仮面の力(11) 9 仮面とギリシア演劇

9 仮面とギリシア演劇

 仮面を使う演劇で有名なものの一つは、ギリシア演劇がある。現在、演劇を意味する言葉として知られているギリシア語のDorama(ドラーマ)という言葉は、もともと筋、出来事を意味している。大理石の敷き詰められた半円形の野外舞台−−アクロポリスの丘の南側斜面の、紀元前4世紀に完成されたディオニュソス劇場−−でディオニュソスの儀式が行われ、Doramaつまり演劇が誕生したといわれている。ここから西洋の現代へ続く演劇の基が始まった。この古代ギリシアのディオニュソスの儀式のルーツは、収穫祭もしくは新年を祝う祭りにおいて、酒の神として名高いディオニュソスを讃える祭りであったとされている。ディオニュソスはまた、ぶどうの栽培を教えた神ともいわれている。そして、葡萄酒を混ぜ合わせ、最初の酒杯が出来るまで、ディオニュソスの大きな仮面が一切の進行を見守り続ける慣しから、ギリシアの神々のなかでひとりだけその顕現を仮面を通じて行われる、仮面の神でもあった。(*32)
 ディオニュソスはギリシアの神のなかでもひときわ異彩を放ち、最も人間に近い神として人びとに愛されている。(*33) ディオニュソスはオリンポスの主神ゼウスと半神半人のセレメの子どもである。しかしセレメがゼウスの子どもを身ごもったことを知ったゼウスの妻のヘラは嫉妬に狂い、セレメを焼き殺してしまう。ゼウスは彼女の腹から胎児を救い出し自分の太腿に縫いこむ。月が満ちてディオニュソスが生まれる。ディオニュソスは葡萄の木で塞がれた洞窟で、森の精やサチュロス(半人半獣の森の神)に見守られて育つ。しかしヘラの迫害は続く。ディオニュソスはエジプトやシリアをさまよい、ブリュギアの地で女神ゼアによって、狂気から癒され秘技が授けられる。知的・形式的・静的で秩序ある完璧な神アポロに代表される健康的なギリシアの神々に対し、小アジアから渡ってきた猥雑で酔っ払いで、過度の性的放埓の象徴でギリシア的美徳とは正反対の若い悪党の神、ディオニュソスは、ギリシアの人に歓迎された。
 そしてディオニュソスの祭礼は、もともとはかなりすさまじい狂乱的な儀式だったらしい。女性が半狂乱担って山の中へ入ってき、生きた牛を引き裂き、中から心臓という生命を取り出すという。これには、個体の限りある命(ビオス)を引き裂くことで、なかから不安定な永遠不滅の命(ゾーエ)を取り出す意味があるという。(*34) この激しい儀式を行うために、人びとは葡萄酒を飲み、トランスしてしまうことが必要だったのではないだろうかと野村万之丞は想像している。(*35) 仮面をつけてお酒を飲むことは、あの世とこの世を繋ぐ意味合いがあるともいう。
 ディオニュソスの儀式は破壊と想像を象徴する儀式だったのである。紀元前534年の3月、僭主ペイシストラトスにより酒神ディオニュソスを奉納する7日間の国家的な宗教儀式が行われ、この祭礼の主眼としてギリシア劇の競演がはじまった。市民たちの表彰式、合唱曲、酒神賛歌のコンテストがあり、最後の3日間に渡って、悲劇が上演された。(*36) 
 ディオニュソスの儀式には昔から、コーモス(Komos)とよばれるグロテスクな仮面を被って粗野にふざける陶酔した若い人びとによる祝祭行列があり、そこで、即興劇もおこなわれた。これらに起源をもち、ディオニュソスを讃える内容の詩歌に変化していくにしたがい、ディテュランボスと呼ばれる合唱舞踏団となり、独立して存在するようになる。そして語りの部分を担うリーダー格の指揮官と、主観的な感情表現を担うコロス(合唱団)に分かれる。指揮者は一人一歩前に進み出て、英雄に扮して詩歌を歌った。俳優と劇作家を兼ねる最初の一人であったのではといわれている。それがさらに改革され、紀元前6世紀中頃、一定の筋をもった脚本が書かれ、演劇と称し得る状態となった。
 競演という形をとった悲劇の上演の最初の優勝者はテスピスで、彼は一人でギリシア劇をつくったといわれる程、古代ギリシア演劇の創成に貢献したとされている。上演される劇の内容は、しだいに神話、伝説、市民の関心事が取り上げられるようになっていく。
 ギリシア悲劇では俳優は仮面をつけるのが特徴だ。しかし、はじめから仮面を用いたのではないらしい。けれども仮面の着用と、どう為されたのかということについては、憶測の域を出ず、断定ができないという。
 テスピスは最初、自分の顔にメイクアップを施し、他人の顔を描いたり、布製の仮面を被ったりしたようだ。その後、仮面は俳優が被るものとなり、悲劇から喜劇になっても被られ、古代ローマのプラウトゥスやテレンティウスの時代(紀元前200年頃から前150年頃)まで続いたようである。
 俳優は頭部をすっぽりと覆う大きな仮面=全仮面をつけた。仮面だけではなく仮面とつり合うように衣装は全身を袖まで肉襦袢で覆い、刺繍した着物が足下まで垂れ下がっていた。指先、足の先まで露出しないように細心の注意が払われたようだ。神を演じるために、生身の人間の体が露出してはならなかったのである。日本の能や狂言も、同じように肌を見せることは禁じられている。本来俳優は、神に対しても演技をするインターフェイス的な存在であったし、神に捧げられる存在に変身しなければならなかったからではないかと思う。足は上げ底で踵を厚くし高くしている。これは、コロスの中に混じっても、俳優が目立つようにという配慮からだろう。
 テスピスの後、詩人アイスキュロスが、二人目の俳優を登場させる。相手役を作ったことによって対話による要素が強まり、きちんとした戯曲がかかれるようになる。紀元前449年以降、ソフォクレスは、三人目および最後の俳優を発明する。それにより、事件お信仰をコロスに頼らず対話によって行うようになり、いっそう今日の演劇の形態の近付く。ギリシア悲劇は紀元前5世紀頃に全盛期を迎える。
 アイスキュロス(前525〜456年頃)は、ギリシア演劇の仮面を芸術的な形式にまで高めた詩人としても知られる。老人、若者、道化師、神などの役割を表す仮面だけでなく、怒りや悲しみ、笑などの感情そのものを表す仮面もつかった。
 仮面についての憶測は、原始のシャマン信仰などにみられる異体との同化へのきっかけであるとか、動機を与えるために着用すると考えている学者たちがいる。フランスのピエール・グリマンもその一人である。(*37) 彼は次のように書いている。

