人はなぜエベレストの頂上を目指すのだろう。

昨日、この映画を見てきました。「エベレスト 3D 〜 地球上で最も危険な場所へ 〜 」。映画 の紹介文はこちら。

かつてないスケールと角度からのエベレスト

ヒマラヤ山脈に位置する世界最高峰、エベレスト。1953年に初登頂がなされて以来、世界中の登山家を魅了し続けるその山は、同時に地球上で最も生きるのが難しい場所でもある。標高8,848メートルの山頂に酸素の供給を受けずに長時間留まれば、肉体と意識の機能は停止。まさに死の領域<デス・ゾーン>だ。

本作は、そんなエベレストで限界に挑んだ者たちの実話の映画化。登頂の夢をかなえるためエベレストへやって来た世界各国の登山家たちが、自然が猛威をふるう<デス・ゾーン>で生き残りを賭けた闘いに挑む姿を、3Dならではの圧倒的な迫力で映像化。

映画評ではなく、ただ、見て感じたことを書きたいと思います。この映画についての僕の事前認識は、エベレスト登頂の厳しさを3Dで表現する映画なのかな、という程度でした。

終わってみると、涙が止まりませんでした。映画でも本でも泣くことは殆どない僕ですが、今回はどうしようもなく。本当にいろーんなことを考えさせられた映画でした。

まず「映画館」って特殊な空間だと実感。インターネットにより情報量が膨大になり、スマホの登場が人の時間を細切れにしました。この時代において、2時間以上もの間、「暗闇の中で、静かに、動かず、見知らぬ人と、特定の作品を見続ける」。こんな環境っていまどき本当に稀有ですよね。

さて本題。

僕はいつからこんなに弱くなったんだろう。これが、映画を見終わったあとに考えたことでした。エベレストに挑戦する人々。今までであれば、このような映画を見ると、何もできていない自分への焦りと怒りが同時に湧き上がってきて、どこか遠くにある何かに挑戦したくて挑戦したくてしょうがなくなっていました。しかし、この映画をみての感想は、「なぜこんな命を亡くす危険性のあることに挑戦するのだろう。それで何かが変わるわけではないのに。」「大事な家族をひとりにするリスクを背負ってまで挑戦する理由は何だろう。」「奥さんをひとりにする可能性についてどう考えたんだろう。」といったことでした。

いつのまにか、僕は「挑戦を傍観者的に眺める立場」で、「挑戦する男達よりも残される家族の立場」になっていたことに気付かされました。知らず知らずのうちに、「生きる喜び」を知り、「大切にしたい人」ができ、「大切にしてくれる人」が現れたことで、自分の命は自分だけのものではないことを実感し、「死の怖さ」を感じるようになってしまったようです。

僕の親父は末期がんで、僕が1歳の時に亡くなっています。その後残された母親がどれだけしんどかったか、母から話を聞いています。もちろん、結局自分がその立場にならないと本当の辛さは分かりません。けれど、自分自身結婚し、子供を育てることのリアリティーが増してくる中で、少しずつこの辛さが分かるようになってきました。

僕ひとりの行動で、家族や大切な人を悲しませたくないし、辛い思いをさせたくない。何に挑戦し、何に失敗してもいい。生き物ですし、死は必ず訪れる。突然死が来ることももちろんある。ただ、「自分の意志で自らの命を絶つこと」だけはしたくない、そう思うようになりました。

しかし、一方で、です。このような「ある種向こう見ずで」「冒険心で生きている人たち」によって、今の僕達の生活が作られてきたことも事実です。常に人類の一部は「フロンティア」を求めます。多くは失敗し、しかしごく一部の成功が今の僕達の生活を形作っています。人類がアフリカを飛び出し世界中に散らばった時も。未開の地を開拓し新しいエネルギーを見出した時も。飛行機を生み出し移動の概念が変わった時も。現代においては、南極、宇宙、海底、もそうです。

フロンティアとは、「未開拓の地」を意味するそうです。文字通り、「土地として未開拓な場所」、また「学問的に未開拓、言い換えると新規の分野」も、フロンティアという言葉に含まれます。

フロンティアスピリットとは、開拓者精神と訳されます。今ここにない何か、つまり、いまあるもので満足できないからこそ、フロンティアを探し続けるわけです。そのプロセスの中では、今回の映画で出てきたように、命を失った人もたくさんいたはずです。移住者(開拓民)が先住民を制服したり、戦争により多くの奴隷や死者が生まれました。これは歴史的な事実です。僕は、この事実を肯定する気は全くありません。しかし、その上に今の僕達の生活が成り立っている事実、これは認めなければいけないと思っています。

そしてここまできて、僕は今まで自分の欠乏感を埋めるために、ここにはない遠いどこかにある答えを追い求めてきました。言い換えると、自分にとってのフロンティアを探していたわけです。

しかし、僕はないものではなく、いまあるものから始めることにしました。つまり、自分の行動の起点が変わったわけです。これが自分を弱くしているとか、強くしているのか、それとも弱い・強いではなく、純粋に質的に変化しただけなのか分かりません。ただ、この変化が起きているという事実を突き付けられました。

すべての表現は「自分への写し鏡」となって、自分自身を見つめることに繋がりますね。

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有難うございます。

Kosuke Matsushima

Re-member.blue Creator / Creation Journey to Eternal Journey / 1986年生まれの僕が、いつか産まれるこどもに対し、父親の生き様を伝えるために2008年に始めたブログです。これからは、地球の美しさを伝えていきたいです。
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