大正大学での授業 ②:無意識にマイノリティーの人にとって生きづらい社会を更に生きづらくしていたことに気付いた。

大正大学での授業、「地域連携・地域貢献論(東北再生)」のお話。「僕と震災」というエントリーの続編。

今忘れてもいい。でも、いつか、学生の皆さんが悩んだ時、人生の岐路に立った時、また大きな災害が発生した時、一人でもいいから、今日の内容を思い出し、何らかの行動なり決断に役に立ってくれたら嬉しい。そう願って、心の奥底にある言葉を絞り出し、一言一言魂込めてしゃべりました。

結果、どうだったのか。正直、授業中は反応が見えませんでした。ただ、授業中におしゃべりする人はほとんどおらず、教室は静かでした。

最後、学生の皆さんに、質問や感想を求めました。事前に明美さんから、授業中に質問や感想はほとんど出ない、でも最後の感想メモには想いが込められていることが多い、と伺っていました。僕はそれでも直接声を聞きたくて、何度も、何度も、感想を聞きました。そうしたら、一人の女性が手を上げました。

「先生、学生時代を振り返って、しなければよかった、してはいけないと思ったことはありますか?」

不思議な質問だと思いました。何をやっても自分の糧になると思っているので、正直回答に困りました。が、悩んだ末、次のように回答しました。

「自殺だけはしないで下さい。命は大切にして下さい。そして、僕はやったことで後悔したことはありません。ただ、やらなかったことで後悔したことはあります。だから、人に迷惑をかけていいから、是非やろうと思ったらトライして下さい。やらない後悔だけはしないで下さい。」

ちゃんと回答になっていたか不安でした。その後、もう一名の女性から「私にとっての震災」という観点で感想をもらい、授業が終わりました。

授業後、2人の学生さんが僕のところに来てくれました。一人目は、ひとつ目の質問をしてくれた女性でした。今の自分に自信がなく、とても悩んでいるとのこと。僕に出来ることはただ話を聞くことだったのと、「少なくとも見ず知らずの大人にそうやって相談できるって凄いこと。勇気を持って、相談できた自分を認めてあげなね」、と伝えることだけでした。そしたら、驚いたことにその女性の目には涙が浮かんでいました。

動揺していたら、更に後ろにもう一人、別の女性が話をしたいと地面に座って待ってくれていました。

何で地べたに座っているんだろう?と思ったら、身体障害を抱えているからでした。そこで受けた話はこのとおり。

「ずっと東北のためにできることはないか考えてきました。でも、私は身体障害を抱えています。だから、こんな私にできることなんてないんだろうなと思っていました。実際、東北へのボランティアプログラムを何度も探したのですが、すべて健常者向けで、私に参加できるようなものはなかったんです。でも、先生が今日障害者に関してのお話をされて、もしかしたら私にもできることがあるんじゃないかと思って質問に来たんです。何か、私にできることはないでしょうか?」

思いの丈を込めた、直球ど真ん中の質問でした。

その女性に、「本当に声を出してくれて有難う」、と一言声をかけたら涙を流しました。きっと、言いたくてもずっと言えなかったことを、勇気を振り絞って、言葉にしたのだと思います。

私は、頭をがっつーんと殴られた気がしました。僕は震災後、東北で既に3,000名以上の人を受け入れてきました。けれど、確かに身体障害を抱えている人はひとりもいなかった。ぼくはそれまで、「オープンに誰でもどうぞ!」というスタンスだと認識していました。けれど、実際はまったく逆でした。無意識に、障害者を抱えている人に代表される、現在「生きづらい」人たちが更に「生きづらくなる」システムを作ることに加担してしまっていたのです。

何が痛いって、これが「無意識」であることです。僕は山元町で障害者支援施設に深く関わったりもしていたのに...。まったくもって自分のやっていることに対して「無自覚」でした。

差別は悪意を持って行なわれると思っていました。しかし、もしかすると、善意を持っているにもかかわらず、無自覚に差別を助長してしまっている場合もあるのかもしれません。

その結果として、自分自身が社会から見捨てられているような感覚を持ち、自分の可能性に蓋をする。そして、様々なことを諦め、自暴自棄になる。そんな人がたくさんいるのかもしれません。彼女は、そこで一つ声を出しました。健常者からすると当然の一言かもしれません。けれど、僕が彼女の立場だったらその一言を出せたか、まったく自信がありません。僕には想像もできない、悩み、葛藤、を乗り越えた上での一言だったのだと思います。

物語調で書いているので少し長くなってしまいました。何が言いたいか。下記悪循環に自分が加担していることに気付いた、ということです。

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・無意識に、マイノリティーの人が生きづらい社会をより生きづらくしてしまっている。無意識であるがゆえに、その事に気づかない。しかし、マイノリティーの側は、相手側が「意識的」にそのようなシステムを作っていると感じてしまっている。

・自分は恵まれていない、自分なんかが何をしても変わらない、と様々なことを諦める。すると、感じた違和感についての声を挙げなくなる。結果、マジョリティー側は、マイノリティーの人たちが生きづらくなっていることに更に気付きにくくなる。

・初めに戻る。

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では何をすればいいのか。当事者の人たちが声を上げやすい環境を作り出すことだと思います。無意識だっただけで、悪意のない人はこれで行動が変わることもあるんじゃないかな。

以前コーチ役を引き受けた、 community organizing の story of self の考え方、また my project で自分のことを話すということ、この辺りもすべてつながっているのかもしれません。

今回僕は授業をする側としてお声がけ頂きましたが、実は僕が一番学んだかもしれません。声を挙げてくれた女性には、こういったことを教えてくれて本当に、本当に感謝しています。「有難う」ございました。

今回声を上げてもらえたのは、もちろん女性本人に勇気があったこともあるけれど、明美さんが社会的弱者と呼ばれる人たちへの優しさにあふれていて、相手の話を深く聞き出そうとする姿勢があったからこそだと思います。「もしかしたら、この人達は話を聞いてくれるかもしれない」という期待感というか、ある種の安心感を持ってもらえたのかもしれません。

第二に、利害関係のない第三者が訪れ、その人(僕)が自分のことを理解してくれるかもしれない、と思ったのかも。僕自身が授業中に被災地における障害者の話をし、明美さんも他の障害者の方の話をしました。そこで、あれ、「この人達は、自分と同じ立場の人を理解してくれているんだ」と。

次に必要なのは、この声を挙げたことで何かが変わった、という小さな成功体験を得ることではないでしょうか。そこで、明美さんと、障害を抱えている人が被災した地でボランティアを行うプログラムを作ります。障害者だからこそできることがあるのかもしれない。まだわからないけれど。まずは try and error で。

今まで、何度も行ってきた講演会や授業。小さい小さい出来事かもしれない。でも、2人の女性が教えてくれた、勇気を振り絞って声をだす意味。そしてどんな場であれ、自分の全人格を投げ出せば、そういった変化の種を起こせるかもしれないこと。今回の大正大学の授業は、僕に生きる上でとっても大事なことを教えてくれた気がします。

明美さん、受講生の皆さん、本当に有難うございました。

いつか、どこかで、一緒に仕事できる日を取っても楽しみにしています。

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