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使命って何?

私は占いを使って活動をしていることもあり
「使命」について聞かれることがよくあります。

この「使命」って言葉は
すごく曖昧で掴みどころがないものなんですよね。
”これ”と固定化して決めつけられるものでもない。

私自身も『魂占い』という本を執筆する際に
すごく考えていたことでもあるので

結局「使命って何だろう?」というテーマについて
私が考えていることを書いていきたいと思います。


使命によくある誤解

使命という言葉は
イメージだけが独り歩きしているような
そんな印象も受けています。

使命を生きることができると
キラキラして何でも上手くってしまう魔法のように考えてしまったり
何か特別なことをしないと使命とは言えないと捉えてしまったり。

一方で、それを求めつづけて
そんなものはないのではないか!?
と、うっすら感じてしまっていたり。

「使命」という言葉の背後には
それを求めている人たちの複雑な感情が
すごく含まれているなぁと感じています。

また、使命を発信する人たちも
どんな文脈で使っているのかによって変わってくるし
一部を切り取られてしまうと意図が伝わりにくかったり

そもそも、使命についての確固たるロジックがあるわけでもないので
発信者側としても、もどかしさを含みながら
伝えていくテーマだなと思っているわけです。

そんな「使命」との関わりについて
突き詰めて考えていくと

「受け取る側も発信者側も
 それぞれが自分なりに定義付けていったらいいよね」

というところにたどり着きます。

そして、それが私の基本スタンスではあります。

なので、使命を

・”今世、生まれてきた意味”と考えるのも
・私らしさと考えるのも
・使命がなくても幸せになれると考えるのも

それぞれの世界観が伝わってきてステキだなぁと思っています。

ただ、そうはいっても
私は占いを使って活動しているので

何かを始めたいけど何をしていいのか分からない
情熱だけはある!というときに

占いを「使命」という切り口から
伝えるのはすごく楽しいんですよね。

なぜなら、そこにその人の可能性を感じる
”何か”が眠っていることが多いから。

本人も気づいていないけど、確かにあるもの
そして、どんどん形を変えていくものだったりするんです。

この記事では、眠っている”何か”に繋がる使命の捉え方ついて
お伝えしたいと思っています。

よくある誤解①

私なりの使命についての捉え方をお伝えする前に
以前、こちらの記事でも書かせていただいた
使命についてのよくある誤解をあらためて書いてみます。

使命は”こうである”という
確固たる定義はないのですが

「こういうものではない

と、私の中ではっきり言い切れることがあるので
まずはその話から。

一つ目は
使命は「職業とか既存のものにあてはめるもの」ではないということ。

スポーツ選手などを思い浮かべると分かりやすいと思いますが

たとえば、イチロー選手
彼はもはや野球をすることが使命といっても良いですよね。

あとは、将棋の藤井聡太くん
将棋を指すこと、それが使命だったとしか思えないような活躍をしています。

そういう人たちを見ていると
私にもそういうものがあるのかもしれないと思ってしまう。

そして、そういうものが見つからないと
使命を生きているとはいえないと。

こんな風に
何か既存の職業や形の中に使命を当てはめて考えて
結局自分の使命なんて見つからない
と結論付けてしまうことがよくあるんです。

だけど、使命は適職とイコールではないです。

適職というのは、自分の能力にあった仕事
つまり、他の人より自分がやった方が効率が良い仕事とも言えます。

ただ、使命を発揮するときに適職をツールとしていることがあるので
誤解が生じやすいのだと感じています。

これは一番メジャーな誤解だと思っています。

実際は、そういうこともあれば、そういうことじゃないこともある
としか言えないんですよね。

よくある誤解②

もうひとつの誤解は
「使命というのを完成された図」のように思い込んでいること。

使命を天から与えられているもの、完成形だと思い込んでいる
でも、それはちょっと違います。

「あなたの使命はこうです!」という正解は
残念ながら ない と私は考えています。

完成図は結果的にできるもので
それを作っていくのは
あなた自身でしかないんです。

そうなると、じゃあ使命って結局ないの!??ってことになるので

占い師の視点から、使命はこう考えたら
みんながより生きやすくなるのではないか

という私なりの使命についての捉え方を
ここからお伝えしようと思います。

(色んな人が様々な定義をしている
その中の一つとして受け取ってもらえると嬉しいです。)

