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舞踊家が能楽師に聞く能の本質:能とはあらゆる人を癒すもの

バリアージ舞踊団創設15周年記念公演「道」(2019年10月12-13日@さいたま芸術劇場→台風のため2019年12月21-22日に延期)の開催に向けて、バリアージ主宰の舞踊家Chie NoriedaとChieが師事する能楽師で観世流(梅若)シテ方の井上和幸氏が能について語り合いました。(企画・文章 山崎繭加)

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削ぎ落とした先にある能

Chie Norieda:3歳から20代まではずっと西洋の舞踊(洋舞)を踊っていました。洋舞は肉付けして装飾してなんぼみたいなところがありますが、一方際限なく削っていったものがお能だと思って。最終的に、歩くだけで表現となり、顔に能面をつけて表情を出す。15年前にバリアージ舞踊団を創って以来、そういう世界を求めるようになり、その最古のものだというお能の根底にあるものを知りたいと思って始めました。観るだけでは全然わからないので、自分でやってみようと。

やってもわからないんですが(笑)、でも少しずつその本質が垣間見えてくる。井上先生が深いことをおっしゃってくれるので、いつも学びがあります。やればやるほど広く深くなっていくけれど、実際にやっていることはすごくシンプル、というところが面白いなあと思っています。

井上和幸氏:平昌オリンピックでの招聘公演では、能面をつけて踊っていましたが、あれだけ動くのは大変だったんじゃないかと。

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IZANAMI Project【MIYABI】より「天光」

Chie:はい、大変でした(笑)。

井上:照明があると見えなくなるんですよね。

Chie:なので目を閉じて片足でまわる訓練をしました。平衡感覚や、どっちが前後かを感じる訓練もしました。あとは、能舞台と違って目付柱もないので、歩数で感覚を捉える努力をしたり。

井上:とにかく勘が必要ですよね。お能でも激しくなると舞台から落ちる方もいる。柱があっても、方向がわからなくなって落ちるんです。

あの世とこの世をつなぐ道

井上:ちなみに能舞台の目付柱、目を付けるという意味で、4本それぞれの名前があるんです。角(すみ)柱、ワキ柱、笛柱、シテ柱、と。

また幕の向こうと舞台をつなぐ道がありますが、これは歌舞伎の花道とは意味が全く違います。歌舞伎の花道は一つの見せ場ですが、お能の場合は「あの世からこの世に」の道なんです。幕の向こうはあの世で、お客さんたちがいる舞台がこの世。神様であっても地獄におちている人であっても、そちらから来る。あの世からこの世に来る通路なんです。

道成寺ノチ

「能 道成寺」井上和幸 撮影:金の星渡辺写真場

映像で言えば、フェードイン・フェードアウトとなります。この道は斜めについているので、だんだんと姿がないものがフェードインしてくる、また帰る時はどんどん遠くなってフェードアウトしていく、そういうイメージ、使い方をします。

Chie:興味深いですね。

井上:あの通路は、まだあの世から来た者がこの世には現れていない中間地点です。

Chie:ちょうど今創っている「」公演(2019年10月12-13日→公演延期)の舞台にも方角があります。バリのヒンドゥー教にも方角があって、それを取り入れています。北は破壊、真ん中は再生、南は創造。そして北が黒、南が赤になります。何か通ずるものがあるのかもしれないですね。

井上:お能の原点はインドから来ていますからね。お釈迦さまの時代は、説法する前に皆の心を一つにするために、歌を歌ったり、舞を舞ったりしていました。場を整え、みんなの気持ちが一つになってから説法していました。世阿弥の伝書の中に書かれています。

Chie:能と日本の古代とのつながりはありますか。

井上:古事記に、天照大神が天の岩戸に閉じこもった時に、天児屋命(アメノコヤネノミコ)が祝詞を宣り、大勢の神々が歌い、天鈿女命(アメノウズメ)が踊ったとあります。ここの歌というのは、普通の歌ではなく和歌のことだと思います。

