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秋田旅行記(2018.4)その2(カルマティックあげるよ ♯92)

2018年4月28日、14時頃。

温泉と酒造りで知られた土地、秋田県湯沢市。
湯沢駅から北東の方角へ15分程歩いたところに、四同舎という名の建物がある。
僕はその前に立っていた。

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元は地元の酒造協会が会館として利用していた建物なのだが、数年前にその役割は終わり、その後は酒造協会から他の人の手へと渡り管理・運営されている。
1959年竣工、鉄筋コンクリート造の力強い印象が漂う建物である。
50年以上もの間、数えきれぬほど雪解け水に覆われてきたのだろう、白かったはずの屋根部分は赤茶色に変色している。

僕は建築物に対しては素人だし、さしたる建築ファンというわけでもない。
かつて管理していた酒造協会の関係者でもない。
そんな僕が、なぜここを訪れたか。
それはこの四同舎を設計した人物、それと僕の友人に関係がある。

設計した建築家の名は、白井晟一という。
戦後昭和期における日本を代表する建築家の一人と言われ、数多くの建築作品を創造してきた人物である。
1983年に逝去したため、すでにこの世にはいない。しかし、近年においても氏に関する研究書籍が出版されており、後世に与えた影響は大きい。

氏が設計した建築作品は日本各地に遺っているが、特に秋田県内、中でもここ湯沢地域にはいくつも現存している。京都生まれ東京育ちのルーツを持つ氏であるが、戦時中ある人のつてで湯沢に家財道具を預け疎開した縁から地域と関係ができ、地元から要望される様々な設計依頼を担当するようになった経緯かららしい。会館であったこの四同舎をはじめ、茶室、役場、温泉旅館など様々な建築作品を手がけた。

そうして氏による建築作品がいくつも湯沢地域に建てられ、地域の人々や旅行者達はもちろん、白井晟一の関係者やファン達も含めた、数多くの人々が訪れてきた。しかし時と自然というのは残酷なもので、やがて建物の劣化も進んでいった。そして、建てられた作品のうちの1つである雄勝町役場が、2016年に老朽化と修復・補強予算の問題から、湯沢市が解体を発表する事態が起きた。
それに対し、価値ある建築作品として保存を訴える運動も民間や学会から生まれた。
その運動に参加していた一人が、秋田県内に住んでいる僕の友人だった。

保存運動については、当時友人がSNSに載せた情報から知ることができた。
僕は秋田県からはちょっと離れたところに住んでいて、所詮よそ者なので深入りは控えたのだけれど、声明に共感することはできたので保存利用を求めるデジタル署名に協力したりした。

結局、雄勝町役場は保存を求める声も虚しく、2017年の春に解体されてしまった。
僕は誰でもできるような署名に名前を書いて、あとは眺めていただけなので、この結末についてえらそうなことは言えない。しかし、解体の知らせを聞いて想うことがあった。僕が気づかぬうちに無視してしまっている様々な物が、この世界にはたくさんあるのではないか。それらが姿を消さないうちに、できるだけ見にいった方がよいのではないか。

そうした想いから、白井晟一ゆかりの建築作品が他にも湯沢の地に現存しているのなら、足を運んで観に行きたいと前々から思っていた。
今回の四同舎への訪問はその「自分への約束」を果たすためだった。

四同舎を選んだ理由は、アクセスの面で駅から近く行きやすかったことと、中を見学できる可能性があったからだった。
事前調査当初は、建築作品を外から眺めることができればそれでいいか、と思っていた。しかし調べている最中、四同舎は管理者側に許可をもらえれば、内部も見学できるかもしれないということを知った。せっかく赴くならば、建物の内部を歩いて自分の五感を駆使して建築作品の魅力を感じてみたいと、関心がふくれあがった。

旅行の数日前、前述の友人にその件を相談したところ、四同舎の管理者を紹介してくれた。湯沢市内にある建築設計事務所の所長を務める、清水川さんという男性の方だ。
電話で連絡を取ってみたところ、顔も見たことのない人間からの急なお願いで、しかもGWの連休中に時間を取らせてしまう厄介な用件にも関わらず、清水川さんは快く見学の願いを引き受けてくれた。清水川さんの寛大さと、きっちり信頼関係を築いた上で取り持ってくれた友人に感謝した。

清水川さんとの当日の待ち合わせは、四同舎の前で14時に設定していた。
ほぼ時間通りに到着したものの、建物の前には誰もいなかった。しかし開き戸式の入り口は片方が開けっぱなしの状態になっており、建物の奥からはパタパタと何かを片付けるような音がずっと響いていた。合わせて奥から人が話す声も聞こえてきた。男女2人がしゃべっていると思しき声だが、声質からして男性の方は以前電話で話した清水川さんのようだ。どうやら僕の見学に備えて、建物の中をメンテナンスしてくれているらしい。

ありがたく思いながらも、勝手に中に入るわけにもいかないので、清水川さん達が出てくるまで入り口付近で待機することにした。開けっ放しにされた入り口から、中に広がるエントランスホールを見渡した。冷たく光る黒いタイル貼りの床の上で、空から降りてきた石板をつなぎ合わせたような造りの階段が、宙に浮き上がるかのように建てられていた。

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しばらくして、奥からエントランスへと、人のよさそうな女性の方が出てきた。入り口前で佇む僕を見つけると、とたんに駆け寄ってにこやかに挨拶してくれた。

「こんにちは〜、ご連絡くださった方ですね!」

僕からもたどたどしく簡単に自己紹介をし、挨拶した。

「所長呼んできますので、ちょっと待っててくださいね! 」

女性の方はそう元気よく言って、また四同舎の奥へと消えていった。
そうしてすぐに、清水川さんが迎えに出てきてくれた。ベテランの建築士らしい、風格のある方だった。

「ようこそいらっしゃいました。どうぞ、中へ。」

挨拶と名刺交換を済ませると、清水川さんは親切な様子で僕をエントランスの内部へと招き入れてくれた。

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エントランスの片隅には、1年程前に解体された雄勝町役場から取り出され移設された柱の一部が、僕を待ち受けるかのように佇んでいた。
それはなんだかまるで、巨大建築から産み出された赤子のようだった。

つづく

文・写真:KOSSE

秋田旅行記(2018.4)その3

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