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旧帰国子女が感じた2023年

師走ということもあり、NOTEを公開する頻度が落ちてしまっているうちになんと30日を迎えてしまいました。今年は、自分が新しいことに挑戦したいということもあり文章で自分を表現することを改めてはじめてみました。そういうことをするとSNSによく目が行くようになったこともあり、私が感じた2023年を文章で残しておこうと思います。挿絵がとても適当になりますがご容赦ください。

2023年に想うこと

戦争が多かったな

何よりも私が心を痛めたことはこれで、いい加減ロシアとウクライナも納め時だろと個人的に思っているのに、それに加えてイスラエル・ガザ戦争まで起こってしまった。昨年ごろから地政学に興味を持ち、色々自分に知見のない大陸についての成り立ちを学んでいたものとしては、中東関連はとても苦手だし、正直いって未だに宗教や過去の歴史でごたごたし続けなければならない感覚をどうも理解できそうにない。私はそういう集団主義的な思想が抜けてしまっていて、宗教観も薄い、でも尊重はする、でもそれは相手が信念として大切にしているものだからにすぎないわけで個人を尊重した結果にすぎない。だから戦争とかの大きなスペクタクルになる瞬間、どうしても歴史や宗教が人にもたらす悪影響を嫌な気持ちでみることしかできないのだ。
SNSが発達した戦争の世界はとてつもなくエグい。子どもの死体や人が惨殺されるところをLIVEや画像でセンセーショナルに人の心に訴えかけてくる。でもこれも作戦なのだ。人の情に訴えかけて自分たちの国に有利になるように、その犠牲は弱きものを広告塔に使うわけなんだから下品な手法だとしか思えない。苦しい子ども、辛い市民が嘆くSNSに人の綺麗な心が揺さぶられる、そしてお金が悪い人のところに集まっていく縮図。これはITが進化した現在の戦争の形なんだろうか。
そしてどの戦争にもアメリカがマネーゲームをしていること、そしてアメリカの興味が失われると世界もその戦争から興味がなくなること、人ってすごくシンプルなのだ。私は一人でも多くの人が「今日のご飯はなんだろな」と家に帰ったり、「明日は日曜日だ、少し寝坊しちゃおうかな」なんて思ってニタニタするような普通の日が戻ることだけを願う日々です。

推し活が得た市民権への違和感

「推しがー」という言葉を言うことが今風なら私は使わない。私の世界には推し活という言葉の市民権は永遠にこないなと思ったのも2023年だ。SNSを中心に推しを推すことがはやり始めたのはもうずっと前のことだが、ようやくそのマネタイズ性の高さに一番最後のメディアであるテレビ、紙媒体が気づきだして乱用しだしたのは去年か今年かそれくらいだろう。今はもうアイドルに誰でもなれる時代で、顔も出さなくてもよくなった。アニメが市民権を得て、アニメ動画でお金を稼げる時代、声さえ萌え声やイケボであればいいのだから可能性は末広がりだと思う。
誰かの毎日がその人たちのおかげで明るくなることはとてもいいと思う。投げ銭をしようが、その人たちに自分の生活資金をすべて投じようが、それも個人の自由ではあるけれど、なにか多かれ少なかれ、そういう推しを持つことをトレンドにする文化になったことが怖いなと思うところもある。
そういった「推し」を作らなくても精神を安定させられる人は山ほどいるし、そういった人を作らなくても毎日が幸せな人もいるのだから、無理にそういう流行を作ってレールに乗せる必要もないのになと思うのだ。
「MAYの推しって誰?」と言われた時、何か背筋にスーっと冷たいものを感じてしまうのは年だからなのか。好きなものは山ほどある。宇多田ヒカルは私の人生の大きな割合で考え方に影響を及ぼしているし、向井理はいつまでたっても理想のルックスだ。最近は15歳のシンガーソングライターのTuki.
の表現力と語彙力に脱帽しているし、うちの実家の犬はとてつもなくバカだけど可愛いと思う。ディズニーはキャラクターというよりも、夢を大きなビジネスに展開していて人を幸せにすることができるという点でパーク運営には大賛成だし、私も微々たる自己資本を投資している。でもこれらは別に推しではなくて、私は彼らに生かされているわけでもない。そんな安い言葉で表現できない思い出とそれぞれに対しての思いがあるから私は推し活なんて言葉も、推しなんて言葉も彼らにはあてはめたくないと駄々をこねた2023年だったりする。

世界と日本が離れて行く感覚を持った年

最近のアジアはもっぱら韓国が優勢で、エンターテイメントの世界では韓国は圧倒的な勝者になりつつある。韓国の作戦は実に巧妙で、アメリカやヨーロッパ、そして東南アジアとその国や地域の色に合わせていて、完全にアイドル活動が上手である。ビューティー業界も圧倒的な支持を受けているし、日本のZ世代はもう韓国美容にハマってしまっているのだから、一時期のおばさまのための韓国ドラマ、おばさまのための韓国はどこかに消えてしまったのも上手だなと思うのだ。

