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タイ、カンチャナブリ「死の鉄道」を歩く

バンコクから電車で2時間。西側のカンチャナブリーに滞在中です。

カンチャナブリーは、映画「戦場にかける橋」の舞台になった場所で有名で、実際に第二次世界大戦中に、日本軍が連合軍の捕虜や、日本軍が集めて来たタイ人や東南アジアの人々を使って、ビルマまで物資を運ぶための鉄道を作った場所です。

  
不衛生で劣悪な環境の中、寝る間も惜しまず働かせたことによって415kmにもおよぶ鉄道は、わずか1年ほどで完成しましたが、その中で多くの死者が出ました。鉄道工事に関わった、半数およそ8万人にものぼる人々が病気や事故、戦争による爆撃で亡くなくなり、建設中の橋の下は、血と死体がいっぱいで悪臭がしていたそうです。

戦争の途中、この橋は幾度となく空爆され、日本軍は捕虜たちをこの橋の上に立たせて手を降らせることによって、自国の軍隊から空爆されるのを防ごうとしましたが、実際はそのまま爆弾が落とされ、立たされた捕虜たちは川底へ沈んでいったという話が残っています。
  
今はスリルがあり眺めのいい観光地として人気ですが、当時重機もない中で本当に手作業で川幅の広い場所に橋を作ったり、断崖絶壁や大きな岩場を砕いて線路を作ったりと、日本人としてこの場所に来るのはなんとも言えない複雑な気持ちでした。

  

橋のすぐそばには資料館と慰霊碑もあり、こちらに当時の詳しい情報が残されています


旅をしていると、世界には日本人が影響を与えた場所がたくさんあることがわかります。
  
アジアは特に、昔の日本軍の歴史がたくさん残されています。
私は観光だけじゃなくて、なるべくそういう資料館や慰霊地に足を運ぶようにしていますが、正直行く前は、毎回少しビクビクしてしまいます。

太平洋戦争に関しては色々な見方があるし、中には優しくしてくれた日本兵もいたと残されていますが、大志を抱いているからといって何をしてもいいわけではありません。

様々なテロが起き続ける現代で、私たちはそれを非道だと思うけれど、実際に自分たちの国も同じようなことを過去にたくさん犯しています。

今回も、学校では習うことのなかった戦争の一面を学ぶことができました。

- 大きな敷地に連合軍の兵士たちのお墓がある、カンチャナブリ駅前

でも日本は戦争で犯して様々なことの反省を、近隣国の発展に力を貸すことで償ってたことも事実で、私が直接見た中でも、インドの地下鉄やタイの鉄道、カンボジアのアンコールワット修復などなど、戦後の日本の技術支援で作られた場所はたくさんありました。
  
たった70数年の間での出来事です。
旅が気軽にできるようになったこの時代の先には、どんなことが起きていくんでしょうか。
昔を昔のことと思わずに、旅をしながらきちんと世界の歴史を知り、学ぶことも大切だなとあたらめて思います。 そして、実際にその目で見たこと感じたことを日本の国にいる人たちに伝えることも、旅人にできることなのかなと思います。

  
ー Kanchanaburi, Thailand.

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