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優しさの連鎖のために。

 優しい人と出会うためには、
 優しい人に育ってもらうためには、
 自分が優しい人でなければならない。

 幡野広志さん著『ぼくが子どものころ、ほしかった親になる。』

 だからこの本は、僕の息子への手紙であり、あなたへの手紙でもある。

 幡野さんが、息子である優くんに、そして、読者であるぼくらにもあててつづったメッセージ。

 幡野さんをご存知ない方もいると思うので、ご本人のnoteにも足を運んでほしい。ご覧いただければお分かりのとおり、幡野さんはがんを患っていて、余命宣告を受けている。

 そのように書くと、この本は愛する息子への感動的なメッセージで埋め尽くされ、涙ながらに読めるようなものだと想像できるかもしれないけれど、実際はかなりちがう。

 知らないことは、罪だとさえ思う。
 「お金がない」というのは、何かができない言い訳として、もはや弱いと僕は思っている。

 前後の文脈なくこれだけを引用しても伝わりづらい部分があるかもしれないけれど、生きていくことについて必要なことが一見手厳しい言葉でつづられている箇所もある。
 読んでいるうちに、諸手をあげて賛同することがぼくにはむずかしい箇所もあった。

 ただ一貫しているのは、この本の文章のすべてが、たったひとつの願いのために書かれているということだ。
 それは、

 優くんに、優しい人に成長してもらいたい。

 ということ。
 ここにはそのためのヒントが、淡々と、そっと静かに書きのこしてある。

 だから僕の言葉は、自分で道をつくり、自分で歩いていく息子がふっと立ち止まったとき、遠くからぼんやり見える灯台くらいでちょうどいいのだと思う。

 耐えがたい苦痛や理不尽には、生きていけばかならずぶつかる。
 そのようなときにも優くんが自分を見失わずに優しい人でいることができるような、これはある種のガイドブックのようなものだ。

 一方読者であるぼくらにたいしては、どのようなメッセージがこめられているのだろう。

 僕が思うに、子どもを優しい人に育てる方法は、親が優しくなること。 親自身が優しい人になり、ずっと優しい人であり続けなければいけない。 だから優という名前は、息子へのプレゼントであると同時に、ぼくと妻が親になるための誓いでもあった。

 優しい人がまわりに増えればきっとしあわせだろう。
 ただそのしあわせを得るためには、まず自分が優しい人にならなければならない。
 優くんへのやさしいメッセージはそのまま、ぼくら大人へのある種の警鐘や注意喚起ともとれるような内容なのではないかと、ぼくは思った。

 優しい人を育てる、優しい社会をつくる。
 きっとだれもがそうしたい。
 でもうまくいかない。
 なぜか。

 それは、自分が優しい人ではないからだ。
 しあわせになりたければ、まず自分が優しい人になれ。

 ぼくはこの本のメッセージを、そう受け取った。
 優しい人にならなければならないという気づきを得ることができたのだ。
 優しいとは、どういうことか。単に甘いとか、何でもしてあげるとか、もちろんそういうことではない。一つひとつ身近なところから、優しさについて考えをめぐらせてみよう。
 気づいたときには自分のまわりが優しい人でいっぱいの、しあわせな人生を歩むために。

 ぼくはこの本を読んで、本にたいする対価以上のものをいただいたと心から思う。前のnoteにも書いたけれど、その埋めあわせは感謝と敬意と、これからの自分に活かすことで返したい。

 幡野さん、ほんとうにありがとうございます。

 幡野さんのことを知ったのは、実はそんなに前ではない。
 去年のおわりにnoteをはじめて、最初なにをしていいかわからず漠然といろんな人のページに飛んでいた。
 そのときに、偶然お邪魔したのが幡野さんのページだった。

 プロフィールをみて愕然とした。
 「がん患者」とあったからだ。
 しかも、まだ30代半ばだという。自分よりも年下。
 今思えばほんとうに恥ずかしく申し訳ないけれど、がんにたいするぼくの浅すぎる認識からは想像もつかないバイタリティにあふれた人だと思った。

 その今、彼はなにを語るんだろう。
 世界をどう見ているんだろう。
 そうして興味をもったのがはじまりだった。

 でも結局わかったのは、彼が病気であろうとそうではなかろうと、彼の考えやスタイルにはもともとおおいに人を惹きつける魅力があったのだということだ。
 もちろん病気になったことで得た価値観や考え方はあるはずだ。ただその経験は、これまで彼を形成してきた、彼が彼であることのその芯を、より太くすることになったにすぎないのではないかということ。

 きっかけはたしかにある意味「話題性」のようなことだったかもしれない。盲目的につきしたがって、ミーハーでありがたくもない動機。
 繰り返すけれど、申し訳ないし、恥ずかしい。
 でもこれから彼がどう生きるのかを、ぼくは遠くからでも知っていたい。見守りたいなどと偉そうなことではなく、同じ時間を生きるひとりとして、近い世代として、共有できることがすこしでもあれば、ありがたいと思っている。

 <おわりに>
 今回は、幡野さんの著書について自分が感じたことを書かせていただきました。
 内容について感じたことはあくまでぼくの感じたことであって、だれかの役に立つとも限りませんし、解釈が妥当なものなのかもわかりません。
 それでもほんとうにめぐりあってよかったと思える本、そうそうあるものではないので、決心して書かせていただきました。

 現在開催中の写真展にも、先日お邪魔してきました。

 「海上遺跡」、「いただきます、ごちそうさま。」そして、優くんの優しい表情を切りとった、「優しい写真」。
 生と死、真逆のテーマにもかかわらず、ぼくにはどれもがとてもやさしく、やわらかく感じられました。

 写真集もいただいてきました。

 ここで意見や感想を述べたいとも思いましたが、これは体感していただくのが一番だと思いますので、詳しくは触れません。
 ただ、出会えてよかった、ありがとうございます、という気持ちです。
 まだ間に合いますので、ご興味のある方はぜひ、会場に足を運んでみてください。
 今回もさいごまで読んでいただき、ありがとうございました。

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