歯医者の異常な愛情 その3(ミョーチキリン日記 ♯10)

私は通行人でまあまあ賑わう、繁華街に建つ百貨店付近のベンチに腰を下ろしていた。
時刻はとうに18時半に差し掛かっていたが、7月の夕暮れ時の空はまだ明るかった。

あの歯医者と別れた後、逃げるようにバイクを走らせ、ひとまず気分を落ち着かせる為にここまで来ていた。
所詮中規模の地方都市の繁華街なので大したことのない賑わいぶりであるが、買い物を楽しむ家族やカップルの声が飛び交い、様々な人々が交差する場所に来たことで、気を紛らわすことができ、少しずつ安心してきてはいた。
ほどほど賑やかで、ほどほどに静か。
本当に静かな場所で独りやすらぐという選択肢もあったが、先ほどあんな目に合わされた衝撃から、しばらく完全に独りになるのは怖かった。

ふと我に帰る度、脳裏に何度もあの歯医者の顔が浮かんでくる。
私のことをギラギラした目つきで見つめ、身を乗り出し、狂ったような様子で私のことを入信させようとしてくる男の顔が。

私はかなり精神をすり減らされていた。
もちろん長時間に渡ったしつこい勧誘話の応対に疲れたというのもある。
しかしそれより人の健康、さらに言えば命を守るべき立場であろう医師が、自身がケアする患者を己が妄信する宗教に半ば無理矢理入信させようとする現実があることを、実際に目の前で見てしまったショックの方が大きかった。
「こんなことが実際に起こるなんて……」
脳裏を支配する不快感を、夕暮れ時のやや涼しげな風を体で浴びながら、通行人の声や足音をBGMにやすらぐことで、なんとか取り払おうとした。

――――――――――――――――――――――

だいぶ心境が落ち着いてきたあたりで自宅へと戻った。
両親とも仕事か買い物かで留守にしており、家には私独りという状況だったが、それでも自宅内の見慣れた光景はこの上ない安堵感を私に与えてくれた。

自室へと入り、鞄を下ろす。
ふと、歯医者に冊子らしき資料をもらっていたことを思い出し、鞄から封筒を取り出し開封した。中には、山にかかる荘厳な夕陽の写真が大きく掲載された、スピリチュアルな雰囲気が漂う表紙の冊子が入っていた。
その上にでかでかと白い文字で煽り調のタイトルが書いてある。
いかにも宗教チックなビジュアルだった。
そこそこ多めのページ数、色鮮やかな印刷、ツルツルした表紙の紙と、印刷物としてのスペックだけ見れば立派なものだった。

表紙には小さな文字で、発行元と思しき宗教団体名が書かれていた。それまで聞いたことのない名前だった。
そういえばあの歯医者、あれだけ俺を熱心に勧誘しといて、入信させようとしている宗教団体名を一切口にしてなかったな。
これはいい資料をもらえたぞ……と、早速インターネットでその団体名を手がかりに検索して、どんな組織なのか調べてみることにした。

しばらく調査を進めた私はゾッとした。
その団体は公安からも特異集団としてマークされている程の、危険な宗教団体だったのである。

まず調べて出てきたのは教団の信者が過去に起こした数々の事件情報である。
めぼしい人を入信させるためにつきまとったり、拉致したり監禁したり、断わられたら暴行したり、といった刑事事件を過去に何度も起こしていた。
ひどい場合には被害者を骨折させてしまったケースもあるようだった。
また勧誘を行う場合だけでなく、教団からの退会を希望する信者への暴行事件や、対立する宗教団体施設への集団襲撃事件も起こしていた。
警察への被害相談も多数寄せられているようで、地域によっては団体の施設が家宅捜索されたケースもあるらしい。
インターネット上にも被害者対象のコミュティサイトが設立されていた。
名前こそ世間ではあまり聞くことはないが、カルト宗教通の間では悪名高い宗教団体のようだった。

