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何通りでも「おいしい」って言う

長〜い間、雑誌の編集者を続けてきました。

ファッションや美容のページを担当した時代もありましたが、
メインで携わってきたのは、ずっとカルチャー。
特に食や、食を取り囲むライフスタイルのページをたくさん作り、書いてきました。

そんな中で自分に課していたのは、

「おいしい」をそのまんま伝えない

というルール。
「これはとてもおいしいです」という情報を
幾通りでも言い換えることが出来るというのが、
私が、一応はプロの物書きでもあることを示す物差しだと考えていたんです。

幼い子が目をまん丸にして、口の周りをケチャップだらけにして言う「おいしい!」とか、
男子が、カレーを一口食べてからおもむろにスプーンを置き、作ってくれた彼女の顔も見ず照れ臭げに言う「うまいよ……」とか、
そういうリアルな「おいしい」の声には
我々は絶対に勝てません。
逆に、暮らしの中のリアルな現場では、ただシンプルにそう言うだけで良いと思います。
私だって、実生活で常に小難しい表現を試みてるわけではありません(そんなにめんどくさい女ではないです)。

が、それを媒体に載せ、

売り物の一部として販売

するからには?

例えば目の前にあるカレーライス。
さらっさらでたっぷりとしたスープは
こんもりと盛られた、適度に粒の立ったホカホカの麦ごはんを取り囲む海のように器に注がれ、
少し赤みがかった汁色は、おや、和の出汁も使われている様子。
じんわりと効いた出汁の旨味が
20種類以上使われているんだろうか、スパイスが合わさって生む複雑な味わいを
しっかりと支えているよう。
最初の一口目は、決まってスープだ。
11時半の開店時刻と同時に店に入るから、
すでにお腹はペコペコ。
熱々&さらさら&滋味深いスープが口の中に入る瞬間の幸せ加減ったら
灼熱の午後を過ごした後のビールに匹敵するな。
マッチ棒より細く刻まれた青唐辛子と、
大事に沈められた3尾のぶりんぶりんの海老、そして小皿にのっているきゅうりの漬物と福神漬け。
それらを、どうバランス良く食べるかに頭を悩ませながら
ゆっくり、でも冷めないうちに食べ終わるようにスピードも考えて食事するのは、
天国で修業しているかのようだー。
(荻窪「すぱいす」の「海老と青なんばんのカリー」を思い出しつつ書きました)

本当はどんな料理を伝えるときでも、このくらい書きたい。
そして、そう書けるだけ、食べ手としても料理と向かい合った上で、書きたい。
が、経費的に、時間的に、労力的に、文字数的に、そういった願いは常に叶いません。
となると、

短い言葉でいかに「おいしい」の個性や深さを伝えられるか

が、大袈裟に言えば勝負の分かれ目です。
前述の「海老と青なんばんのカリー」であれば、
・朝起き抜けでも食べたい滋味系の旨さ
・凛とした辛さが食後も印象に残るおいしさ
・たぶん30年後も同じ感動と共に食べてる味
などと言い換える、でしょうか。
ウザ。実生活では不要です。
でも、メディアにのせてこの感動を伝えるなら、誰かと同じ言葉を使うなんて、イヤだ。

名作「赤毛のアン」で、
主人公のアンが初めて食べたアイスクリームについて、養母マリラに語るシーンがあります。

アイスクリームって言語を絶したものだわ、マリラ。まったく崇高なものね。
(村岡花子著「赤毛のアン」)

子供の頃から大好きな小説ですが、スマホ写真やSNSが百花繚乱の今、逆にこの言葉ってすごいよなぁと感動してしまいます。
アンがもし実在なら、あるいは作者のルーシー・モンゴメリ、もしくは訳者の村岡花子、
いずれにしても、素晴らしいグルメジャーナリストではないか!と思うのです。

これからも私は、毎日毎日「おいしい!」を連発し、
食についてのワードを探し、生業(なりわい)としていきたいと考えているのですが、
聞いただけで萌えたよ!
やめて、お腹すくじゃない!

と言われるような、そんな書き手になれたらなぁ。
「おいしい」にも、ダイバーシティが必要な時代なんです、きっと。

#料理 #COMEMO #ダイバーシティ #表現

フードトレンドのエディター・ディレクター。 「美味しいもの」の裏や周りにくっついているストーリーや“事情”を読み解き、お伝えしたいと思っています。