見出し画像

ひきこもりに関する報道について③

「ひきこもりに関する報道について①」では、5月28日におきた川崎児童殺傷事件と、6月1日におきた元農林水産事務次官による長男刺殺事件報道でみられた問題点を提起した。

「ひきこもりに関する報道について②」では、①で挙げた問題点について、以前から異議を唱え続けているひきこもり専門家、精神科医の斎藤環氏のツイートを中心に、2つの悲劇を通じての報道姿勢、世間の反応、斎藤氏の危惧、当事者団体の声などを紹介した。

「ひきこもりに関する報道について③」では、「ひきこもりとメディア」問題がクローズアップされた2016年を振り返りつつ、ひきこもりの現状と、「ひきこもりビジネス業者(自称支援団体)」の何が問題なのかを考えたい。

(この記事は2017年1月にバンクーバーローカルの日本語新聞に寄稿したものを加筆修正した)。

ひきこもりの高齢化、長期化

「ひきこもり」という言葉が注目され始めたのは2000年初頭だった。2010年内閣府が発表した日本のひきこもり人口公式数字は70万人。だが、この時の調査対象は39才までであった。

2019年3月末には、「中高年層ひきこもり」を対象にした初の内閣府調査結果が発表された。40-64歳のひきこもりは61万人3千人、15-39歳の推計54万1千人を上回った。以前から叫ばれていたひきこもりの高齢化、長期化を裏付ける結果となった。


「ひきこもりとメディア」問題がクローズアップされた2016年

2016 年11月、ひきこもり当事者・経験者による当事者のための『ひきこもり新聞』が産声をあげた。支援者や家族会ではなく、ついに当事者達が声を上げ始めたのだ。

新聞創刊のきっかけとなったのは、2016年3月21日に放映されたテレビ朝日『TVタックル』大人の引きこもり特集だった。

同番組で紹介された暴力的支援団体のアプローチに異議を唱えたのが、ひきこもり専門家の精神科医の斎藤環氏だった。

斎藤氏はすぐさまBPO(放送倫理・番組向上機構)に審査要請を提出。さらにTwitterや Facebookなどでひきこもりの実態や、ひきこもりとメディア報道について訴えた。

同番組に登場した「暴力的支援団体」伊藤学校の関係者に向けてメッセージが出されたのは、番組放映2日後の3月23日。

斎藤氏は「伊藤学校の支援は暴力的ではなく端的に言って「暴力」そのもの、このようなことを許すのは体罰、DV、虐待なども許容することにつながる」と指摘した。

続いて5日後の3月28日にはラジオ番組、荻上チキ Session22 「ひきこもりをめぐるメディア報道に異議あり!」に出演した斎藤氏は、番組内でひきこもりの長期化と発症の高齢化を指摘。

また、「失業的ひきこもり」とでも呼ぶべき退職をきっかけにしたひきこもりが増えていることに触れ、近年の雇用関係の悪化、それに伴う社会的変化といった社会的要因の影響が大きい側面があるにも関わらず、依然としてひきこもりは「自己責任」の一言で片づけられてしまうことが少くないと話した。

「世間から理解されないことで、ひきこもりは更に孤立を深める」という氏の指摘は、3年経った今でもなんら色あせていない。ひきこもりをめぐる状況は3年前から何も変わっていないことが、今回立て続けに起きた2つの悲劇によって浮き彫りになった。


「暴力的支援」は適切な介入か

「『TVタックル』大人の引きこもり特集」で問題とされたのは、「暴力的支援団体」伊藤学校の関係者が、ひきこもり当事者の合意なしに部屋のドアをいきなり蹴り破り、部屋に土足で上がり込み、長時間説得し、怒鳴り、罵倒するといった支援方法であった。

2016年4月4日には記者会見が行われ、「暴力」があたかも適切な介入であるかのように演出されたことへの危惧と、以下に示す4つの問題点が語られた。同時に、人権侵害を訴えたひきこもり当事者グループの共同声明文も提出された。

①違法性
当事者の合意なし。「住居侵入罪」「強要罪」「不退去罪」「肖像権の侵害」などのいずれか或いは全てに抵触。

②支援活動における倫理性の欠如
立ち直ったら結果オーライという発想は、「良い暴力」を認め体罰やDV、児童虐待などを肯定することにつながる。

③適切な人権意識の欠如
「ひきこもりに人権はない」というひきこもり当事者に対しての尊厳軽視。

④精神医学的な問題
前述したように、ひきこもり状態には、統合失調症、うつ病、自閉症スペクトラム障害、PTSD、依存症などが潜在している可能性があり、適切な医療チェック無しでの暴力的支援は、症状の悪化やトラウマ的体験をもたらす危険性がある。

斎藤氏をはじめとする提言者グループの目指すところは、 暴力的支援団体を潰すことではなく、「良い暴力」を肯定的に捉える言論をメディアから減らすことであり、「良い暴力」を許容しがちな 日本独特の「空気」に鋭くメスを入れた提言であった。

しかし残念ながら、ここ数週間の一連の報道ではっきりしたのは、「ひきこもりビジネス業者(自称支援団体)」を肯定的に報道するメディアは3年たった今でも存在する、ということであった。


「肯定派」も「否定派」も

2016年当時、斎藤氏をはじめとする支援者の主張に寄せられた世間の反応は様々であった。

「暴力的支援」や「暴力的支援をアリとする報道姿勢」否定派からは、ひきこもりをまるで犯罪の如く扱う報道姿勢への疑問、もし同様なことを宗教団体が行ったら拉致監禁事件扱いになるのではという指摘、ひきこもりにも人としての尊厳が 認められるべき、説得や融和をハナから否定している時点でこれは「テロ行為」と言えるのでは、といった意見が寄せられた。

一方、肯定はし難いものの、家族の被る精神的苦痛、経済的打撃、世間の目 などの理由から、実際親が暴力に頼らざるを得ないケースもあるのでは、といった消極的肯定派も。

もちろん、積極的肯定派も存在する。この程度のことで「傷ついた」などと甘ったれたことを言う人間の相手をするほど世間は暇じゃない、という辛辣 なものから、(暴力的支援は)最後の手段としてあり得る、ひきこもりにはこれくらいやらないと、当事者とその支援者は世間との認識のズレを理解するべき、といった声も聞かれた。

変わらない報道姿勢

「ひきこもり」が世間の注目を集める度に繰り返される斎藤氏らの主張は以下の通りである。

1.犯罪とひきこもりを過度に結び付けることのない抑制的な報道を
2.ひきこもりビジネス業者(自称支援団体)に関しての報道は慎重に

今回の2つの事件を通して世間がより注目したのは、1の視点であり2ではない。しかしながら、「暴力的介入」を売りとする「ひきこもりビジネス業者(自称支援団体)」への報道姿勢が、物議をかもした3年前と何ら変わりないという事実に、私は非常な懸念を抱いている。

今回のように、犯罪とひきこもりがセットで語られることにより、当事者とその家族の孤立化は更に進む。そこへタイミングよく「ひきこもりビジネス業者(自称支援団体)」の存在がメディアでクローズアップされる。

それは、精神的に追い詰められた当事者と家族にとって、良いことなのだろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?