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リビングの桜吹雪

子供の頃住んでいたのはマンモス団地の4階で、南側はベランダに続くリビングだった。幅の広い坂を挟んだ向こうに見えるのは国立病院の敷地だった。ちょうどベランダと同じ高さに何面かのテニスコートがあり、それを取り囲むように立派な桜が植えられていた。

病院の敷地からうちのベランダまで、直線距離にしたら50メートルもなかった。春、満開の桜は手を伸ばしたら届きそうで、私はベランダの柵の間から何度も何度も小さな手を伸ばした。物理的な手の先につながる「こころの手」で、私は確かに桜の花びらや青々とした葉っぱ、がっしりとした幹に触れることができた。

風が強い日はリビングにも花びらが舞い込んでくる。陽の光がまっすぐにさしこむリビングに、うすピンクの花びらが無数に舞い踊る。わくわくが抑えられず、少女の私も一緒になって舞い踊る。一点の翳りもない、ただただ平和な春の光景。

美しさと儚さをこよなく愛す、私の原体験がそこにある。

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