まゆちんが考える使命

そもそも
使命のもとになる魂が天から与えられたものだとしたら
この世は三次元で、天はそれ以上の次元

今生きている世界より高い次元のことを語るのは至難の業なわけです。

それでも、ひとつの道を見出したい
軸のようなものを見出したいと思うのが私たち人間です。

でね、先ほども伝えたとおり

使命を知りたいというリクエストには
希望とか期待とか、不安とか諦めとか色んな感情が絡み合って

分かりやすい適職とか完成図のようなものを
提示してほしいというニーズが背景にあるのですが・・

実際は使命ってそんなものではないんですね。


結果的に、一つの完成図が出来あがることもあるかもしれないけど
かならず一つの絵として表現できるものではありません。

使命を絵として表現するなら、
「使命」を生きることについて私たちが与えられているのは

「絵筆と絵の具」と「キャンパス」だけ

だと私は思っています。

自分にどんな絵筆と絵の具が与えられているかによっても
油絵なのか水彩画、水墨画なのかによっても、絵の雰囲気が変わってきますよね。

ただ一つ言えることは
完成する絵は幾通りにもなりうるってこと。

ありふれた言葉をつかうと
「可能性は無限大」ってことなんですよ。

ちょっと待って‥
そうなると、イチロー選手はどうなんだろう?
という疑問がうまれてきますよね。

イチロー選手は小さいころから決まっていたようなもの
藤井聡太くんも、棋士になるべくして生まれて来たようなもの

これは、使命を生きるプロセスが違うと私は思っています。

使命が結果的に完成した絵だとしたら
人生の初期段階で
彼らは「下書き」をすでに持っている人たち

おそらく小さいころに
未来の完成図がうすーく見えているんだと思うんです。

そういう人たちって、小学校の文集に目標を書いていたり
小さいころから明らかに才能がある。

こういう人たちが一定数いるのも事実としてあります。

だけど
大抵の人は、好きなものを手に取ることから始める
何をかけるか分からないけど、とりあえず〇(まる)を描いてみる。

ピンクを選んで〇(まる)を書いてみた。
それも使命を生きているってことなんです。

その中には、途中で変わる人もいる。
最初は花を描いていたけど、途中で大地をかくようになったり

だから、使命を知らないと使命を生きれないってことはないんですね。

何もしないで終える人生もあるもしれない
それはそれでその人の使命

休憩する使命だってあるかもしれない

現実的に成果を求める人生よりも、豊かな気持ちになることにフォーカスする
そんな使命もあるかもしれない

私たちが想像しているより
はるかにたくさんのバリエーションをもった
完成図が無数に存在しているってことですね。

それを最終的に完成させるのは私たち自身でしかないのです。

もしかしたら・・

もしかしたら・・・・ですよ

・・・

人生は、神様が決めているかもしれない。
(そんな感じもするんですが、今のところそれを知る術はないです)