もしあの時、歯医者の口車に乗せられてほいほいついていっていたら……と想像すると身の毛もよだつ思いだった。
逃げ切れて本当によかった、と胸をなでおろし安堵した。
私の場合相手は1人だったし、力尽くで入信させようとしてくるタイプでないことも幸いだった。

私が問題点を感じたのは暴行傷害云々だけではない。
先述の刑事事件は、言ってみれば心ないごく一部の信者が起こしてしまったトラブルかもしれない。しかし問題点は信者個人ではなく、団体自体にもあった。
この団体、「日本を救うためには日本人全員を自分たちと同じ宗派に改宗させなければならない」と本気で考えているらしく、とにかく他宗を「邪宗」と呼んで存在すら認めようとしないのである。
この傾向はあの歯医者の話を聞いていた際にもはっきり感じとれた。

「○○○○って有名な宗教団体がいるじゃないですか?あそこは日蓮大聖人様の名前を使いながら、金儲けばかりしてる成金宗教なんですよ。」
「今あちこちのお寺にいる僧侶だって銭のことしか頭にない。クソ坊頭ですよ」
「知り合いの具合がよくなく、その家に神棚があったからはずしました。神道も邪宗です。おかげで良くなりましたよ」

と、ニタニタ笑いながら誇らしげな様子で他の宗教を口撃する、彼の顔が思い起こされる。
確かに悪く言われてもしょうがないような悪徳宗教も世の中にはたくさんある。
しかしここまで排他的だとさすがに限度が過ぎる。私の祖父の家の座敷にも神棚が置かれてるが、別にとりわけて不幸なことなど起こってないぞ。
たとえ前述の刑事事件の件を差し引いたとしても、この教団が持つ排他的、高圧的なイデオロギー自体に全く賛同できなかった。

ひとまず一通り調べて、あの歯医者が私に帰依を勧めてきた宗派は問題ありまくりのトンデモ宗教であることが判明したわけである。
「我々は宗教団体ではありません。あなたに勧めているのは自然界の法則を学ぶだけの行為です」などと彼は言っていたが、立派な、いや立派でなく実に悪い意味で有名な宗教団体ではないか。
この時代にインターネットがあって本当によかった。
情報を仕入れることは身を守る上でとても大切だ。

「疲れた………」

目まぐるしく過ぎた1日に心身とも消耗しきった私は、ごろんと自室の畳の上で横になった。
魔の手から逃げ切った安心感と同時に、ふつふつと湧き出すような恐ろしさも感じていた。
一見どこにでもあるような、何気ないのどかな生活が流れていく日常の中に、あの歯医者のように妄信的で狂気じみた人間が潜んでいるのだ。
それも外部からはわからない、親切な医師という仮面をかぶった姿で。
このような多層化した現実が実在することに、私は心の底から恐怖を感じたのである。

その一方で、かすかな憤りも感じていた。
俺をこんなトンデモ宗教に入信させようと何時間も粘った上に、別々会計にさせやがって!つまらん話をさんざん聞いてやったんだからジュースくらい奢ってくれてもいいじゃないか!
何が「今日は遊びじゃないから奢りません」だよ!そもそも遊びの場で奢ってくれるいい大人は世の中にたくさんいるぞ!それも胡散臭いトンデモ宗教の教えか?

