ミョーチキリン日記_コセの場合_カバー

歯医者の異常な愛情 その4 (カルマティックあげるよ ♯11)

例の歯科医が待ち受ける医院に、再び足を運ぶ決心をした私。

重たい入り口のドアを押し開け、平静を装いながら中に入る。
靴がぽつぽつと置かれた寂しげなシューズラック、無機質なベンチソファーが置かれた人気の少ない待合室、マスクをかけた中年女性の歯科助手が待機する受付カウンター。
何の変哲もない、どこの町にもありそうな小さな歯医者さんといった光景だ。
しかし、先日の出来事から院長の素顔を知ってしまった以上、私にとって既にここは「普通の歯医者さん」ではない。

例の院長は治療の最中らしく、待合室に姿は見えない。
ひとまず何気ない素振りで靴を脱ぎ、受付に診察券を渡す。

「コセさん、ようこそ〜。どうぞお座りになってお待ちください」

受付の歯科助手はにこやかな様子で案内してくれた。この人はけっこうな頻度で受付で立ち会うが、いつも柔らかく和やかな口調でほっとさせてくれる雰囲気の持ち主だった。

ひとまず、言われた通りにソファーに腰を下ろす。
近くにはのんびりした様子で新聞を広げ読みふけっているらしき、白髪の老人男性が一人座っていた。

時間を持て余していた私は、今まであまり注視してこなかった待合室の本棚を観察していた。
並べられた本の背表紙を順々に目で追っていくと.........見つけてしまった。
先日歯医者が私に手渡してきた、件の宗教団体が発行した書籍が、棚の片隅に納められていたのである。
背表紙の幅が5mm程度のやや薄めの本なので、他の厚い本に紛れて目立たず
今まで気がつかなかったのだ。

私は再び戦慄を覚えた。
不特性多数の人間が行き来する医院の待合室という場所に、自分が妄信する宗教団体の本を置いている院長の思考回路に対してである。
つまりあの院長は自身の信仰心を隠すつもりなど毛頭なく、それどころか本気で他人にもその宗教の教えについて理解してもらおうと思って、本棚に関連書籍を並べているということだ。
私は疑心暗鬼に包まれた。
この医院はもしかして、件の宗教を妄信する人々のコミュニティと化してしまっているのではないか?
いつも受付にいる明るい歯科助手の女性も、すぐそばで新聞を読んでいる患者の男性も、院長と同じ危険な宗教に既に染まりきってしまっているのではないか?
そして新しい獲物として、普段通りを装いながらも密かに院長と共に私を狙っているのではなかろうか?
そう思い込むと、恐怖心がじわりじわりと内面から押し寄せてくる。
そんな私の心境などお構い無しに、受付の歯科助手が呑気に呼ぶ声が聞こえた。

「コセさん、前の方が終わりました〜。どうぞ治療室の中へお入りください」

――――――――――――――――――――――

私は緊張しながら治療室の中へと入った。
ユニットの脇で、あの院長が待ち構えていた。
仕事着であるミントグリーンの大きなマスクをつけているため、表情はわかない。

「コセさん、おつかれさまです。先日はどうも」

はあどうも、と私からも一応返事を返す。
ただあんなことがあったので、下手に気持ちをエスカレートさせないよう無表情でさらっと返した。
声の調子からして彼は落ち着いた様子で、先日洋食屋で会った時のような狂気めいた感情的な喋り方ではなかった。
いわばいつもの仕事モードに戻っている様子だった。
誘導されたユニットのチェアに腰掛ける。
歯科助手からタオルが渡される。
治療スタート。
ガガ〜ッと作動音が鳴りながらチェアの背部分が倒されていく。
目をつむり、チェアに背を預けながら傾いていく私に向かって、院長は言った。

「また、ゆっくりお話しましょうね」

私は返事をしなかった。

「もうお前の勧誘話なんか聞くつもりもない」というスタンスを、沈黙することで遠回しに伝えようとしたのである。
まあちょうど治療に入ろうとしてたところなので、さりげなくこういく沈黙した態度をとることができた。
「もう治療に入るので喋るのやめときます」という回答とも解釈できるから。