正直いってアグレッシブなパフォーマンスをしているのは韓国だけではなくどのアジアも目を見張る勢いで成長していて、白物家電業界、車業界、IT業界、そしてこれからは半導体やエネルギーなども労働力が多いアジアがのし上がっていく業界だろうから、アジアはこれからもうなぎ上りで成長していくんだと思う、日本を除いてだけれど。
日本は縮小縮小守りの姿勢が酷い、攻めの姿勢で頑張っている業界は数少ない。資本が少ないとどうしても冒険はできないけれど、日本はそもそもが守るほうが得意な文化なんだと思う、農耕民族だということも相まってだろう。攻め込むアジア、守る日本。この構図を見る限り、これからも世界と日本はどんどん離れて行ってしまうのではないかと不安に思うのだ。

ファクトチェックの重要性

各種SNSやYOUTUBEなどを通じて発信される情報がかなりの人権を有するようになった日本、特に若い世代のテレビ離れは凄いなと感じていて、すべての情報が紙媒体でもテレビでもなくソーシャルメディアから得ている人も爆発的に増えていると思う。個人情報の流出とかそういうはやりの言葉には反応するけれど、自分の見た情報がフェイクメディアかもしれないということを疑問視してファクトチェックをする人が極めて少ない。ファクトチェックとは社会に広がっている情報やニュースが事実に基づいているかどうかを調べることを指す。昨今、炎上を楽しむ輩が一定数いて、世の中で話題になったことにとにかく乗っかって自分のメディアの露出を増やしたいと思う人もいるけれど、これは読み手のネットリテラシーがとてつもなく低いことで商売になってしまっているという構図だと思う。

実際、総務省発表資料にもこのデータが掲載されている。具体的には令和3年版・国内外における偽情報に関する意識調査(みずほリサーチ&テクノロジーズ出典)が実施したフェイクニュースに接触経験した際の実態を把握する調査だったようなので調べてみた。

<調査の概要>
- 日本2,000件、諸外国(米、英、仏、独、韓)各1,000件
- インターネットを利用する15歳~60台の利用者
- Webアンケート(スクリーニング設問、本設問)

<調査結果>
フェイクニュースの認知度は日本が全体的に低い、次点はアメリカ。尚、最も理解をしていると答えたのはフランスとドイツ。ディープフェイク(AI技術や機械学習技術を悪用した偽の映像)に対しての認識も日本は認知度が低い。知らないと答えた人は韓国の5倍いた。尚、この分野に強いのは韓国。ファクトチェックという言葉についての親和性についても日本の割合はほぼ他の国の半分。韓国は特にこのファクトチェックに対しては意識が高い。

こうしてみるとやはり日本は全体的に情報をそのまま受け入れてしまう傾向が高いのかもしれない。ミーハー文化ではあるので、それもちょっとは頷けるが、戦争SNSなどもあるのでクロスメディアをぜひしてほしいと思う(もちろん言語の問題はあるので chatgpt にコピペするなどして上手くITツールを良い方向に利用していきたいですね)

人の特性を理解する

私はご存じの通り?言いたいことは文章にするほうが上手く人に伝えられるタイプで、文章も長々書かれていても比較的斜め読みしながら内容が理解できる。ノンフィクションが好きで、小説はあまり好きではない。文章から得るものは基本知識でありたいと思うつまらない人間だ。アメリカで思春期を過ごしたので、事実や裏が取れている事実に忠実だし、比較的権利もはっきり主張するので日本ではあまり好まれないというか強い人だと思われる。
仕事でよく、言いたいことが言えない!と愚痴を永遠にこぼして、明らかに社会的にそれはNGだろという人に立ち向かえない人がいると歯がゆくで仕方がない。でもね、それは人の特性なんだと理解しないといけないと思ったのが個人的な2023年では大きなところだ。「言えばいいじゃん!」と私は言う、でも実際言えない人は多いし、そういう人は私よりも世渡りが上手い。人からのヘイトを買わないで、ことが収まるのを待っているので目立たない。個人的には、そういうことをしていると悪いやつはどんどん育っていくし、あとから手が付けられない大ボスになってしまうから早く芽は詰んでおけと思う。でもそれはたぶん余計なお世話であり、その人のために何もそこまで自分が犠牲になる必要もないのだと政治家を見ていても思う。自分の特性はおせっかいである。人の特性はまた違う。そういう相手を尊重する、相手に提案するためのやり方を自分ベースで語らないこと。それは私が2023年に学んだことで、あとはその人が例えそれで損をすると分かっていても、生暖かい目でそれを見守る忍耐力を持つことは、相手をあるいみ尊重することに繋がるのかもしれない、これは2024年も引き続き善処したいところ。

