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自分で自分をコントロールする ~いまこそ釈迦の悟りよ~

みんな、ハーモニカの音詰まりの時の「フゥー」とファミコンカセットの接触不良時の「フゥー」はやり方一緒やで…最近ハーモニカ吹いてる?
えぇっと、はいはい年末にAdvent Calendar参加なんで自分目線で、自分の解釈でアウトプットします。
題材から、はじめに言っておくけど僕は無宗教や。そして、ずっと仏教に興味をもって接してたわけでも無いんや。だけど、最近の仏教思想の本やビジネスシーンの中で仏教哲学の考え方が出てくることもあり、感銘を受けたことで自分なりに解釈して取り込もうと思っている関西人ですけど何か?

人生は苦、だから苦を迎え入れる

仏教はお釈迦様の教えのことで、お釈迦様はゴータマ・シッダールタという仏教の創始者であり哲学者でもある。
仏教は他律的であることを否定し、大切なのは自分ごととしてあなたが判断すべきであるという教えを伝えたんや
人生は苦。人は楽が通常の状態で、苦は異常な状態と思ってるけど、それ違うでって。
お釈迦様は、人間の苦悩の原因を生・老・病・死の四苦とそれに愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦の四苦を合わせたものを『四苦八苦』としてる。その四苦八苦=49+89=36+72=108は煩悩の数や!

・自分だけの小さい考えにとらわれる=『我執』
      ↓
・心を煩わし、身を悩ます心の働き=『煩悩』
      ↓
・心になやみ、くるしく思う=『苦』

苦しみの原因は煩悩や。煩悩の原因が我執で自分に囚われてる

因縁果の道理で“因”と“縁”から法則を導き出す

お釈迦様は、因縁果の道理というのは仏教の根っこであり、普遍的な教えだと考える。因縁果は、“因”(直接的な原因)と“縁”(関接的な原因)はどちらも原因であり、“果”は結果を表している。
どんな結果にも必ず原因がある、原因なしに起きる結果は万に一つ、億に一つもない。
例えば農作物は種(因)を巻き、水や空気、温度(縁)が合わさることで実ができる。何らかの事象として「原因」が出現し、それに働きかける何らかの作用「縁」が加わって認識可能な「結果」が出現する。

だからあらためて自分が勉強したり、努力する行動で“因”をつくり、周囲の人や環境から“縁”を結んで、自分が満足できる結果を出していきたいと思うで。そして自分の精神も同じで、因と縁によって変化に対応しながら結果として苦を乗り越える自分をつくっていこうやないか

八正道で苦を感じなくしたいけど簡単にはいかへん

お釈迦様は苦を消滅することができるんならその方法は『八正道(はっしょうどう)』であると伝えたんや。
八正道は、心理に合った生き方をすることで苦にあってもそれを苦と感じなくすることを説いてる。“正”という字は真理にあったとか目的にあったということを指してるんやけど、ついつい人間やから反れてまうでしょ。
お釈迦様の頭がパンチパーマなんも“正”から反れたかったんちゃうかなぁって思うてしまうで(笑)。むしろ何度も反れそうになった時に思い返すのが『八正道』なんかもしれんなぁ。

①正見(ショウケン):偏った見方をせず、正しくものを見る
②正思惟(ショウシユイ):自分本位に考えるのではなく、真理に照らし合わせる
③正語(ショウゴ):目的に合った正しい言葉を語る
④正行(ショウゴウ):日常の行為は正しく行う
⑤正命(ショウミョウ):人のためになる仕事をし、正しい生活を送る
⑥正精進(ショウショウジン):自分が目指す目的に向かって正しく励み進む
⑦正念(ショウネン):正しい心を持ち、常に強く正しい方向へ向ける
⑧正定(ショウジョウ):正しい心が周囲に影響されて揺らがないようにする

結構、ビジネスシーンでポジショントークしてたり、視座が低くいものの言い方になったりすることは多々ある。MTGでも役立ったんやで。方向性語る時や1on1の時に、自分の行動ともなってなかったり、データに対して偏った見方をしてしまったりすると正しいアドバイスにならへんかったりすんのよ。マネジメントしている人とかにもいい教訓になるんちゃうかなぁ。

ただムズイ。この8つの教えをやるとほんまに苦を乗り越えられるんやろうけど、人間やからこれが難しいねん。偶には横道反れてしまうもんなぁ。

むしろ正解はたくさんある

なんや難しい話してるようになったかもしれんけど、お釈迦様の話では苦を「すべて乗り越える」ということを伝えているが、初めから「善い人になれ」とか「社会の役に立て」とか言ってるわけではないで。
目指してそうなるわけではないからね。結果として善い人になったはあるかもしれんね。
だから僕は、健全さとか人間の正しさとか善さを目指すなどはせずに、お釈迦様の言うことを思い返しながら、日々煩悩という苦と向き合いながら人間であることを楽しみ、そしてかみしめていく。いろんな正解を求めて…

そう、私が神だ!
(ちゃうわい)
こんな戯れにお付き合いいただき、ご清聴、ありがとうございました。

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