院長は返答を要求する様子もなく、黙って施術を始めた。
私は治療を受けながら「逆恨みで変なことをされないかな?」とずっと心配していたのだが、感じる限りではおかしな行為をされることはなかった。
やがて20分程度の時間が経ち、その日の治療は終わった。

「コセさん、おつかれさまでした。次の予約を取ってお帰りください。お大事にどうぞ...」

院長は静かな口調で挨拶の言葉を述べると、軽くお辞儀をして私に背を向け、次の患者の治療準備へと取りかかった。
私はというと、けっこう拍子抜けしていた。
また私をしつこく勧誘してきたり、変なことをしてきたりしたら、治療の途中でも文句を言って帰ってやろうと決意してやってきたのだが、どうやら杞憂に終わったようだ。
またお話しましょうと声をかけてきた際に無視したのが、もしかしたら効いたのかもしれない。

帰り際、受付にて会計と次の予約を済ませる。
ここで予約を入れずに何かしら理由をつけてフェードアウトする、という手もあったが、その後が面倒になるかもしれないので、様子を見つつもとりあえず治療を受け続けることにした。
医院を出る際、受付の歯科助手も「お大事にどうぞ〜!」とにこやかに挨拶してくれた。

ドアを開け外に出る。
医院の中にいる間にずっと縛られていた緊張感がやっと解け、代わりに安堵の気持ちに身が包まれていくのを感じた。
ひとまず今日のところは、何事もなく無事に終わった。
ほっとして胸を撫で下ろす思いだった。
しかし、次の治療も油断はできない。
また隙をついて私を件の教団の中に連れ込もうとしてくるかもしれない。
そして、あの医院の中にいる他の人間もどれだけグルかわかったもんじゃない。
そう心の中で自分に言い聞かせながら、バイクのアクセルをふかし、家へと向かうのだった。
真夏の蒸し暑い夕暮れ前の時間、短い家路なれどバイクにまたがって風を切りながら走るのは、とても気持ちがよかった。

――――――――――――――――――――――

それから週に1度か2度の頻度で、同じ医院での治療は続いた。
私は常に院長に対して警戒心を抱きながら通い続けた。

しかし院長は治療経過の説明や簡単な世間話等は口にすれど、再び私のことを例の宗教に勧誘してくることはなかった。
狂信的な人間なれど、さすがに自分の職場でそんな常識はずれな行為をするほど愚かではなかったらしい。
直接的な勧誘はもちろん、以前のようなお茶の誘いをしてくることもなかった。
逆恨みから治療中におかしなことをしてくることもなかった。
周囲のスタッフや客もグルなのではないかと危惧していたが、彼等が私に特別
何かをしてくるということもなかった。
まあ裏では同じ宗派の信者として手を組んで仲良くやっていたのかもしれないが、私は別に被害を受けてないし本当のところはどうかわからない。
気味は悪いけど。

そうして暑い夏が過ぎ去り、暦が秋に入り、街中の木々の葉も色付いてきたころ。
当の医院における全ての治療プログラムが終わり、私はようやく退院することになった。

「コセさん、長い間おつかれさまでした。今日でようやく終了です!」

院長は深針をカチャンと置くと同時に、私に労いの言葉をかけてくれた。
相変わらずマスクのせいで表情は伺えないが、明るめの声のトーンからして院長も喜んでいる感じだった。

ありがとうございます、と私も思わず上がり気味のテンションの声で答えた。思えば蒸し暑い梅雨の時期から葉っぱも色づく秋になるこの季節まで約4ヶ月間、ずっとこの歯医者に通ってきたのだった。
患者の立場と言えどミッションを果たした達成感がある。
これだけの治療期間が必要なほど歯を悪くしてやって来たのだから、私も迷惑な客だ。
まあ患者を危険な宗教に入信させようとする医者の方が10000倍迷惑だと思うけど。
その件さえなければ私にとっては最後まで素晴らしい歯医者さんだったろう。
外に呼び出され気が狂った様子で入信を迫られたのは恐怖体験だったが、治療自体はちゃんと最後まで面倒を見てくれた。
そこについては感謝の気持ちでいっぱいだ。
しかし自分のことを宗教に勧誘してきた歯医者の元に最後まで通い続けたんだから、私も私で変わり者だ。