最初に和歌を作ったのは、(天照大神の弟で天の岩戸に入った原因の)須佐之男命(スサノオノミコト)*。つまり和歌とはもともとは神様が作ったもので、そのメッセージをこの世におろすために五七五七七という形式をとっています。そして、それを巫女さんなどが受けて、歌を詠ずることで多くの人に伝える。五七五七七で、人間と神様が通じる。

*「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠に 八重垣作る その八重垣を」

漢詩はそのものずばりの意味になりますが、和歌は同音異義語があるのでいろんな意味に取ることができます。歌はどう解釈するか、みんなで集まって話し合った。それが政治にも使われました。和歌は神様からのメッセージをおろしたもので、人は神に聞く場合は和歌を作り、神様からの返事も和歌でやってくる。卑弥呼もそういう能力を持っていたと言われていますね。

Chie:神様のメッセージが和歌として降りてきて巫女さんが舞う、という感じでしょうか?

踊るのではなく回って次元を上げる

井上:舞も「踊り」というより「回り」ます。踊りは、跳躍する、見せる、表現する、というものですが、舞は表現でなく次元を変えていく行為です。普通は右回りによってエネルギーが定まっていきます。3次元、4次元、5次元...と高い次元に上がっていくには、まっすぐ上がると跳ね返されてしまうので、円、螺旋で上っていく。降りるのもそのまま降りるとショックが強いので、円を描きながら降りると落ち着いてくる。つまり回ることでその場の次元を自由に変えていく、というのが舞です。

Chie:盆踊りも回りますし、お能でも必ず回りますよね。

井上:何かを見せているというより、回って次元を変えているのです。天の岩戸でも、アメノコヤネノミコが祝詞を詠み、アメノウズメが踊る。巫女の神格化、最古の巫女と言われる「ウズメ」には「渦」、渦巻くという言葉が入っています。

Chie:そういうものを観阿弥世阿弥がお能に変えていったのでしょうか?

井上:まず神社で行われる神楽(かぐら)になりました。神楽は、笹なんかを持ってただ回っている。つまり、回ることで次元を変えるという感覚は日本の中にお能以前にあったんですね。それが神楽に残っていて、それがお能に取り入れられてきました。

最初の頃はお能ではなく「猿楽」と言われていました。地域ごとに一座を持って回っていたのです。それを観阿弥世阿弥が今のような形にまとめた。彼らは、いろんなものを切り捨てるのではなくどんどん取り入れてお能を作り上げたのです。中国の舞楽や、白拍子の舞なども取り入れています。

Chie:それを聞くとうれしいです。能というと日本古来の舞、「The日本」だというイメージがあるじゃないですか。バリアージはバリ舞踊、西洋の舞踊、そして能も取り入れて世界を作っているんですが、それは邪道だと言われることもある。でも、観阿弥世阿弥もそうだったんですね。あらゆるものを取り入れ、それを研ぎすませていく。

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バリアージ舞踊団「二人静」

井上:そう、能はいろいろなもののよさを取り入れてまとめあげたんです。それが650年たてばこうなる、ということです。

Chie:バリアージも600年経てば(笑)。

能は人の心の中にある神を揺り動かす

井上:お能の原点には、すべての人の心に安らぎ、調和を与える、という気持ちがあります。心の安らぎがあって人は幸せになる。何があっても安心、赤ちゃんが何が起こってもすやすや寝ているような感じのことです。そして、能は赤ちゃんから亡くなる寸前まで、誰に対しても安らぎの中に包まれているという心の状態を作ることができる芸能です。他の芸能は、人によって合う合わないというのが出てきますが、お能は年齢も身分も性別も関係なく、どの人も等しく同じように安らげる、というものです。祈らなくても守られる。

つまり、すべての心を和ませるものを作りたいということで、田植えの田楽、豊作の感謝の祈り、そういうのをすべてひっくるめています。見せて楽しませるというより、みんなの心の中にある神を揺り動かすんです。お能を観ることによって、自分の中の神聖に気づいていく。

石橋2

「能 石橋」井上和幸 撮影:金の星渡辺写真場

能舞台は必ず松の絵があります。松は、春でも夏でも秋でも冬でも常に緑で変わらない。つまり永遠ということで神のイメージなのです。演者は神の前で演技し、お客さんは神を見ている、ということになります。

Chie :改めてお能ってすごいですね...こういったことはお能をやっていらっしゃる方はみんな学んできているのでしょうか?

