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幸せとは。 #幸せをテーマに書いてみよう

「幸せとは何か」ということについて、しばらくのあいだ考えを巡らせていた。
みんながみんな、当たり前に欲するもの。
憲法でも、追求することが保障されているもの。
幸せじゃないほうがいいという人も、もしかしたらいるのかもしれないけれど。

ぼくは、幸せになりたい。
そして、それは今、叶っている。


揺れつづけることができること。


「幸せとは何か」の、ぼくの答え。



大切な人たちの、顔が浮かぶ。
喜ばせたい人たち。
裏切れない人たち。
どれだけの顔が、どれだけの大きさで浮かぶか。
人生で得てきた、大切な人たちの顔。
この人たちのために、自分のやりたいことや夢を、諦めたり、遠回りしたりしなければならないことがあるかもしれない。
この人たちのために、命を投げ出す一歩手前まで自分に負担が及ぶかもしれない。
けれど、それを惜しくないと思える人たちがいる(いた)ことこそが、幸せの基準になるのではないか。


自分の人生、自分が一番大切。
ぼくはこれに、こころから賛同することはできない。
やりたいことだけを追求して、そのために自分の時間を費やして。
みんながほんとうにそうしてしまったら、世の中どうなる?
うまく回る?
ぼくにはそうは思えない。
世の中、助け合いだ。
子どものころだれかに教えてもらったそれが、ぼくにはやっぱり正しく聞こえる。

ただ、その一方で。それに憧れることがある。
それも、正しいと思う。
自分の人生、自分が一番大切。
自らの幸せのために、正直に、貪欲に、人生を突き進むことができる人。
思い切って飛びこんでみれば、その素晴らしさがわかるよ。
人生、案外どうにでもなるよ。
そんなことを言う人がいる。
ぼくは指をくわえて、「自分の幸せ」を謳歌している人たちをただただ見つめる。
ぼくは、何を守りたいのだろう。
何を、恐れているのだろう。
そう思って、「あちら側」に行けない自分を情けなく思うこともある。


要は、バランスだ。
つまらない答えかもしれないけれど、要は、バランスだ。

自分の思いどおりに、生きたい。
そんなことを思うとき、ふと浮かんでくる顔がある。
浮かぶ顔の数だけ幸せだと、思っている人たちの顔。
たくさんの顔が、視界をふさぐ。
浮かぶ顔の数だけ幸せだと、思っていたはずの顔が。
膨れ上がって、押し寄せては、視界をふさいでいく。
「あちら側」が、見えなくなる。

ただ、それでも、自分の思いどおりに生きたい。
その気持ちは、きっと失われることはない。
そして、大切にしたい人たちの、顔。
それらも同じくらいの確実さで、きっと失われることはないのだと思う。

どちらに転ぶにしても。
どちらを選ぶにしても。
きっと、さいごまで正解はわからない。
迷いは、いつまでも消えることはない。


どちらかを優先したときに、置いていかれそうになるもう片方を振り返る。
後ろめたさを感じる。
どちらをも、愛おしく感じる。
両立させることは叶わない、それは重たいものを天秤の両端に置いて、悩みつづける。
ぐらぐらと芯の定まらない自分の足を、両手を横にめいっぱい拡げながら、見下ろす。
ときに大きく傾き、ときに直立を保ち、足もとを見ては、倒れていないことを確認して。
そうやって、揺れつづける。

きっと、いる。
どちら、とぼくがとらえているふたつのことを、同じものだととらえる人が。
知っている。
それは、同じものでもある。
ふたつのことを、ひとつにして。
ぼくはそれを胸に抱いて、大切に守るだろう。
そうしてまた、その先に、新しい何か、行ってみたい「あちら側」が生まれるんだ。

そんな堂々巡りの中で、ぼくはやじろべえのように、揺れつづける。
大切な人たちの、顔が浮かぶ。
自分の人生、自分が一番大切だと思う。
同じ葛藤を、繰り返して繰り返して、ときに大きく傾き、ときに直立を保ち、足もとを見ては、倒れていないことを確認して。
そうやって、揺れつづける。

そうして、思う。


ぼくは、幸せだと。




こちらの企画「 #幸せをテーマに書いてみよう 」に参加しています。

お付き合い、ありがとうございました。






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