団体について調べていて目にしたのが、「この団体は騙しやすく気が弱そうな人を勧誘のターゲットとしてくる」という情報だった。
ちょっとバイクや絵のことを褒めたくらいで喜んでる私を見て、こいつならチョロいと思ったのかもしれない。しかし、思いのほか私はしぶとかったようだ。
私は基本的に能天気だが一方で頑固なところもあるから。

安堵と恐怖と呆れに似た憤りが順々に頭を回る中、私は新たなる悩みに直面していた。
あの歯医者と会食する前日、まだ彼の素性を知らぬ頃に医院でその日の治療を終えた私は、次の治療の予約を取ってしまっていたのである。
そしてその日はわずか数日後に迫っていた。

どうしよう?
あれほど危険な宗教団体への勧誘をしつこくされた私は、既にあの歯医者への信用など失っていた。
とりわけ団体名を口にせずに拠点に連れていこうとしたあたり、特にタチが悪い。
そんな彼が開業する医院には二度と行きたくなかった。
またニタニタとした笑顔で勧誘されたらたまったものではない。

しかし……
ここで焦って予約をキャンセルするのも考えものだ。
既に初診の際に本名も住所も電話番号も知られている。
医院と自宅との距離は徒歩10分程度、すぐ近くだ。
そしてあの医院には私の父親も通っている。
今のところ父から同じように勧誘されたような話は聞いてないし例の宗教に改宗した様子もないので大丈夫みたいだが……あの狂信的な歯医者のことだ、急にキャンセルして関係を絶とうとすれば、逆恨みで何をしてくるかわからない。
被害を受けるのが私だけならまだしも、両親をも巻き込んでしまう可能性がある。

さて、どうしたものだろう……
もちろんここで警察や両親に相談するという手もあった。
しかし、私はこのことをあまり大ごとにしたくはなかった。
しつこい勧誘には会ったが別に実被害は受けていない。
周囲に不安をまき散らさず、自身の問題としてひっそりと終わらせたかったのだ。
というより、この件を外に漏らすのがなんだか気持ち悪かった。
そうすることで更に見たくもない現実が、見えない世界から這い上がってきてしまうような予感がしたのである。
台所の方からは、先ほど出先から帰ってきた何も知らぬ母親が、夕飯の準備のため包丁をトントンと動かす音が聞こえていた。

――――――――――――――――――――――

数日後、治療予約日当日。

私はあの歯医者がいる、件の医院の前に佇んでいた。
色々と悩んだが、結局彼の医院で治療を続行することにしたのである。

理由はいくつかある。
まず、キャンセルして他の医院に乗り換えるとして、また一から自分で説明をしなければならないのが面倒であること。
第二に、先ほど述べた歯医者からの逆恨みによる復讐行為を恐れたこと。
なんだかんだでこれが一番の理由である。

その他、ここで自分が逃げたら、何だか彼に怖じ気づいたようで格好悪いだろうという若さ故の妙なプライドがあった。
それと、これはあくまでほんの少しだが、あの彼が果たしてもう一度私を勧誘してくるのかどうか見届けてみたい……という怖いもの見たさのような気持ちも存在していた。
ただし、もう一度私を勧誘してこようものなら、その時こそ他の医院に乗り換えてやろうと思っていた。
2回も勧誘されればさすがに穏和な私も怒りが恐怖心を通り越すだろう。その時こそ警察に相談してみてもいいだろう。

不安と懐疑心と、そして少しばかりの好奇心を抱えながら、私は何気ないそぶりで歯医者のドアをくぐった。


※件の宗教団体については、過剰なバッシング行為を避けるための配慮として、団体の名前は伏せさせていただきます。また多数ある日蓮系の宗派には穏やかな宗派も存在しており、本記事をもとに日蓮系教団というだけで偏った誤解や差別をされないようお願い申し上げます。



文:KOSSE
挿絵:ETSU

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【コミックエッセイ】ミョーチキリン日記(時系列まとめ)

くだらない話・不思議な話・ホラーな話を集めたコミックエッセイ。みょうちきりんな話が多いのでたぶん閲覧注意!
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コメント2件

宗教にしろ小説にしろ、信じるかどうかでなく、面白いかどうか、であろう。
確かにそうかもしれないですね。
彼はその教えをやってて楽しいものだと受け入れてて、その道に私も招待したかったのかもしれません。
が、私にはそれを面白いと思える才能がなかったようだ。
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