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(14)マンデラさんから学んだ、ひとを赦すこと、愛すること。


わたしが心の底から尊敬している人間のひとりが、ネルソンマンデラさん。


元南アフリカ大統領で公民権活動家のネルソン・マンデラは、平等を求める闘いに生涯をささげ、南アフリカの人種隔離政策、アパルトヘイトの終焉に貢献し1993年にノーベル平和賞を受賞した。生涯をかけて終わりなき人種差別との闘い続け、世界一有名な政治犯から南アフリカ初の黒人大統領となった。



ピースボートでは、アパルトヘイト時代に、黒人居住区とされていたソウェトという地域にホームステイをしたり、ソウェト蜂起が起きたレジーナムンディ教会やマンデラさんが実際に住んでいたマンデラハウスに足を運んだり、マンデラさんと共にアパルトヘイトの時代を生きたビクターマトムさんという写真家の方に会って話を聞いたりした。



マンデラさんの言葉でわたしが一番好きなのが
『赦しこそが恐怖を取り除く最大の武器』


赦すということは、
人間の最も尊い行為のようにおもう。
赦せるってことは愛してるってこと。
赦しの中に、赦しの根っこに愛がある。

肌の色が違うってだけで
理不尽に殺され、傷つけられ、奪われ。
憎しみにやるせなさに、拳を握る。
怒りと憎しみがからだを支配するだろうなと
わたしは思う。

でも、マンデラさんは
生まれたときから、肌の色や育ち、宗教で他人を憎む人などいない。人は憎むことを学ぶのだ。もし憎しみを学べるのなら、愛を教えることもできる。愛は、憎しみに比べ、より自然に人間の心にとどく』と言うのだ。すばらしすぎ。


傷つけてきた相手に
怒りや悲しみが溢れる心境で、
憎しみに握りしめた拳を、
ひらき、赦すこと。

そんなことができるのって
本当にすごいことだなあってわたしは思う。


この世に溢れているのは
愛する方法よりも、
愛されるための方法・情報・知識。

愛される人間になる○つの方法だとか
愛され女になるためのなんちゃらとか

確かに人間には
愛されている、という実感がとても大切だ。

あなたはあなたのままでいいんだよ
あなたはそのままで素晴らしい価値があるんだよ
あなたはかけがえのない生命なんだよ
あなたは愛されるべき存在なんだよ
と、そう感じれる実感。

この世に溢れる
愛される方法は、

ほんとの真髄は
安心したいがため
なんじゃないかって思う。


「愛されたい」
そのもっと奥の声は
「安心したい」


そんな気がする。


安心は、人からもらおうとしてもいいけど、
そうするとちょっとばかし大変だ。

人はコントロールできないから。

引き出そうと
求めようと
すればするほどに、
手に入りにくくなる。


だからわたしは、
安心は、本来外側に求めるものじゃなく
安心は、本来外側に左右されるものじゃなく
自分のこころに自ら生むものって思ってる。

自分の中に
どんな記憶、感情、傷があるのかを
見つめ、癒し、
他者に明け渡すことのない安心を
自らの内に育めて初めて、誰かを愛せる土台に立つ。


まず、
自分を愛せてる分しか
相手を愛せないから、

誰かを愛するには
まず自分を愛さなきゃならない。


それができて初めて
誰かを真に愛することができる。


生半可じゃないのだ。
一朝一夕にできることではない。


わたしもええとても、苦労しました。
過去にお付き合いをしたひとからたくさん愛し方を学びました。わたしの愛し方の下手さ具合を笑い合うこともありました。

その中でわかったことは

愛するということは
自分の感情を超えて、赦すこと
と同じなんだということ。


黒人が不条理に差別を受けていた時代
白人[政府]に家族や大切な人を傷つけられても
大切な人を殺され続けてもなお

相手を殴る拳(こぶし)ではなく
相手と手を繋ぐ掌(てのひら)を広げた

ネルソンマンデラさんの生き様のようなことだと
わたしはおもう。


マンデラさんは人間を愛していたのだと思う。

わたしが4年前ピースボートに乗って
南アフリカのアパルトヘイトの歴史を学んで
マンデラさんの考え方や思想
なにより生き様に、心の底から感動した。

と同時に、わたしには到底できない、と思った。
わたしは大切な人殺されたら、
その相手を殺したくなってしまうって思った。

だけど、マンデラさんの生き様に触れた時
わたしの胸は胸は震えていた。涙は溢れていた。

自分の大切なものを傷つけられてまで
相手を赦すだなんて、
そんな激しい感情を超えて
相手に手を差し伸べるだなんて
わたしには絶対無理だ、と思うと同時に、
でもそう在りたいと望む自分がいることに
気がついたのだ。


その時思った。
ひとは、どんな感情にまみれていても
どんな、怒りや悲しみにまみれていても、
どこか本質的には
どこか潜在的には
愛することを願ってしまう生き物なのではないかと。



赦すって
いちばん簡単に
自分を愛する行為なのかもしれない。

愛するって、
いちばん簡単に
幸せになる方法なのかもしれない。



愛せないとき
憎いとき
被害者感に溢れてるとき

一番苦しいのは自分で、
その時には、なかなか幸せは感じれない。



自分の身を守るために握る手の拳も
誰かを責めたくて攻撃するために握る手の拳も

その手を
開くときには
勇気がいる。
素直さがいる。

でもその手を
生きているうちに
一体どれだけの勇気を出し、素直になり
開くことができるか
ただ、それだけ
なのだとわたしはおもう。


マンデラさんが確かに生きた地に
足を運べてとってもよかった。

とってもよろこびます♡