恋愛は難しい

え?と思う人もいるかもしれないが、人の恋路をたくさん見てきた2023年。本当に恋愛って好きなだけではだめなんだなと思う。日本は特に愛情表現がないし、世間体も気にする。帰国子女が純粋な日本人とお付き合いをするハードルは特に女性はとても厳しいものを感じざるを得ない。最近の若い世代は、男らしさというセクシャリティによる特性を押し付けられることを嫌う子が増えた。ヒモになりたいと公言できる世の中になるほど女の子が強い。面倒なのは30代前後の変わり目の世代だろうか。男として立ててほしいという欲求、親を見ているので彼女や妻に対して旧式のふるまいを無意識的に求めているのに精神はもやし。女性は社会に進出して総合職、給与も彼氏に引けを取らないので対等を求める。こうなってくると男の子としてのプライドが許さなかったりする。こういったなんともいえない中途半端な感じが今の恋愛をとても難しくしているんじゃないかと思うのだ。
男の人と女の人の脳みその構造は全然違うんだろうけれど、女の人はその棲み分けされた部分を越えられる権利を持ってしまったがゆえに、本来持っていた女性の役割とされた出産、妻業、嫁業というものを3足、4足と草鞋を自ら増やしてしまっていて、いくらマルチタスクな女性脳もそれに対応しきれなくなっている。だからこそ男性に気遣いや癒しを求めたい。ここを理解できる男性脳が正直日本はまだまだ育っていないような気がするし、アジアにそもそもそんなものはあったのかもよくわからない。
不器用だけれど愛しているというのをキュンするのはもうだいぶ昔の話で、今は不器用ではなく器用にこなしてほしいと思う時代、ここのギャップをどう埋めていくんだろうね、これからの時代の人たちは。とおばさんは思ってしまうのだ。恋愛も結婚もそうだけれど、話し合えない男と一緒にいるととても辛いよね。聞いてくれてるのか聞き流しているのか、はたまた聞いていないのか。これはとても大きな違いだから見極める能力を女子側も持ったほうがいいし、聞いて聞いてだけで行くと後から「あれ、予定と違うな」となるのでディスカッション能力がある男を選ぶのがおすすめだよ。

ディズニー100周年おめでとう

さて、最後に明るいニュースを。ディズニーがこの世の中に誕生して100年がたったんだよと言われても私にはどうもピンとこない。でも、長い間ミッキーと一緒に夢をあたるエンターテイメントビジネスとしてディズニー社があったこと、この100年の間に多くの子どもや大人に多くの媒体を通して世界中にそのブランドを布教したことは単純にすごいことだと思う。
今日本は空前のパークブームで、東京ディスニーリゾートは連日恐ろしい数の人が開園前のパークに列をなし、自分の推しアトラクションだかキャストだかを作って一眼レフを持ってインパ(入園)するようになった。私が大学生くらいの頃にもヲタクと呼ばれる人は一定数いたけれど、今よりももっと一般的なエンタメとしてどんな人も気軽に楽しめる場所だったように記憶している。前述した推し活みたいなものと、アニメなどから派生したコスプレ文化と、いろんなものを融合できる場所が日本のディズニーリゾートなのかもしれないので、これからもどんどんディズニーは時代で再利用され、再構築され、ブランドの付加価値を増やしていくんだろうなと思う。

私がディスニーで好きなところは、その夢や希望を体現するためにお金と労力を惜しまないところだったりする。別にキャラクターはその一つの構成要素であり、私にとってはそこはあまり重要でもない。こんな人がなぜDisney Vacation Clubに入会しているんだろうとは思うけれど、私はあのパークという施設が好きだ。みんな笑っていて、何か子供がワクワクしていて、非日常的な空間が広がり、キャスト(従業員)がロールプレイを楽しんでいる、そんな創られた平和な空間を阿吽の呼吸でつなぎ合わせる力が好きなのだ。だからそれに勝手に自分のルールを持ち込んだり、優劣をつけたりする人間の欲や闇をあまりパークでは見たいとは思わない。だって、それって平和じゃないし、ディズニーが創ろうとしているものとは相反するものだから。私はたぶん優しい空間が好きなだけなんだと思う。そういう場所を体験できるところは本当に世界に数少ない、だからこそ私はこれからもディズニーワールドに通うだろうし、あの明るいキラキラした空間を楽しみ続けていきたいと思っているのだ。Wishという映画もみたけれど、アメリカの要素が組み込まれてディズニーらしい映画だなと感じていて、私はその路線でストーリーが陳腐だろうが己の道を突き進んでほしいなーと期待をしていて、そんな100周年にフロリダに足を運べてよかった!!と今年を比較的満足できるしめくくりとなったなと思っている。

さいごに

来年も難産だろうけれど、自分の頭の中を文字にしていくことを続けていきたいと思うので、気長に次の投稿をお待ちいただければ嬉しいです。皆様にとって2024年も素敵な年になりますように。良いお年をお迎えください。


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