必要なぐらいのレベルであれば本人も周りも病気だと納得しやすいのかもしれないが、実際は、うつ病と診断されても半信半疑な人が割と多いのではないかと私は睨んでいる。病気だと納得する気持ち半分、そして残りの半分は、「いやいや自分がうつ病なんて」という否定や、「単なる逃げ・甘えではないのか」という自己不信が胸に渦巻く。

今振り返ると、頭も心も混乱状態の休職初期は、自己否定と自責の念にまみれ、とても正常な精神状態ではなかったのだが、私はとにかく一日でも早く職場に復帰したかった。このまま家にいては社会人失格、さらに言えば人間失格、というような強迫観念があった。だからこそ正しい判断が出来ずにやみくもに復職した。そして当然のことながら失敗し、離職し、転職し、失敗し…と、しばらくの間どん底をのた打ち回るような状態が続いたわけだが。

今年に入ってから風向きが変わったように感じている。その理由はただひとつ、ついに以前の自分を「諦め」、病気の「受容」ができたから。

「諦め」と「受容」。文字で書くとたったの5文字だが、私にとってはこれがなんとも難しかった。「以前の自分」に戻れるはずだと頑なに信じ、戻ろう戻ろうとしていた自分が、ついに「以前の自分には戻れない」と悟り、「以前の自分」を手放した。そのことによって「現在の自分」を受け入れ、「うつ病と一生つきあっていく」という覚悟を決めることができた。

文章にしてしまうとたったこれだけのことなのだが、どん底を這いずり回った後にやっとたどり着いた「諦め」と「受容」によるこの方向転換は、私にとってはとてつもなく大きいものであり、間違いなく私のうつ人生のターニングポイントになったと思う。

最後に、今の心境を表しているツイートを貼っておく。


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