井上:これは僕の解釈です。自分でお能やりながらつかんできました。

お能というのは、絶えず死に向かい合っています。人が歳を取ったり病気をするのがこわいのは死につながるから。死んだらどうなるかわからないという死への身体の恐怖がある。だから、死が解決できれば違った生き方ができるんです。死に向き合わずして本当の意味での心の安らぎは生まれません。

ギリシャ演劇もそうなんです。円形劇場はいわば人々の医療センターでした。心を癒せばだいたい治るから。演劇を観ても治らなければお医者さんへ行く、という感じでした。

Chie:湯治場みたいですね。

能は身体の自然治癒力を高める

井上:今の能は鑑賞する、勉強する、という風に思っている人が多い。でも、そうではなくて、能を観るというのは自分自身の癒しなのです。病気になったら今ならチケットをキャンセルしますが、もともとは病気だからこそ行く、というものでした。お医者さんのいない村もあるので、病気の人はお能に連れて行ってそこで寝かしておくことにより、その人の持つ自然治癒力が目覚め、身体が癒されていく。

お能で半分ぐらいの人が寝ているのは、退屈でというより、気持ちよいからこそなんです。ドイツのシューマンという科学者が7.8ヘルツの波があるという仮説を出していたのですが、現実には見つけられなかった。アポロで大気圏を出た時に、その波が実存することが証明されました。

7.8ヘルツを出すと、出している人だけでなく、聞いた人も共振して、共に癒されます。そしてお能ではこの7.8ヘルツを出せるんです。だからそこで寝ているだけでも、うつらうつらしているだけでも、終わった後には身体が楽になる。治るというよりは、エネルギーが変えるので、癒されるんですね。

Chie:宇宙に行けなくてもお能に行けばいいんですね。

井上:モンゴルの二重音声の歌唱法ホーミーも同じ波が出るみたいです。どちらも、響かせる音です。そこにいる人にも響いている。ただ、これはライブでなら響くのですが、映像になって機械を通したらただの形になってしまいます。

円で回るのもライブで見ている人は一緒に次元が上がっていく。日常でもいらいらしている人のまわりはいらいらするし、落ち着いている人のまわりは落ち着いていますよね。能では次元がどんどん上がって観ている人も落ち着いてくる。寝てしまうのですが、最後の笛の調べではっとするので完全に寝ているわけではないんですね。その後は、身体の調子が悪かった方がよくなったり、悩みがあった方の不安が消えたり。

西王母

Chie:」公演では生と死を扱うので、死に向かう謡はありますか、と先生に聞いたら、「西王母(せいおうぼ)がありますよ」と教えてくださいました。先生に謡って頂いた「西王母」をアレンジした楽曲で、最後のソロの演目を踊ります。

井上:西王母は道教の最高神でチベット仏教の阿弥陀如来の化身です。チベットでは死んだら天国に上がるので死は悲しいことではなくおめでたいことだとされています。

Chie:バリもそうですね、おつかれさま、という感じ。

井上:死んだら天国に行くのを導くのがチベット系の阿弥陀如来です。チベット仏教で死んだら鳥に食べさせるのは、天に向かうから。

西王母は道教の国では知られていますが、日本ではほとんど知られないですね。お能でも滅多に出ない演目です。阪神大震災があったとき、うちの緑幸会のみんなで謡える曲はないかと、ぱらぱらっと本を開いたら西王母が出てきて、それからやり始めたのです。

