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宝物。

今日は私の祖父の命日。
私が0歳の時に他界したので、全く記憶はないが、人生で1番の宝物「万由子」という名前を付けてくれた。
父方の祖父は新聞記者だった。経済の記事をはじめアフリカに長期滞在をして現地取材をしたり、太平洋戦争下は特攻隊出撃前夜の若者たちの記事を書くなど様々な経験をしてきた。
そんな祖父の夢は新聞記者を引退したら大好きな短歌を思う存分詠んだり、歌謡曲の作詞家になって自由に詩を作ることだったそうだ。祖父は話も歌もお酒も大好きで、夕飯の後は、晩酌をしながら記者として経験したあれこれをお喋りしてくれたらしい。そして、ギターの弾き語りをするお嫁さん(母)の歌を笑顔で聴いていたらしい。

しかし、もうすぐ退職という矢先に、若くして亡くなった。まるで入れ替わるように生まれてきた私に、万葉集から名前をつけてくれたのには、何か祖父の深い思いがあったのではないだろうか?大人になってからそんなことを考えるようになった。
会ったこともない祖父と、時々心の中で対話することがある。不思議と見守られていると感じることがある。大学受験の勉強をしていた時や、ラジオ局で伝える仕事を始めた時。とても哀しいニュースを伝えなくてはいけなかった時や震災の時。色んな局面で祖父のことを思い出した。
もし、祖父が生きていたらどんな言葉をかけてくれたかな?伝える仕事って何だろう?何のために言葉を紡ぐのだろう。
遺影の祖父しか知らないけれど、言葉が聞こえてくるような気がしていた。

そして、今。10歳になる生意気盛りの私の娘は歌手になって大スターになりたい、と無邪気に言っている。それを聞いたら祖父は喜んでくれるかな?なんて、考えていたところ。「そうかそうか、それはいい。じゃあワシが詩を作るから、歌ってくれや!」
全ては私の想像の世界のことに過ぎないけれど、祖父との対話は私をいつも強くしてくれる。みえない力ほど自分に漲る光を与えてくれるものはないと思う。
おじいちゃん、亡くなった日も限りなく広く澄んだ紺碧の空に、強く風が吹く日だったのかな。いつもありがとう、愛を送ります。
万由子

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