広い庭のすみっこで。

夏のはじめくらいだろうか。
いつのことだったかははっきり覚えていないけれど、あるときからわたしは、あなたの家の、広い庭のすみっこにひっそりと佇んでいた。
おとうさんが割った薪が無造作に積んであって、おじいちゃんがつくったちいさな風車が穏やかな風に吹かれて、たまにあなたの大切なワンコが遊びにきてくれる。
あなたの家が全部見渡せる、そんな優しい庭が、わたしは好きだった。

太陽がわたしたちを焦がすように照らす、暑い日があった。
激しく打ちつける、無慈悲な雨を全身に浴びる日があった。
それでも連日の大合唱だったセミたちの声は今、スズムシたちの柔らかく穏やかな合奏に変わった。
季節を越えるというのは、こういうことなのだろう。
そんなことを知ることもできた。
だからあなたに生命を吹きこんでもらって、わたしはしあわせだった。
夏は、美しい季節だった。


わたしはいつもここからあなたを見ている。
だからわたしはあなたの涙も知っているし、笑顔も知っている。
あなたの表情、しぐさの一つひとつに、わたしはあなたのこころの色を見る。
その移りかわりを見る。

あなたの涙にわたしは、夏の雨のような、激しいこころの衝動をみた。
あなたの笑顔にわたしは、夏の太陽のような、まっすぐな希望をみた。

感性をふくらませ、ときに感情を消費して、決して器用とは言えない足取りですこしずつ進んでいくあなたのこころの色を、わたしはそうして見ていた。


秋というのは、涙が増える季節なのだろうか。
わたしは秋を知らないし、その先の季節も知らないから、ほんとうのところはわからない。
けれど、あなたの表情を見ていると、そう思ってしまうんだ。
たとえ頬が乾いていたとしても、あなたのこころが泣いていることは、わたしにはわかってしまうから。
あなたのこころが叫んでいること、震えていること。
わたしには、わかってしまうから。



わたしがあなたに願うことは。

不安な気持ちにこころが押しつぶされてしまいそうになるときは、わたしのことを想ってほしい。
信念や想いを否定されてあなたのこころがふさいでしまうときは、わたしのことを想ってほしい。

なぜならわたしは、しあわせだから。
あなたに生命を吹きこんでもらって、わたしはしあわせだったから。
いつのことだったかははっきり覚えていないけれど、あるときからわたしは、あなたの家の、広い庭のすみっこにひっそりと佇んでいた。
それはあなたが、わたしに生命を吹きこんでくれたから。

どうかわたしを見て、わたしのしあわせを、想ってほしい。
どうかわたしを見て、わたしの存在を、思い出してほしい。

あなたがわたしを創ってくれた、意思を、想いを、思い出してほしい。
わたしがこころに秘めている、あなたへの感謝を、受け取ってほしい。

あなたを想う存在が、あなたの家の、広い庭のすみっこにひっそりと佇んでいることを、忘れないでほしい。



秋というのは、涙が増える季節なのだろうか。
わたしは秋を知らないし、その先の季節も知らないから、ほんとうのところはわからない。
けれど、想像するに、それはちがう。

あなたが迎えた、いくつもの朝。
涙で迎えた朝や、笑顔で迎えた朝があったように、季節にもきっと、いろいろな迎え方があるのだと思う。
ひとつの季節に、朝はたくさんある。
どうしたって迎えてしまうくらい、朝はたくさんあるんだ。

それがどんな朝であれ、わたしが見たいのは、あなたの素敵な笑顔。
それがどんな朝であれ、わたしが願うのは、あなたのこころの平穏。 



広い庭のすみっこで、これからもわたしは願いつづける。

感性をふくらませ、ときに感情を消費して。
決して器用とは言えない足取りですこしずつ進んでいくあなたのこころの色が。
あなたが迎える朝が。
希望に満ちた、鮮やかな色であることを。


ちょうどあなたがわたしを飾ってくれたような。
そんな、素敵な色であることを。










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