歯医者の異常な愛情 その1(ミョーチキリン日記 ♯8)


社会で生きていると、数えきれないほど多くの人々との出会いがある。

親友になる人との出会い、恋人となる人との出会い、仕事上での重要なお客との出会い、自分の子供との出会い、孫との出会い。
人生という道は素敵な出会いで溢れている。
しかし、中には自分が望まない、恐ろしい思いをする出会いだって時にはある。

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それは北京オリンピック開催を数年後に控えたある年、雨と湿度に包まれた梅雨の時期のことだった。
当時私は大学を卒業して数ヶ月ばかりという頃であったが、在学中の就職活動に見事に失敗しており、プー太郎状態でひとまず地元に戻って小遣い稼ぎ目当てにしがないバイト生活を送るという、典型的なダメ青年とも呼べる人生を過ごしていた。

ある日、夜勤のバイトで真夜中に働いていた最中、歯が突然痛み出した。
右だったか左だったか、下だったか上だったかすら忘れてしまったが、とにかく我慢できないほど猛烈な痛みであったことは覚えている。
歯の下で血管が波打つと同時に、神経が膨張し泣き叫ぶかのように錯覚させる、ズキズキと歯の根っこから響く激しい痛み。
今にも歯が痛みに耐えきれず飛び散りそうに感じた。こんな痛みでは仕事にも集中できない。
しかし、退勤の時刻まであと1時間以上がんばらねばならない。
私は生きた心地もしないまま、ただ時が早く過ぎるのを願った。

やっと退勤できた後、自転車に乗り、痛みを紛らわしたいが為むやみに急いでペダルをこぎながら家へと向かった。
帰宅して部屋に入った後も、相変わらず激痛は続いていた。

歯医者に行こうにも、時はまだやっと朝焼けが浮かんだ頃の早朝である。
こんな時刻に開業している歯医者など、こんな味気ない地方都市の近所では覚えがない。
ひとまず夜勤明けの疲れた身体を休ませようと布団に入ったが、やはり続く歯痛の深刻さの余り、なかなか眠りにつけない。
思えばその当時、もう1年半以上も歯医者に行っていなかった。
その間耐えきれない程の歯の痛みはなかったが、日頃の不摂政からだろう、気づかぬうちに虫歯が進行し悪化していたようだ。
だらしない生活のツケが回ってきたのだった。こんなことになるなら、ちゃんと早く歯医者に行っておけばよかった......痛む歯を頬越しに押さえながら、深く後悔した。

それでも結局、睡魔が歯痛に勝ったようだ。

いつの間にか眠ってしまっていたようで、朝の9時過ぎ頃あたりに目が覚めた。
あれほど酷かった根から響く歯の痛みは、きれいさっぱり消えていた。
しかしこれは回復した訳ではなく、菌に負けた歯の神経が死んでしまったことを意味する。
いずれにせよ早急な治療が必要な状態であった。
当日はバイトも休みであり、世の中も皆動く時間になったので、早速歯医者に向かうことにした。
呆れ顔の母に紹介された家から徒歩10分程度の場所にある歯科医に診てもらうことにした。
その医院の名前には聞き覚えがなかった。
どうやら私が数年間地元を離れている間に出来た、比較的新しい医院らしい。自分の父親もそこに通ってるそうだ。

電話にて予約を済ませた後、指定の時間にチェックイン。
医院の中はクリンリネスが行き届き清潔感漂う印象ではあったが、一方で特にこれといった面白みもなく、よくある今風の歯医者さんという感じだった。
待合室のコンパクトな本棚には『ごくせん』など、当時流行っていたコミック本が申し分程度に並んでいた。

「コセさん、どうぞ」

席が空き、中へと通される。案内された白いユニットに座る。間もなく白衣に身を包んだ院長らしき男性がやってきて軽く挨拶をしてくれた。

「コセさん、こんにちは。まず悪いところがどれくらいあるか、確認してみましょう」

大きなマスクをつけているため表情は確認できなかったが、穏やかで落ち着いた感じの口調であり、話してて安心できる印象の歯科医だった。
声のトーンからして年齢は大体40歳前後くらいだろうか。
初めてかかる医院だがここなら大丈夫そうだな、と私も安堵した。
その後レントゲン検査等も含めた診察が始まった。
診察の結果は散々たるものだった。
まず昨晩痛みを覚えた歯を含め虫歯が数本。
うちいくつかは進行が進んでいて、容易な治療法では済まないらしい。
他に抜歯が必要な親知らずが1本あることが発覚。
全て含めると、完治までは数ヶ月かかりそうだ。
私は恥ずかしさと情けなさと申し訳なさが混ざった、とても罪深い気分であった。

