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痛みは感情?

多くの人を悩ませる「痛み」。「痛覚」という言葉もあるように、感覚の1つでもありそうな「痛み」ですが、古代ギリシャの哲学者アリストテレスは「痛み」を五感に含めず、快に対する感情の一種としていました。痛みは感情なのか、感覚なのか、それともそれ以外のものなのでしょうか?

先週までにご紹介したように、身体には様々な感覚のセンサー(受容器)があります。腕の位置や動きなどを感じる固有受容器や、身体内部の状態を感知する内受容感覚などがありました。痛みに関しても侵害受容器と呼ばれるセンサーが全身にあります。ドアに手を挟んでしまうと、手の組織にある侵害受容器が刺激を受けて、その情報が脳へ送られ、痛みとして知覚をします。しかし、痛みは侵害受容器からの入力の量に比例しないことがわかっています。

例えば、親指をハンマーで打ってしまった、というケース。”痛いっ!”と手を見てみると出血していました。この場合、さらに痛みを強く感じるかもしれません。一方で同じ強さで手を打ったとしても血が出ていなければ、痛みは少ないかもしれません。血を見た途端、脳は”大変な怪我をしてしまった!なんとかせねば!!”と身体へ警告を出すために、痛みの強さを増幅させている、という訳です。出血していなければ、それほど大変な状況じゃないと脳は判断をして、大きな警告にはなりません。

スポーツ選手で大きな怪我をしているにも関わらず競技を続け、試合が終わった後に倒れたというケースを見たことがあるかもしれません。損傷の度合いと痛みが比例関係にあるとしたら、このようなことは起こらないはずです。選手にとっては、侵害受容器からの情報よりも、試合の方が重要であるために、試合が終わるまでは侵害受容器からの情報が無視される。つまり痛みは文脈にも依存しています。

(photo : news.com.au)

このように、痛みは脳への入力ではなく、脳が生命活動の安全性をベースに受け取った情報を処理した結果であり、脳からのアウトプットであるとされています。【痛み = 組織のダメージがある】ではなく、わたし達が生きていく上で”安全かどうか?”を知らせてくれる大切なシグナルなのです。

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