いわゆる、未来決定論です。

だけど、その決定論のなかで
どんなにネガティブな未来が設定されていたとしても

それに「良い意味で抗(あらが)い続けるのが使命そのもの」
ではないのだろうか、と私は考えているんですね。

人間って宇宙に比べると、いい意味でちっぽけで無力な存在です。

だとすると
大いなる宇宙に対して抗い続ける方が楽しいよねって私は思っています。

使命と占い

「使命」を生きるプロセスで
絵を描きたいという熱意はあるんだけど

そもそも
・私にどんな絵の具があるんでしょうか
・私は絵筆なんてもっていません

という人がよくいるんです。

今の悩み風に翻訳しますと

何かしたいという熱意だけはあるけれど
・私には何ができるんでしょうか、何をしたいか分かりません
・私には世の中に役に立つようなものはありません

という感じです。

・・・

・・・

私から言わせると

「いやいやいやいや
 絵の具と絵筆はあるはずやでっっ!
 ちゃんと手元見てみて!!」

と思うわけです。

完成図は与えられていないとしても
それを描くためのツールは私たちはすでに持っているんです。

だけど、多くの人は「自分」が分からないことが多い。

太陽が自分で自分のことを見れないのと同じように
私たちも鏡をみないと自分の姿を確認できません。

自分のことって客観的にみることが一番難しいんですね。

そんなときに
「どんな絵具と絵筆をもっているんだっけ!?」
を思い出すツールとして
占いって実はすごく頼りになるんです。

はじめにお伝えした
その人の中に眠っている”何か”を掘り起こす作業を
占いを使ってやっていけるということ。

逆にいうと、占いってそういうためにあるとも思っています。

どこに向かっていきたいのか
何をしたいのかが分からなくても

こんなものを使いたい、こんな風に書きたい

というのは私たちの中にある
それが絵筆であり、絵の具であるわけです。

それを思い出させてくれるのが占星術だったり、タロットだったりします。

ちなみに、使命って「使う命」と書きますが

占星術では
命は「太陽」
「水星」が使うのを段取りしてくれる
「金星」が何がワクワクかを問いかけてくれる
「火星」が行動に落とし込んでくれる

そんな風に使っていくことができるんです。

占星術で一つ一つ丁寧に読み解いていくと
自分の中のすでにある欲求みたいなものが
浮かび上がってくるんですね。

それを読み解いていく過程そのものが
使命を生きることに繋がるのではないかとも考えています。

つまりですね・・

完成図が決まっていたとしても
決まっていなかったとしても

私たちは、これを使いたい!こんな風に描きたい!を
自分の中に持っていて
それに向かって、自由に描くことができる。

何を描くか、どんな風に描くかは自由
それは完成してみないと分からないもの

それを描くプロセスそのものが使命じゃないのかなと。

そう考えると、宇宙が与えてくれる使命って
自由度がかなり高いってことなんですよ。

何が決まっていて、何が決まっていないという
そんな次元を超えて
使命に向かって十分私たちは楽しめるってこと。

もっと楽しんで生きていいんだよーーー!!!ってことです。

まとめ

今回の内容をまとめると

・使命は個人がそれぞれに定義づけたらいい
・使命は職業でも完成図でもない
・私たちに与えられているのは「絵筆と絵の具とキャンパス」だけ
 それを使って絵を描いていくプロセスそのものが使命
・自分がどんな絵筆と絵の具を持っているか分からなくなったときは
 占いがヒントを見出してくれる
・使命って自由度が高いから、もっと楽しく生きよう♪

ここまで書いてみて、使命というテーマを通して
結局は楽しく生きたらいいやん!ってことを伝えたかったのだな
と気づきました。

でね、最後にもう一つ伝えたいことがあります。

使命をどう捉えるかについてもそうですが
日常生きていると
日々たくさんの曖昧な概念にたくさん出会うと思います。

たとえば、「人生」とか「生きる」とか
一言で語れないものがたくさんありますよね。

その言葉を使うとき、もう一度自分のなかで
どう捉えていくといいのかなと考えることが
人生を少しずつ変化させていく要になると思うんです。

なぜなら、私たちはもう正解がない時代を生きているから。

今までは
こう生きていくと人生上手くいくというような
分かりやすい正解が提示されていた時代だったと思うのですね。

だけど、徐々にそうじゃなくなってきた。

占星術的に言うと、風の時代になって
多様性、自由、フラットな社会に移行しつつあります。

正解がないということは
これからは「自分なり」の正解(哲学)で
自分を満たしていくことがすごく大事な時代
とも言えます。

社会や誰かが提示してくれるものではなく
自分はこう考える、自分はこれを選ぶという風な
自分なりの(正解)哲学を心の真ん中に満たしておくと
すごく人生が豊かになるじゃないかなと考えています。

ちょっと話がそれますが
心理学者の河合隼雄先生によると

日本人は、世界の人たちと違って
心の真ん中に穴が開いている中空構造を持っているらしいです。

海外では、真ん中に一神教の信仰が入っている。
そうすると他の神様がきたら争いになるんですね。

でも、私たち日本人は真ん中に穴が開いているから
常に何でも受け入れられる。
だから、争いにならずに共存することができる。

結婚式を教会であげたり
ハロウィーンやクリスマスなどの
キリスト教の行事を楽しむ一方で

お正月や七五三には神社にお参りに行き
お葬式になると、お寺のお坊さんにお経をあげてもらいます。

様々な信仰を受け入れて共存していくことで
私たちは生きてきたわけです。

つまり、私たちは
正解は一つじゃないことを分かっている存在

だから、自分なりの哲学(正解)を育んでいくことが
これからの時代に
人生をもっと豊かにしてくれるエッセンスになるんじゃないか
そんな風に考えているわけです。

今回の内容も
みなさんが自分なりの「使命」を育んでいくための
ヒントとなっていれば嬉しいなと思っています。

お読みくださり、ありがとうございました!

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