「いやあ、正直なところかなりひどい状態です。でも地道に治療していきましょうね」

歯科医は私に寄り添うようなやすらかな口調で励ましてくれた。

――――――――――――――――――――――

それから歯の治療のため、週に約2回ほどのペースでその歯科医に通うこととなった。
やはりあの男性は院長のようで、他に助手らしき女性は何人かいるものの、いつも患者を治療していたのは彼だった。
私の治療は前途多難なれど、院長の熱心な治療のおかげで順調に進んでいた。

梅雨も明けた蒸し暑い7月のある日、そこに通い始めて7回目のこと。
穏やかな昼下がりの出来事だった。

「コセさん、あのバイク、なんて機種なんですか?」

ユニットに座り待機していた私に、院長が話しかけてきた。
当時私はホンダのマグナ50という、排気量は50ccだが外観はいかついアメリカンバイクタイプという、やや珍しいバイクに乗っていた。

派手な見た目なのでバイト先に乗っていくことはなかったが。その医院でバイクを停める駐輪場はガラス張りの治療室の正面に位置し中からよく見えるので、院長はどうやら気になったようだ。
私がバイクについての情報を教えると、店長は楽しげに答えた。

「格好いいですね。僕もバイク好きなんですよ。今は旧車のバイクをレストアして乗ってます」

ちょっと意外だった。
おとなしそうな印象の人だったのに、生粋のバイカーだったとは...。

バイクの件で話が弾んで、そこから更に話題は変わる。

「コセさん、お休みの日は何をされてます?」

これも世間話でよくある問いかけだ。
私は休日は街中へ出かけたり、家でレンタルビデオ店で借りてきた映画を観たり、と日によって色々な過ごし方をしていたが、趣味の一環としてコミック調のイラストを描いたりもしていた。
ヘタクソではあったが、その頃は描いてるだけで楽しかった。

たまたま先日描いたイラストを携帯電話の画像フォルダに保存しておいたので、「絵を描くのが好きで、こんなの描いたりしてます」なんて伝えつつ院長に見せてみた。

「おーっ、かわいい!」

院長は少しテンション高めの声で褒めてくれた。
今思えばお世辞だったのかもしれないが、当時の私はまだ何分うぶだったもので、褒められただけで素直に嬉しかった。
その日はくだけた感じで、院長と前述のようなお喋りをいくつか交わした。
私は素直に嬉しかった。いつも治療のことしか話さなかった院長が、私のバイクや趣味のことに興味を持って、しかも褒めてくれたから。
それまで院長が見せなかったフランクな一面に、親しみやすさを感じた。

お喋りの終盤、院長は私にこう言った。

「よかったら明日、どこかでお茶でもしながらゆっくりお話しませんか?ちょうど日曜ですし、私もお休みなんですよ」

一般的に考えれば、突然自分の患者をお茶に誘う医者なんて、まずいないであろう。
しかし私は怪しいとは感じなかった。
若さ故まだ世間知らずで、好奇心も旺盛だった。

「患者と色々話したりするのが好きな、文化的なお医者さんなのかな?だとしたら面白そうだ」

そう思いこんで、即座に誘いを快諾した。
院長の顔は相変わらずマスクの下に隠れており表情は読み取れなかったが、声の調子から少し嬉しそうな感じではあったと思う。

「市内の○○通りに○○○○○って洋食屋があるのご存知ですか?明日の14時に、そこにしましょう」

院長の指定に私は頷いた。
その後、会話は終わりいつものように治療に戻った。
歯をいじられながら、私は明日の院長との談笑を心の中で楽しみにしていた。

そこで何が待ち受けているかも知らずに。





文:KOSSE
挿絵:ETSU

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【コミックエッセイ】ミョーチキリン日記(時系列まとめ)

くだらない話・不思議な話・ホラーな話を集めたコミックエッセイ。みょうちきりんな話が多いのでたぶん閲覧注意!
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コメント3件

期待させるなぁ
Tome番長様、お読みくださりありがとうございます。執筆者のコセです。今後数話に分けて発表していく予定ですので、お楽しみくださいませ。少し創作も交えてますが、私の実体験を元にした話です。
とてもハードル高い
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