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豊富なのと希少なのと、どちらがお似合い?

世の中には、いろんなチャンスが眠っていると言われている。それを捕まえられるか、見逃してしまうかが大きな分かれ目だとも。確かにそうかもしれない。そうやって、いろんなチャンスを掴んでいる人も多くいる

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ふと、そんな「チャンス」は、実は多い方がいいのか少ない方がいいのかを考えた。たくさんあると思ってしまえばしまうほど「まぁ、次もあるし」と思ってしまいがちだ。そして、その人が「次こそは!」と思うか「また次もあるし」と思うかでは雲泥の差が生まれるような気もした

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いまの仕事を通じて、年間に何十回とイベント企画や講座、研修を行ったりしているが、僕自身はその1つ1つに「今回が始まりだった」といってもらえるような何かきっかけをつくりたいといつも思っている。1回だけで完結することではないけれど、それが起点となって進み始めてくれるといいなと願いながら仕掛けや仕組みを考えるようにしている

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例えば、次もあるかなと思い続けている人って、ずっと平行線を辿っていて、なんというかちょっと勿体無い気がしている。「イベント」や「講座」に何度も続けて来てくれることも嬉しいことだが「変化を与える」といった意味では、効果的ではないのかもしれない。よく「あの人いっつもイベントにいる」という人がいる。それがその人にとって「インプットする期間」であれば問題ないし、そこで何か変化を得ようと思っているのであれば問題ないんだけれど、変わりたくって来ているのであれば心配になる。僕は何を提供できているんだろうかと

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そんなことを思ったのが、地方にきたからで。きっと、都市部に比べれば出会える人の数も属性も、また企画やイベントの機会も少ないだろうと思った。そう思うと、1つ1つを大切に貴重な体験として取り扱うだろうし、そこで築かれる人間関係は濃く、じっくりと育むものになるだろう。希少なほど、大切にしていくことになるはずだ

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そう思うと、いくつも機会が与えられる環境と、限られた機会のなかで生きる環境と、どちらが良いのだろうと思う。それは人それぞれだろうから、今の自分にはどちらが必要なのかを考えるのでもよいかもしれない。そして、機会をつくる側としては、同じような機会をつくらず進めたいとおもった

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