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(23)すべてを手放してまっさらな自分へ。


宿やってた家を手放すと決め、群馬を去る

4年間ものパートナーシップが終わったことをきっかけに自分でやっていた宿を終わらせることにした。

付き合っていたパートナーと一緒に住みながら宿として使っていた、9LDKの離れ・庭付きのおうち。

パートナー関係を解消することに決まった時、一瞬は考えた。

ひとりでこのまま、
この群馬という土地で
この9LDKの物件で
自分の生業を続けていくのか、辞めるのか。

せっかくおうち借りてるし
せっかく大家さんともいい関係性を築けてるし
せっかく告知していろんな県からひとが泊まりにきてくれているし
せっかくいろんなイベントをやったりしていたし
せっかくお気に入りの家具を集めたし
せっかくいい感じの壁紙に張り替えたし
せっかく時間とエネルギーとお金をかけて、このおうちを心地いい空間に育て上げてきたし。

思うことはいろいろあった。
でも、びっくりするくらいに迷わなかった。

辞めることに決めた。

自分のその直感は
かけてきたエネルギー・時間・お金などの
損得勘定で誤魔化せるものではなかった。

わたしはパートナーの存在があったから
この群馬という土地と出会って、生きてきた。

けれど、お別れして、
たったひとり、
こばやしまゆの人生を歩むってときに
わたしが選ぶ地は
わたしが生きてたい土地は
群馬ではない、って思った。

もちろん、群馬はだいすきだ。
群馬で出会ったたくさんの愛おしい人たちがいる。

でもそのことは
まゆがひとりで群馬で生き続ける理由にはならなかった。

次の行き先も決まってない。
どこでどう生きていくのかもわからない。
だけど、ここを出ることに決めた。


削ぎまくった生きる荷物


この群馬の家を借りてから
わたしの育ての親であるおばあちゃんが死んだ。

わたしはおばあちゃんに育てられ
おばあちゃんちから小・中・高通ったから
わたしの自分の部屋はおばあちゃんちにあって
わたしが「実家」と感じているのも
おばあちゃんちだった。

でも
ひいおばあちゃんと
おじいちゃんが数年前に亡くなって
わたしの実家でひとりで生きていたおばあちゃんも、ついになくなって。

まゆの実家に住む人が誰もいなくなって
その家は取り壊されて土地を売るという話になり、まゆは18年間生きてきた自分の部屋が無くなることになった。

自分の部屋を整理しなければならなくなり
部屋にある全てのものと向き合った。
18年間生きてきた思い出すべてを、見直して、読み直して、時を超えてたくさん愛を受け取って、捨てた。
ただ、ひたすら、断捨離をした。

卒業アルバムや友達からもらったお手紙たち、思い出の品々、すべて捨てた。

そういうものは
自分にとっての実家や
自分にとっての居場所・拠点があるからこそ
手元にとっておけるものなのだと知った。

それは決して当たり前なことではなかったのだ。

思い出は愛おしい。
でも家がないし、置いておける場所もないし、自分でその全てを携えながら生きてもいけないから、その思い出を、そこに在る愛を、この胸に刻み残す、と決めて、捨てるしかなかった。

そんふうに、ありとあらゆるものを手放し、まっさらな私になった。

手元には必要最低限の生きる荷物のみ。

この小林茉優という身ひとつで生きてゆく覚悟を何度もした。


まゆを生かしたいと思ってくれた、たくさんの人たち


大学をやめて学歴も捨て
自分で宿をやっていた生業の拠点も捨て
自分が大切に創ってきた生きる家も捨て
自分にとって大切な思い出たちも捨て
自分にとって大切な物たちも捨て

ありとあらゆるものを捨ててくなかで

ほんとに、この
「小林茉優」という身ひとつで生きていく覚悟
を、何度もした。


「お先まっくら」ならぬ
「お先まっさら」だった。

まさに当時、生きる荷物という荷物を
突然真夜中に断捨離しているときに
Live配信していたときのがこれ。笑

3時間も話してた。
『これどうしようかな〜捨てようかな〜捨てる!』とか言いながら、いろいろ自分の人生を話してる。


まゆは、
まゆの今の姿を
ぜーーんぶ晒した。

ピンチをチャンスにするには晒すしかないと思ってた。笑

勇気を出して自分をオープンにして
素直に助けてほしいと言える人間を
神様が、世の中が、この世界が、
見捨てるわけないと思った。

次に何があるわけでもないのに宿という生業を手放す。
次にどこに住むわけでもないのに家を手放す。

仕事も家もお金も、なにもかもが無くなって、
そうして自分の元には
何がやって来るのか
誰からの何が届くのか
どんな出来事が起きて来るのか
どんな流れが生まれるのか
それに身を委ねてみたかった。


たくさんの人からの愛が届いた。
ひとり、またひとりと、連絡が来るたびにまゆは嬉しくて泣いていた。

沖縄と、神津島と、佐渡と、横浜と、横須賀と、北海道と、三重に、うちに来ていいよって、タダで住んでいいよって言ってくれるひとがいた。


そしてまゆは、数ある中から、横須賀の画家をやっているおともだちのおうちに行くことにした。


先に手放すということ

未来になんの確証や確約がないのに
なにかを手放すということは怖い。

それでもまずは
手放すということが先なのだと思う。

というより、まゆという人間が
そっちのほうが好き。

生きてる心地がして
人生の旅をしている感があるから。

常に予定があって
常に決まっている未来があって
すべてがスケジューリングされているのは
生きるのだって
出かけるのだって
それは旅とは言わない。


旅行と旅の違いって
スケジューリングするかどうかってのが
一つあると思ってて。

旅はスケジューリングしないからこそ
起きる出来事や
起きる出会いに
身を任せることができる。

まゆはそれがすきなんだな〜

それは生きてても同じ。

「余白に奇跡は舞い込む」的なこと
誰か有名な人が言ってた気がするけど
ほんと、
余白、空白って大事だと思う。

だからこそ、
それを生むには、
まず、手放す、ということなのだと思う。


ほんとに大きな決断をした過去の自分を褒めたい。

それがまだ去年の話だなんて信じられない。

去年の1月のお話。
そこから1年と8ヶ月。
もう少しで2年か。

まゆの目に映る世界は、拡がりに拡がった。

そんなお話を最後に。

とってもよろこびます♡