受付にて最後の会計を済ませる。
今日で終了ということもあってか、院長もわざわざ受付まで出向いて別れの挨拶に来てくれた。

「また何かありましたらお気軽にいらっしゃってください。今までおつかれさまでした。お大事にどうぞ」

院長は爽やかな笑顔で声をかけてくれた。
珍しくマスクを取っている。
素顔を見るのは洋食屋で会ったあの時以来だ。
ちょっとあの時の記憶がフラッシュバックしかけたものの、やっと治療が終わったことで私も晴れ晴れとした気持ちになっており、あまり嫌な印象は感じなかった。
私もそれなりの笑顔でありがとうございました、と礼を言った。


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しかし再びそこを受診する気はなかった。
最後まで熱心に治療をしてくれたとは言え、患者をカルト宗教に勧誘してくるような医者が経営しているような医院にはもう二度と行きたくはない。
他のスタッフに罪はないとしてもだ。
ようやく治療が一段落したので、次からはもう他の歯科医に乗り換えても構わないだろう。
それくらいなら一般レベルでもよくあることだ、そう思っていた。
その日はバイクではなく、徒歩で来ていた。
医院を出て前の道を歩いている途中、ふと医院の中を振り返ってみた。
ガラス越しでは院長が私のことなどお構い無しに、次の患者の治療を行っていた。
夕暮れ時の帰り道を歩きつつ、ようやくこの狂った歯科医の治療から解放された安心感と同時に、少しだけ名残惜しさも感じていた。数ヶ月も通った医院だから多少の情もわいてたのかも知れない。
愛憎入り交じるとはまさにこのことを言うのだろうか。

結局のところあの日以来、歯医者が私を例の宗教に再度勧誘してくることはなかった。
こいつはもう脈なしだ、と潔くあきらめてくれたのかもしれない。
そうであれば双方にとって今後角も立たず、ベターな別れ方と言えるだろう。
私は帰り道である車でごった返す国道脇の歩道をのんびり歩きながら、走り行く自動車の騒音をよそに涼しげな秋の風を楽しんでいた。

――――――――――――――――――――――

退院してから少し経った、11月下旬頃。
私は遠く離れた街で新たな仕事に就くことになり、地元を離れることになった。
この慣れ親しんだ土地にも、基本的には年末年始や連休中にしか帰ってこないことになる。
当然、あの歯医者ともサヨナラだ。
遠く離れてしまっては、たとえ通いたくとも通えない。
もう通う気なんざ毛頭ないけれど。
生まれ育ったこの土地では幼い頃から色々なことを経験してきたが、このエッセイで書いた歯医者との一件は、その中でも印象深いエピソードの一つとなった。
何気ない日常の風景の中に、狂信的で危険な人物が、外の世界から眺めただけはわからないように、潜んで息をしながら獲物を狙っている。
牧歌的で親切な人間という仮面をかぶりながら。
そんな「オモテからは見えない世界がこの世には実在する」という現実を、この一件で私は痛感することができた。
そういう意味で私にとってこの体験は、大人になっていく上で重要な通過儀礼を受けることができたと言えるのかもしれない。

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冬に入り、そして紅白歌合戦が終わり、年が明けた頃。
実家に帰省していた私の元に、年賀状が届いた。
差出人を見ると、あの歯科の院長からであった。

「お仕事の方はどうですか Bigになって帰ってきて下さい」

と、激励の言葉が新年の挨拶に交えて書いてあった。
そういえば新しい仕事に着くため地元を離れることを、完治する直前にあの歯医者にも伝えていたのだった。
悪い気はしなかったので、それなりに気さくな文面を整えて返事を投函した。ヘタクソながらもがんばって描いた、バイクに腰かけ自信ありげな顔でVサインをかざす少女のイラストを添えて。




文:KOSSE
挿絵:ETSU
目次→https://note.com/maybecucumbers/n/n99c3f3e24eb0

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