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「ひきこもり」が、何よりも必要としているもの

厚生労働省による「ひきこもり」の定義は以下の通り。これによれば、私はばりばりの現役「ひきこもり」である。自慢にもならないが。

仕事や学校に行かず、かつ家族以外の人との交流をほとんどせずに、6か月以上続けて自宅にひきこもっている状態。

今回は当事者の視点から、「ひきこもり」が何よりも必要としているものについて書いてみたい。

先日もこんなnoteをあげたが、「ひきこもり」や「精神障害者」といった社会的弱者はとかく誤解されやすい。ここ数年はそれでも、事件などにより特定の弱者グループに世間からの否定的な注目が集まる度に、当事者団体が声をあげている。それでも誤解が絶えないのは、世間に蔓延している偏見がそれだけ根深いからであろう。

無理もない。強者に弱者の気持ちはわからない。いや、強者にもいろいろなタイプの人がいるし、わからないと言いきってしまっては身も蓋もないので、「自分が経験することなしに人の痛みを想像するのは果てしなく難しい」とでも言っておこうか。

同時に、だからこそ、「ひきこもり」側も被害者意識に溺れることなく、当事者の声を発し続けることが大切だ。自戒をこめて、「理解されたければ発信せよ!」である。


なぜひきこもっているのか?


「ひきこもり」はなぜひきこもっているのか?楽したい?働きたくない?学校に行きたくない?怠け者?弱虫?お豆腐メンタル?人生落伍者?世間のイメージはこんな感じだろうか。

彼ら(含む自分)の大多数は、ひきこもりたくてひきこもっているわけではない。むしろ、社会に出て行きたい、社会に居場所が欲しいと思いながらも出て行けない理由があるからひきこもっている。

外にでていけない理由は人それぞれだと思うが、通底しているのは、社会は「恐ろしいもの」であり、「自分を拒絶するもの」だと捉えていることだろう。

この心境は、一朝一夕にはつくられない。
様々な理不尽な出来事を通し、自分を理解してもらえない悔しさや絶望感、悲しみや心の痛み、疎外感に孤独感、自己の非力さ・無力さの自覚とセットになった自己否定感、他人との比較による劣等感、他者への羨望と恨みつらみ… それら諸々感情が重なり合った結果として、「社会は恐ろしい」「社会は自分を拒絶する」が形成される。

だからこそ、まず必要なのは「ずたずたになった自尊心の復活」なのだ。「こんな自分でも受け入れてくれる人がいる・場所がある」と実感できることで、少しずつ本人の緊張感がほぐれ、罪悪感が薄れる。


「ひきこもり」の子供に親はどう向き合えばいいのか?

「しっかり対話して距離を縮めることだ。親は説得や議論、尋問調になりがちだが、本人の自己肯定感を下げるだけ。今日のニュースの感想などたわいないもので構わない。対話を通じ、親が子を尊重していることが伝わればいい」
(精神科医・斎藤環氏、上記事から引用)
「… 親は子供の人生にあまり口を出さず、『正しい生き方がある』なんて思わず、引きこもったら仕方ないと受け入れるべきだ」
(生物学者・池田清彦氏、上記事から引用)


素の自分を当たり前のように周りに受け入れてもらって育ってきた人間にはきっと想像もつかないだろうが、「ひきこもり」になるような人々の大多数は、「そのままの自分では受け入れてもらえない(愛されない)」という思いを固く握りしめながら生きている。

その思いは、今や信念と呼べるくらい、彼らの精神に強く根を張っている。なぜなら、繰り返し繰り返しその思いを強化するような出来事に耐えてきた過去があるから。

元農林水産事務次官の長男刺殺事件を思い出してほしい。不幸にも殺されてしまった長男、英一郎さん。超がつくエリートを父親に持ちながら、挫折し期待されたような息子にはなれなかった。

その凄まじかったであろう内面の劣等感と長年にわたる学校でのいじめ。そのいじめを発散させるかのように起きていた家庭内暴力。その結果としての深い親子断絶。

もし、どこかの時点で英一郎さんの存在が親や家族、友人に受け入れてもらえていたら、問題はここまでこじれることが無かったのではないかと思わずにはいられない。

「ひきこもり」はとにかく自分の存在を肯定されたい。「そのままの自分でも生きていていい」のだと心から実感したいのだ。


ひきこもり=困難な状況にあるまともな人

「たまたま困難な状況にあるまともな人、というまなざしを広げていくことが大事だと思います。特定の人々を偏見で排除するのではなく、社会の同じ一員として向き合う方向です。ひきこもりについて語ることが社会をより豊かにする。そんな建設的な道筋もあるはずだと私は思います」

もし、「ひきこもり」はただのダメ人間で人生落伍者といった現行のイメージが払拭され、
「ひきこもり復活者」=「たまたま人生につまずいてしまったが、様々な困難を乗り越えたガッツあるまともな人」
として世間に認識され受け入れられるようになったら、現在61万人越(内閣府調査)といわれる中高年のひきこもりの何割かは、それだけで社会復帰出来るのではないか。それぐらい、「世間のイメージ」にはパワーがある。


「ひきこもり」も引け目なく暮らせる社会

中高年のひきこもりに関しては、今迄のように就労をゴールとするのではなく、彼らの存在を認め(あるいは認められなくても)、敗者復活を前向きに受け入れる社会をめざしていくのが現実的ではないか。

「ひきこもり」が「ひきこもり」のままで生をまっとうでき、あわよくば、何らかの方法で社会貢献さえできるような社会設計は、夢物語だろうか。

#COMEMO #NIKKEI

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