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真実を言うと誰かに嫌われる寂しい世の中

今は「本当のことを言うと、誰かに嫌われる世の中」らしい。
先日のグレタへの日本人のコメントは、まさにそのことを表しているのではないだろうか。このことをササっと考えてみたい。

少しひねって考えると、「誰かに嫌われるまでしないと、本当のことが言えない世の中。」とも言えるのだろう。
なんで嫌われるのか。それはきっと、真実と向き合いたくない頭がゴリゴリに固まった大人や、お金に欲望が汚染されたことを認めたくない人、現実と向き合うと自分の人生が無駄であったと認識される危機があるのでそれを否定したい人など、そのような人たちにとって、グレタが恐怖の存在だからだろう。
そんな人たちが、現実に向き合っている少女を叩く。
なんて寂しい時代なんだ。
こういうところに大人気ないって使うんじゃないの?
理想主義の怖さから逃げて、影を見ずに肯定したい方々は、現実を見つめる人を攻撃したいみたいだ。なんで夢を肯定しなければいけないのか、それは自分を認めたいからだ。自分のやってきたこと、やろうとしていることが正しいと認めたい。
つまりこんな人たちは、アイデンティティーが自分だけで確立されていないのかもしれない。他の人を攻撃することによって、自分のことを理解しようと努めている結果なのかもしれない。
そう考えると、攻撃している人は少し寂しい人なのかもしれない。だから嫌うというよりは実は、嫉妬なんだと思う。
そしてただの感情論だけで、理屈を述べるからこそ空虚な言葉がSNSに並んでいるんだろう。今の時代、そんな空虚な言葉で否定されてこそ、意味のあることをしているという証拠なのかもしれない。
夢の中で生きている人たちは、夢を追い求めることに夢中すぎて、現実を見るのが怖くてたまらないらしい。
だけど、そんなに現実を怖くしてるのは、その人たち自身なんだけどね。


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