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私的「怒涛のカジュアル化」

先日こんなツイートを目にした。「服選びの視点」は、おしゃれ女子だけの特権ではない。おしゃれに疎い中高年ビジネスピープルも知っておいて損は無い。

図の拡大版。なんとも興味深い比較ではないか。

ファッションデザイナーの視点から「なりたい自分のイメージ」と「3つの国をルーツにもつ服の持つ考え方」の相関関係について詳しく書かれた江森さんのnoteもおすすめしたい。

カナダという移民大国に住み、日常的に様々な文化的バックグラウンドを持つ人々と接する機会がある自分には、江森さんの以下の考察がとてもしっくりきた。

知的さ、誠実さをアピールしたいなら…「イギリス」
色気を出して異性にモテたいなら…「イタリア」
・飾らず自然体でありたいなら…「アメリカ」
・気候はイギリス寄り、でも嗜好はイタリアな日本人

イギリスの質実剛健な感じ、イタリアの華やかでファッショナブルな雰囲気、おしゃれより、合理性や機能性を重んじるアメリカ(やカナダ)。イギリス系移民、イタリア系移民、アメリカ系移民/カナダ人を比べると、確かに印象が全然違う。

「郷に入っては郷に従え」で、どこの国からの移民でもカナダで暮らし始めるとだんだんとカジュアル化していくものだが(そうしないと周りから浮く)、それでもパーティやちょっとドレスアップした際に、それぞれの文化的テイストが滲みでる。「服に対しての考え」の違いが垣間見える。

さて、北米暮らしが長い私は断然「アメリカ派」である。20代前半、東京は赤坂見附でバブリーなOLをしていた時代は、ソバージュをなびかせ(あの頃流行っていた)ハイヒールで闊歩する「おしゃれ女子」だったが、今やおしゃれとは程遠い日常を送っている。

服も靴も、チョイスの基準はとにかく「心地良さ」と「実用性」!どんなに美しいデザインでも、履くと疲れそうな靴や、着回しができない洋服は買わなくなった。こうした嗜好の変化は、加齢というファクターもあるだろうが、「おしゃれ感度」が鈍ったことも大きい。

北米で、日本人は総じて「おしゃれ」で「小奇麗」という印象を持たれているが、私のように在住年数が長くなるにしたがって、おしゃれもメイクも「手抜き街道まっしぐら〜(またの名を「怒涛のカジュアル化」)」となる人も少なくないのだ。

良く言えば「自然体」だが、年を重ねるごとに「自然体=美」とはならなくなる現実ゆえ、ボディメインテナンスの必要性を、常に、ひしひしと感じている。

「怒涛のカジュアル化」は、人生の全方位に及ぶ。プライベートはもちろん、生き方も、仕事に行く格好も、日本の感覚からすると相当にカジュアルではないかと思う。

①日本では求められる「年相応」という概念もなく、②おしゃれにも疎く(おしゃれへの感度が低い、おしゃれに価値を見出さない、つまり、おしゃれしがいが無い)、③ビジネスビジネスしていない(クライアントに会わない、営業しない)「大学」という職場環境で長年過ごしてきた私は、「おしゃれ」に関しては、まったく鍛えられてこなかった。

甘やかされるだけ甘やかされ、日本にいた頃毎日鍛えていた私の「おしゃれ筋肉」は、見る影もなく消え去ったのであった。とほほ。

誤解してもらいたくないのだが、当地でも一定のドレスコードがある職場はいくらでもある。いくら「リラックスが売り」のバンクーバーでも、日系企業や法律事務所だったらこうはいくまい。

「日本じゃ、こんな恰好で仕事できないよねぇ~」日系企業で働いた経験がある香港人の同僚としょっちゅうそんな話をしていた。40代の私達の格好は、夏であればほぼ毎日ジーンズ、Tシャツ、スニーカーだった。実用性・機能性重視の、おしゃれの「お」の字もない恰好である。

これは大学職員に限った話ではない。こちらの大学は、ヘタすると誰が学生で、誰が Faculty(教授陣)で、誰が職員かわからない。

なぜなら…
1.みな同じような格好をしている
2.リカレント学習が進んでいるので、学生の年齢に幅がある
3.ファーストネームで呼び合うので、関係がわかりにくい

以下、解説。

1.夏は圧倒的にジーンズ&Tシャツ&ビーサンかサンダル率高し。マネージャーだろうが、ぺーぺーだろうが、学部長であろうが、みんなそのままビーチに行けそうな楽ちんな格好をしている。

2.大学院は学部に比べもともと平均年齢が高いが、カナダでは、中高年になってからキャリアアップやキャリアチェンジのために再び学生になる人も多い。私は工学部の一学科の大学院生を束ねていたが、学生の年齢は20代前半から50代後半までと幅広かった。

3.学部長でも学部生でもファーストネームで呼び、似たような恰好で見た目もあてにならないので、「けっこう歳もいってそうだし、貫録もあるから准教授くらいかな」なんて思っていると大学院生だったり、「なんか若そうでおずおずしているから新大学院生かな」なんて思っていると助教授だったりすることもあった。

なんだか今回のnoteは、私的「怒涛のカジュアル化」の告白文になってしまった。まぁ、長い間の海外暮らしにはこんな側面もあるんだなぁ、ということでご勘弁を(笑)。

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