  仮面はどうして使用されるようになったのであろうか。もっとも簡単な
  説明としては、俳優は自分の素顔を隠して、想起させるべき登場人物の
  個性をさらに完全におびようとするからであり、すでに伝説化されてい
  る場合には、かれがもはや人間界には属していないことが思い出される
  ためであろう。たぶん、この人格の転換は原始的な「悲劇」を音楽と踊
  りの熱狂のうちに、まさしく自我そのものの酔狂と放棄とを助長したデ
  ィオニューソス儀礼にむすびつけることができた要点の一つであろう。

グリマンは原始宗教と関連付けて考えている。この意見に一応は納得できるが、仮面の着用はもっと現実的に、実際的機能を有してる、というのは徳永 哲である。徳永は、古代ギリシアは非常に高度に発達した文化をもっているので、原始宗教よりも、形式や機能の方が一歩前を先んじていたのではないかと考えている。つまり、機能的に考えて、登場人物が増えてくれば必然的に俳優を増やす必要が出てくるが、形式を無視することはせず、せいぜい3人程度に止めたとする。実際3人よりふえることはなかった。そうすると、1人の俳優が何役もこなす必要が出てくるのである。ソフォクレスの『オイディプス王』には、男女あわせて8人の登場人物が出てくる。しかも俳優は当時男性に限られていた。この上演を可能にさせるものは、仮面の着用と変装しかないのである。
 形式的に、対話は各場面で2、3人に限られている。場面と場面の間にはコロスの舞歌が挿入される。この間に、スケネと呼ばれる、オルケストラの奥にある木造建築の中の楽屋で衣装替えを行い、別人になって再登場する。このスヌケ、観客席に面した正面は、宮殿や神殿、あるいは劇に必要な背景の役目も果たしている舞台美術である。『オイディプス王』を例に取ってくわしく説明してみる。最初、まずオイディプス王と神官が登場し、対話。次いでクレオンが登場、3人の対話。一斉に退場。その後コロスが入場、死を歌い舞う。舞歌が終わるとオイディプスが登場し、コロス(の長)と対話。次いで少年に手を引かれてテレシアスが登場する。こうした舞歌と対話が秩序正しく繰り返され、クライマックスへと向かっていく。3人のうちオイディプス王を演じる1人の俳優は最後まで出ずっぱりなため他の役を演じることはできないが、他は2人で十分に演じることが可能だ。
 仮面はさらに、劇の進行に寄与する機能もあるとしている。出ずっぱりの登場人物は、主人公オイディプス王ただ1人で、この人物のために他のすべての人物が登場するようにできているというのだ。すなわち、オイディプス王の幸福の絶頂から、不幸のどん底へ落ちていくその運命に寄与するように配役されている。そして、仮面に表情をもっていたのはオイディプス王1人で、前半は王家の繁栄を象徴するような喜ばしい顔、後半は没落を反映して悲しい顔が表現されていたらしい。他の人物には表現の変化がなかった。
 表現が必要でないとするのならば、仮面の機能は人物の特徴や、社会的地位を観客に示すことができればよいということになる。つまり、観客はおそらく野外において20メートルも離れた円形の空間に出ている人物が、誰であるか判ればそれでよかっただろう。不運な王の現存は、セリフを聴いた観客の想像力と一体化されて形成されたのであろう、ということなのである。ギリシア劇の仮面は、表現されない内なる思いにではなく、観客の共感を得るために、ある状況の激情や苦悩をデフォルメしたものである。(*38) それは、表現している一定の精神(エトス)をもっている英雄人物への注意を喚起するためのものであったといえる。




*32 細井雄介  「仮面と劇」『理想:第446号』 理想社 1970年

*33 斎藤正二  「仮面の原始」『理想:第446号』 理想社 1970年

*34 野村万之丞  『マスクロード…幻の伎楽再現の旅』
         日本放送出版協会(NHK出版) 2002年

*35 註34に同じ

*36 児嶋健次郎  『芸能文化の風姿 その曙から成熟へ』                 雄山閣出版 1996年

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