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しあわせになる覚悟

夫と桃パフェを食べる夢を見た。
しかも、ひえひえの桃、丸ごと1個も追加している。
どうやら、喫茶店のようだ。
息子はおらず、狭い席に、ふたりで向かい合って座っている。

まいったなぁ・・・

途方に暮れて、目が覚めた。
困り果ててしまった。どうしようもなく怖い。

だって、桃なのだ。
桃は、私の大好物だ。
一年のある一瞬の間しか食べることができない、特別な食べもの。
桃が出回る頃になると、私はどうしようもなく苦しくなる。
桃の季節がはじまるということは、終わりがやってくるということだ。
はじまったときには、もう既に苦しく、悲しく、さみしい。

そんな愛しすぎている桃を、夫とふたりで食べる夢なんて。
しあわせが、完璧で、度を過ぎている。

8月、大きな仕事を終えた夫と、ようやく3人でゆっくり過ごす時間ができた。
なんでもない朝の時間、3人でころころ転がっているだけで心がじんわりと満たされるのを感じた。
息子を見つめる夫の目は、隠しきれない愛おしさであふれていた。
旅先で、初めての景色を3人で見つめ、夕暮れ、私たちはお団子のように連なり、ひとつの影になっていた。
自覚するよりもはるかに深く、私はしあわせだったに違いない。
何を隠そう、夢に、桃パフェが登場したのだから。

だから、私は、途方にくれるほど怖くなる。
一目散に逃げ出したくなったのだろう。

しあわせに手が届きそうになると、人はしあわせになることを恐れる。
なぜか。失うのが怖いからだろうか。
満たされてしまうことを恐れているからだろうか。
しあわせの手招きをふりはらい、逃げ出したことは幾度もある。
それらしい理由を見つけて、作って、不幸になったと嘆くふりをする。
本当は、自ら望み期待していた不幸なのに。
そうして、性懲りも無くまた、しあわせになりたい、などと、泣いたり願ったり、人に悩みを打ち明けたりする。
あんなにしあわせになりたがっていたのに、そうさせないのは、実は自分自身なのだ。

そんなことを考えていたら、何年か前に、深田恭子さんが出演していた化粧品のCMのキャッチコピーを思い出した。

「幸せになる覚悟はある。」

そうだ、しあわせになるには、覚悟がいる。
しあわせを感じるのが難しい所以だ。
だからこそ、目の前にある大切なしあわせを、自らの手でぶち壊してしまわないように。
お前は、しあわせになる準備はできているのか?
時々、自分に問いかける。

麻佑子

#日記 #エッセイ  

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