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推しCMの話(うっすら不気味編)

[ShortNote:2021.1.23]

(↑独断による分類)  

 「怖いCM」と「怖くないCM」の間には「なんとなく不気味なCM」があります。今回は上の分類でいうとグレード2くらい。とはいっても感じ方には個人差があるので「怖いCM」だったらごめんなさい。


・三田工業(1984年~)

 コピー機の三田工業(現・京セラドキュメントソリューションズ)のCM。毎年お正月に放送されていたものですが、この世に存在するお正月CMの中で一番正月らしくないテイストです。高層ビルの爆破解体を静かに見せたり、都会のビル群に空母を出現させたり、空から自動車が降ってきたり、凍りついた廃墟のビル街が出てきたり、どことなくシュールレアリスムっぽくて幻想的です。こういう世界観にハマる人は絶対好きだと思います。私は大好きです。

 CMに出演もしているジャズシンガーの阿川泰子さんが歌う曲がかかるんですが、これがまた雰囲気を高めています。「巨大なモノが跡形もなく崩壊する」爆破解体に切なさを感じさせるスローな「GOOD-BYE」を合わせたり、威風堂々たる空母のバックにアップテンポな「NIGHT LINE」を流したり、CMって音楽も大事なんだなと改めて実感させてくれます。  

 「明日は変わるでしょうか。コピーは変わるでしょうか。」というキャッチコピーもうまいです。個人的には「もしもその一言が伝えられたら、明日は変わるかもしれません。」というコピーも好きでした。

 いずれにせよこのCMのテーマは「技術革新」であり、その新しさを伝えるためには既にあるような紋切り型の表現ではダメだと考えたからこそこういう独創的なものになったのではないかと思います。しかも誰も見たことのないCMであるにもかかわらず伝えたいことはちゃんと伝わるというのがすごいです。


・ダスキンユナイテッドレントオール(1987~1993年頃)

 見て「これってこういうことなんじゃないか」といろいろ想像できるCMが大好きです。いくつかバリエーションがありますが、一番想像してしまうのが「ベッド編」です。

 誰もいない高層ビル(ヨーロッパのアパートメントのような外観の建物)の窓から投げ捨てられたベビーベッドがゆっくりと中庭へ落下していき、「買ってしまうと、邪魔になるのよねえ」という気だるげな女性のナレーションがかぶさります。色調もBGMも抑制が効いています。人は一人も登場しません。窓からベッドを捨てた人の姿も一切映りません。

 これは「長く使うわけではないものはレンタルして使いましょう」というメッセージであることは明確なのですが、なぜか「赤ちゃんが邪魔になったから捨てた」ようにも見えてしまうのが怖いです。ベビーベッドの柵におもちゃがくくりつけられているのがまた生々しい。産んでしまうと、邪魔になるのよねえ。

・ニコレット(ジョンソン・エンド・ジョンソン/2001年~)

 みんなのトラウマ「吸いたくなるマン」でおなじみ。あんなビジュアルでそんなライトな名前だったのか。リアルタイム世代なので思い入れがあります。めちゃくちゃ怖かった。なんなんでしょうかあの顔。あれはタバコの擬人化というより「禁煙してるのにタバコを吸いたくなる気持ち」の擬人化なんだと思います。タバコは吸ったことがないのでわかりませんが、あんな恐ろしい形相で表されるぐらいなので相当大変なのでしょう。ただニコレットを噛むことによりやられてしまうという情けなさがあることでコミカルなキャラクターにもなっていると思います。あれであいつをやっつけられるんだったらタバコ吸わないけどニコレット噛みたくなります。音楽もいいですね。

・ナショナルハイトップ 人造人間(松下電器産業/1974年)

 ディストピア系SFの匂いがする。哲学の分野で「自分以外の人間がロボットではないことは証明できない」という問題があり、世にも奇妙な物語にもこういう話があったような気がしますが、スーツのジャケットをめくった下のメカメカしさが強烈です。説明に使われたおもちゃだけが乾電池で動く非生物だと思っていたのに実はその「人間」も同じだったという強いオチ。胸から乾電池を抜き取ってそのままバタンと倒れるラストはショッキングであると同時にどこか物悲しい。そしてウサギのおもちゃが叩く太鼓の音だけがそのまま流れ続けて終わるのが怖い。生物が滅びて荒廃した世界で誰もいないのにずっと動き続けている機械を思わせる。世界の寿命より長いくらいハイトップは長持ちするというメッセージだとしたら正しいですね。人造人間役のトビー門口さんの無機質さもSFらしくて素敵。倒れ方も人間味がゼロで綺麗。

 CM殿堂という本に裏話が載っていたんですが、ラストは顔のアップで目玉がなくライトだけが当たっているという「恐怖オチ」も考えていたが気持ち悪すぎるので没になったそうです。そんなことをしていたら死人が出ていたかもしれないのでボツになってよかった。他には倒れるシーンは保険に入っているから大丈夫保険に入っているから大丈夫的なことをプロデューサーが言ったとか、1回だけの予定だったけどNGが出て結局やり直したとか。


・かれは、世間に顔向けができません。(日本損害保険協会/1975年)

 「恐怖訴求」という型のCMです。恐怖心に訴えかけて商品やサービスをアピールするのは威力がものすごい代わりに見境なく使いまくると狼少年のようになってしまう上、「何脅して買わせてんだよ」と消費者からいらぬ反感を買ってしまう恐れもあります。が、保険や交通安全など人の命にかかわる分野では恐怖訴求が有効になります。これも自動車保険への加入を訴えるCMなので、この形式を最大限生かすためにビジュアルは正座したごく普通のサラリーマン風の男性の後ろ姿だけで、淡々としたナレーションベースになっています。「かれは、世間に顔向けができません。あの時雨さえ降っていなかったら。せめて保険にだけでも入っていたら。でも、もう遅いんです。起こしてしまった自動車事故。今日もハンドルを握るあなたの、あしたの後姿かもしれません」たったこれだけのナレーションでこの保険未加入で加害者になってしまった男性の過去・現在・未来への想像を膨らませてきます。

 そしてCMが作られたのがモータリゼーション時代を経て自動車がすみからすみまで普及した1970年代であることも時流に乗っています。誰もかれもが時に凶器になりうる自動車を運転するようになった時代ではないと、「今日もハンドルを握るあなたの、あしたの後姿かもしれません」は効きません。恐ろしく冴え渡ったCMだと思います。もはやCMという名の警告なのかもしれない。

 日本損害保険協会は個人的にこういう広告の名手だと思っていて、「交通事故の賠償のために家を売る人もいます」というメッセージのCM・新聞広告もかなり怖いです。こちらのビジュアルは集合住宅で1つだけぽつんとある真っ暗な部屋。他の部屋に煌々と明かりがともってにぎやかな家族の人影があるので、より一層目立つこの暗い部屋に住んでいた一家の悲惨な末路を示唆しているようでゾクッとします。まさかあの後ろ姿の人の家族では……。やっぱり想像を膨らませてくれる広告はいい広告。

参考文献:CM殿堂 時代を超えるアイディアとクリエイターたち/全日本シーエム放送連盟 時代を映したキャッチフレーズ事典/深川英雄、相沢秀一、伊藤德三編

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