日本では唯一、大本教で西王母の謡がすごく大切にされています。西王母の謡は人間が作ったものではなく、あの世から下ろされたもので、宇宙の真理がすべてそこにある、と。大本教教祖様は女性で、代々西王母を舞われました。

Chie:西王母は今回の「」にぴったりで。いつも自分の創る世界とお能がどんぴしゃで重なります。「こういうのないですか」と先生に聞くと、いつもぱっと出てくる。何か大きなものに仕組まれ、動かされている感じがあります。

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舞台【一粒萬倍】より黄泉比良坂 

魂で聞く能の謡

井上:うち(緑幸会)のパンフレットに書いていますが、お能はすべての人の心を癒し、運勢を良くします。盲目の方がいらっしゃって、謡のテープを渡しているのですが、聞くといつも寝てしまうそうです。でもみんなと謡う機会があり、そこで全部謡えたんですね。本人もびっくりされていました。潜在意識で、魂で、聞いているので謡えるのです。認知症の方も謡えます。

Chie:お能のお稽古の後、復唱しようと思うのですが、私も寝てしまいます。

井上:一生懸命勉強する、とかでなく、寝てしまってもいいのです。潜在意識に入っていれば、あの世にいく間際とかふと謡が出てくるかもしれません。

謡をやっている女性がいました。気難しいお父さんで勘当されて。彼が危篤になり娘なので呼ばれ、耳だけは最後まで残るからと、謡ったんですね。そうしたら、お父さんが息を吹き返して、病院で怒ってけんかしていた人たちみんなの手を取って「ありがとう」と言って、その後逝ったそうです。お葬式でもとても穏やかで生きている人のようなお顔をされていたとか。直前まで文句を言っていたのに、謡を最後に聞いたことで、それだけの変化があったということです。

同じようなことがよくあります。今まで嫌われていた人が、謡をきいて変わった、とか。いったんあの世にいって浄化されたら人柄ががらっと変わる、ということなのかもしれません。

Chie:おばあちゃんのお葬式でも、この間愛犬が亡くなる時にも謡を聞かせました。必ず通じますよね。お能に出合えて本当によかったです。

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バリアージ舞踊団創設15周年記念公演「」の延期公演は2019年12月21-22日となりました!

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井上和幸:観世流(梅若)シテ方。能楽協会会員。京都梅若会所属。緑幸会主宰。京都市在住。昭和45年角当行雄師に入門。55世梅若六郎師 56世梅若六郎師(現・実玄祥師)に師事。シテは70数番。披キは以下の通り。昭和60年初シテ「小鍛冶」。平成4年「石橋」 5年「猩々乱」 10年「俊寛」 12年「千歳」 14年「道成寺」「藤戸」15年「弱法師」17年「花筺」 18年「鉢木」「絃上」 19年「砧」 21年「山姥」22年「石橋 大獅子」 23年「望月」 24年「隅田川」 25年「松風」28年「恋重荷」。平成30年3月26日 一般社団法人日本能楽会「功労者表彰」受賞。

Chie Norieda:舞踊団Baliasi創立者・舞踊家・振付家・演出家。3歳よりモダンバレエを始め、モダンジャズ他を学ぶ。阪神淡路大震災をきっかけに人生を全うすべくダンスの道へ。アーティストサポートダンサーとして、コンサート、TV、CM、PVなどに出演。ダンスコンテストでも数々の優勝に輝き、Janet Jacksonからも評価を受ける。2003年渡バリ。バリ舞踊習得のため、国内外でも有名な舞踊家Cokorda Istri Putri Rukuminiに師事。帰国後、「美と癒しの異空間」をテーマにオリジナルアジアンダンス『Baliasi(バリアージ)』を確立。多分野アーティストとの様々なコラボレーションを行い、日本に限らずイタリア、シンガポール、ハワイ、チェコ、スペイン、NY、ロサンゼルス、バリの他、平昌冬季オリンピックオープニングセレモニー招聘(Izanami Project)と海外でも注目を浴びている。


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