何者でもない自分を受け入れる。自意識で固めた自分にさようなら。
僕の人生には、何度か大きな転機がある。
1つ目は、大学を卒業して無職だったときのこと。大学中に起業した組織がまっぷたつになり、結果的に事業は立ち上がらず、無職になってしまった。
今でも忘れない。大学時代にとってもお世話になった慎泰俊さんにもらった言葉。今は、五常アンドカンパニーという会社を経営していて、当時から「民間で世銀を作る」ということを宣言し、それを実現していっている方。
「○○をやる」といってできなかった自分への嫌悪感が強まり、それを受け入れられずに自意識が拡大していた時期。そんな時に、慎さんが僕にくれた言葉は、「負けを認めること」だった。
プライドで塗り固まった自分から、ありとあらゆる余分なものを削ぎ落としていく。すると、一瞬、「自分には本当になにもない」という感覚に陥った。怖かった。でも、そのマインドセットで、ご縁があり、海士町に行き、東北に行き、今がある。
僕の人生における、初めての冒険だったと思う。身一つで、カネナシ、コネナシ、スキルナシの自分が、被災地という、過酷で混沌としている場所に身を置き、日々、そこにいる方々と生き抜いた。
今思えば、何もない自分だからこそ、フラットに起きている現実を受け入れることができ、真にその場で必要とされているものを形にすることができたんだと思う。もしかすると、あのときの僕は、僕だけども、僕じゃなかったのかもしれない。誰かが僕を動かしていたんだと思う。
しかし、ここ数年間、東京で、今までの自分ではない何かになろうとしていた自分がいた。かっこいい、キラキラした、誰しもが憧れる仕事。人に必要とされ、成果を出すことができ、自分の自意識がどんどん満たされていく感覚があった。
でも、そこには、僕の本質はないのかもしれない。
折しも、今まで関わってきた組織、複数から同時に離れることが決まった。もうそれまでの僕の人生で波長があっていた組織と、今の自分の波長が重なり合わなくなってしまっていたのだ。
今までは、自分という存在が「あわい」存在だったからこそ、いろいろな事象に自分を「合わせること」ができたのだと思う。しかし、自分の波長がクリアーになればなるほど、波長が奏であう人とは強烈に良い音を奏でる一方で、そうでないものとは音が響き合わなくなっていた。
この流れはすでに存在していたが、葉山移住がそれを一気に後押しし、育休生活が決定付けた。育休期間を経て、もう身体全体が知ってしまっていた。僕は何に心動かされ、何を大切にしたくて、そして、何をなしていきたいのかを。
これが、僕にとって2つ目の転機だ。
23歳の僕が、身一つになったときのように、もう一度、何者でもない自分を受け入れ、次の冒険に旅出るしかないタイミングのようだ。
冒険とは不思議なもの。
準備して出る場合もあるが、僕は本当にびっくりするくらいにバカだから、海に小舟で出て、わーー、きゃーーっていいながら、超楽しみながら、船を漕いでいて、気づいた時に後ろを振り返ったときには何も見えないことに気づいて焦る。そして気付く。
冒険に出るではなく、冒険に出てしまっていたことに。
そして、もう後戻りはできないことに。
本当の冒険では、準備しなければそこに待つものは、「死」のみだろう。ぼくはそこで死んで終わるのか、それともそこから新しい物語が始まるのか。
それは、僕にはわからない。文字通り、また、身一つになる。でも前と違うこと。それは、隣に、妻がいて、晴がいること。自分の身一つだが、ひとりじゃない。
とっても怖い。でも、怖いからこそ、僕が体験したいことが隠れていることを僕は知っている。だから、きっとこの道は正しいんだろう。
だって、本当の本当に、怖いんだから。
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