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20190622 明るい空にみつぼし光る

京丹波のみつぼし庵という場所でおいしい食事とライブのイベントをした。

みつぼし庵はおばあちゃんちのようで、ついつい眠ってしまいたくなる。

すぐそばには川が流れていて、小さな魚がたくさん泳いでいた。草むらには蛙がいて、子供と一緒に蛙を追いかけまわして遊んだ。

ライブは、荘厳で神聖なかんじとおちゃめで愛くるしいかんじを行ったり来たりしていた。

出演の、ばきりノすのラスさんとmollenのみおさん(今回はmollenでの出演ではなかったのだけど)は親御さんが来ていらして、こういうのは初めて、と言っていた。なんだかそういうことができる場って、すごくいいなと思う。たしかに私もここに家族を呼びたい、きっと好きだろうな、と思った。

ライブじたいも、普段のお客様がたとは少し層も違い、そんな方々がじっと見聞きされている様子を、私もまたじっと見ていた。


ライブが終わるとバーベキューをした。今年二度目のバーベキュー。大人になってからほとんどバーベキューなんかしていなかった気がするのに、おかしいな。しかしお酒を飲みながらするバーベキューはたのしい。

大人になると、子供のころしていたことの違う楽しみ方が見えてきて、世界ってこういうかんじだったのか、というか、世界、あんがい悪くないな、と思うことが増えてくる。


暗くなったころ、蛍を探しに出かけた。
はじめはちっとも見つからなかったが、そのうち一匹、また一匹と姿が見え始めた。
杉の木の隙間を縫って、蛍たちが泳いでいる。もっと奥に進む。一人でずんずん歩いてゆく。向こうから犬の遠吠えが聞こえてくる。川の流れる音が大きくなる。
あ、蛍、そこにも蛍、と見ていると、すべての光、そしてその反射がすべて蛍に見えてきた。
手のひらに閉じ込めた蛍はかすかにぬくい。申し訳なくなってすぐに放つ。

子供のころ、毎年家族で蛍を見にいった。
そうでない年には、お父さんが仕事帰りに蛍を捕まえてきてくれた。
だいたいは家の前の畑に放したが、何度か寝室に放って眠ったことがある。
天井や壁でぼうっと光る蛍を眺めながら眠った。プラネタリウムみたいだと思った。
翌朝蛍の死骸を見たことがなかったのは、きっとお父さんかお母さんが死骸を片してくれていたか、生きているものは放ってくれていたんだろうな。


そのあとみんなで花火をした。
花火に付属していたおまけのメガネを翳して光を見ると、ドラえもんやキティちゃんの形に見える。
みんななぜかこれにハマってしまって、代わる代わるメガネを覗き込んでは涙が出るほどゲラゲラ笑っていた。
花火が噴射して小さく弧を描いて火の粉が落ちてゆくときと、線香花火の最後のたまがポトと落ちるときが特によかった。

花火をするとなぜだかちょっとセンチメンタルになりがちだが、みんなこのメガネのおかげで終始笑い転げていた。


私も帰り道、ラスさんの運転する車の後部座席に座りながら、ずっとメガネを覗き込んでいた。
高速で通り過ぎる光の粒がぜんぶドラえもんに見える。

ラスさんが、運転しながら「ちょっと貸して」と言って一瞬メガネを覗き込んで笑った。あんな視界で運転できるなんてすごいな!


家に帰ると自分から煙の匂いがした。煙い服を脱いで、シャワーを浴びてもまだどこか煙い。その匂いを纏ったまま眠ったら、翌朝にはすっかり消えてなくなっていた。


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