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人生の主導権を取り戻す

つかず離れずの距離感で10年以上もうつとつきあい続けている。薬を飲みながらだましだまし働いていたのだが、遂ににっちもさっちもいかなくなり、休職突入。それからの数年は、暗くて長いトンネルを右往左往しながらとぼとぼと歩いてきた。

投薬、カウンセリング、瞑想、ヨガ、自助会、ワークショップ、睡眠改善、散歩、講習会、内省、セルフスタディ、マインドフルネス等々、一通りのことは経験してきた。

自分と同様に精神疾患に苦しんでいるたくさんの人間を見てきたし、精神科医・カウンセラーといった医療プロフェッショナルや、就職支援機関とも関わってきた。

様々なことを試してきて思うのは、魔法の杖はない、ということだ。カウンセリングひとつとっても、タイミングと相性が合えば効果を発するが、下手をすると逆効果になる場合もある。プロのカウンセラーと名乗る人々もピンきりだということを学んだ。

一方、例えば得た知識がその時は腑に落ちなくても、しばらく経ってから点と点がつながって理解できることもある。だから、何が効いて何が効かなかったと明言するのは難しい。

今年一月下旬にツイッタ―を再開した私は、令和幕開けとともにnoteも始めた。つまり、自分から発信したい!という気力が湧いてくる程度には回復した(寛解はしていない)。何が良かったのか、どうしてこのタイミングで浮上できたのか。

今いるこの場所から、苦しかったここ数年のいばらの道と、それに伴う精神的変化を振り返ってみると、回復を促したと思われるのは次の3点である。

1.時間薬
2.病気の受容
3.病気と共存していく覚悟

1.時間薬
時が熟した、としか説明できない要素がある。うつになったらまずは心も体も十分な休養をとれと言うが、うつ病患者にとってはこれがなかなか難しい。自責の念に苛まれたり、自己否定に苦しんだり、私自身も、体は休めていても心が休まらない時期がかなり長かった。

ー100だったバッテリーが時間をかけて少しずつ少しずつリチャージされ、やがて0になり、30になり、50になり、発信したい!と思えるぐらいのエネルギーが戻ってくるまでには、それ相応の時間が必要だった。

2.病気の受容
これに関してはこのnoteを。受容することの葛藤と、辿り着いた心境を綴った。

3.病気と共存していく覚悟
たまたま目にしたこのnoteに「我が意を得たり!」を見つけたのでシェアさせていただきたい。

以前のわたしは少し完璧主義なところがあった。だから、完全に治るまでは仕事には就かないと決めていた。しかし、それが良くなかった。腰痛を治すために重要なこと、それは「痛くても、動ける範囲で動くこと」なのだ。腰痛に人生の主導権を預けているうちはまず治らない。わたしは様々な治療を試みて、ゼロに近付こうとする預金残高を見て諦め半分で決めたのである。もう誰にも頼らない、結局治すのは自分の“こころ次第”なんだと。


「腰痛」を「うつ」と言い換えても全く同じ。

「うつに人生の主導権を預けているうちはまず治らない。」

そうなのだ。誰かのせい、誰かの・何かのせいにしている間は、人生の主導権を他に預けてしまっているのと同じ。

被害者でいるのをやめて、納得のいかない現状を受け入れ、その理不尽さと生きていく覚悟を決める。それこそが、「人生の主導権を取り返す」ということではないだろうか。

今現在、自己否定や自責の念でがんじがらめになって身動きできない方へ伝えたい。

もう少し落ち着くまで、自分の人生を取り戻すまで、十分な時間をかけて欲しい。失ったものの大きさに絶望し、自暴自棄になることもあるだろう。他人や世の中を恨みたくなることもあるだろう。

以前出来ていたことが出来ない自分を受け入れるのは簡単ではない。誰にも必要とされていない自分、生産的でない自分、誰の役にも立っていない自分を認めるのは、孤独で辛い作業だ。

それでも、その苦しさを通り抜けないことには、人生再出発のスタート地点には立てないらしい。もちろん、苦しい期間の長短は人によるだろう。しかし、もがく苦しむことなしに、真の意味で病気を受け入れることが出来るとは思えない。

noteのプロフィールにも書いてあるが、私は次の言葉を信じている。

~「寛解」は、元に戻るのではなく、新しい自分の創造~ 

あらゆる創造には苦しみがつきもの。暗いトンネルで過ごしたあの日々は、新しい自分を形づくる「産みの苦しみ」だったように思うのだ。

何事も以前のようにはいかない。キャリアを失い、経済力を失い、信用を失い、自分への信頼も失った。

それでも。「産みの苦しみ」を味わったかいがあったと後々胸をはって言えるよう、今の自分なりに、今後の人生を精いっぱい生きていきたい。


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