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音楽に込めた祈り。

初めまして。mayuです。

第一回目のnote投稿なので、自己紹介を。

2006年にシンガーソングライターとしてメジャーデビューをし、芸能活動をしておりました。

現在では、レコードレーベルや俳優事務所所属のアーティストや女優さんへのボイストレーニング等をしております。

今日は、初心を忘れないように。
私が音楽に込めている、祈りのお話を綴りたいと思います。

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私は、子供の頃から、音楽がとても神聖なものだと感じています。

ハッキリ覚えているのが、まだ小学生だった時に、ピアノの前に座りながら

“音楽には嘘をつけない。どんなに笑顔を作ってピアノを弾いても、心が悲しければ、悲しい音になるな”

と一人呟いたこと。

だからなのか、自然と

楽器(私の場合、主にピアノ)を弾く時、テクニックは勿論のこと、自然と、心の中の状態も、とても気にしていました。


時が経って、大人になった今、そして、芸能活動を経験し、ボーカル講師となった今、

将来、音楽で生計を立てたい、または、既に人前で演奏をしてお金を頂いている、セミプロレベルの方を見て、思う事があります。それは

音楽を大切にしていない

ということ。


どういう事かと言うと、音楽を

自己顕示欲を満たす為のツール


にしている方が、多いということ。

趣味なら良いと思うんです。音を楽しむ理由は様々ですし、難しい事を抜きに、ただ、ただ、楽しめれば、それでオッケー(^^)

問題は、それを仕事にする人たち。

現代のエンターテイメントも、正にそうですね。経済を回す為のツール。その為、確実に日本の音楽レベル(聞く側も含めて)は落ちています。

私の歌の師である、佐々木勉先生も

“音楽教育を長年やっているが、音楽を聞いている生徒が本当に少ない。

音楽から人間の歴史的なマインド、情景の質量、運動性、整数を感じ、死との苦しみ、生物としての循環性を見出す作業がない。

マインド、ハート、ソウルを体内で感じ、覚醒させ表現するカントレに程遠い。

左脳と右脳の葛藤、生物的な欲との葛藤を爆発させ、音楽を見つけ出す行程もない。

若いアーティストが言っている音楽は降って湧いた、降りてきたものではなく、緊張しているものから衝撃を与えて音を見つけるものである、それもとびっきりな幸福を。

とにかく聞く、聴く、感じる。
眼を閉じ、音楽に深心し没入する。
音楽の精神性こそ、これからの時代の必須、デザインだ。

もし、これが失われていくとしたら恐ろしい世の中になる。”

と、お話しされています。


近年、音楽スクール業界も競争主義になり、簡単な譜面も読めない、書けない方が講師になる事も増えてきました。

更に、癒しブームに乗り、音や歌で癒すと謳いながら、音楽の学びを何もしていない方が、講師になるケースも出てきています。

周波数やエネルギー等、頭だけの知識だけは豊富でありますが、肝心の音楽を奏でる段階になると、心と身体(感性や耳が育ってない事を含め)の成熟が追いついていない為、音楽とは到底言えない音を、奏でているのが現状です。

それを、講師という立場で広めてしまう事。それは即ち、文化を失うという事になり兼ねないと、個人的に感じております。


音楽を、心と身体と魂を磨くツールとして捉えて下さる方が増える事。

そして、一人一人が、成熟した音を奏でる事により、エストニアが戦わずして、歌うことにより、独立を勝ち取った、そんな現象が当たり前になる世の中になるように。

祈りを込めて。今後の活動をしてゆきたいと思います。









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