見出し画像

決めるということ

物事を決めるのに、体力がいるなぁって思う。
人生は選択の連続だ、と何かの本で読んだけれど、自分で選んで自分で決める、ということができるのだ、ということがなかなか腑に落ちなかった。
実際には、全部、自分で決めているのだけど。
自覚していないこと、気づいていないことによる選択に気づかないでいた。

たとえば、家を片付けようとするとき、物を捨てるか捨てないか?捨てないなら、どこに収納するか?捨てるなら、どうやって捨てるか?などなど、あまりに決めることが多いと、だんだんどうでもよくなってくる。
何をどう決めてもそう変わりはないのではないか?というような疑問が湧いてくる。
それで、まあ、これでいいか、と妥協して決めてしまう。
そういうことが以前はほんと多かった。
しかし、これで決めた場合に、たいてい後で後悔する。
なんでこんな風に決めたんだっけ?みたいな感じ。
捨てたことを忘れて、必死で捜し物してしまう、みたいなことを何度も繰り返した。

あるとき、「自分で決める」と引き受けていないんだな、と気づいた。

そのことに明確に気づいたのは、私の場合、子どもを産んだ後だったと思う。
子育てをするとき、自分のことではないことをこんなに決めなくてはいけないのだということが本当に負担だった。
生まれてきたばかりの赤ちゃんで、私も初めての経験で、何もよくわからないけど、命に関わるような選択を、私が決めなくてはいけない。
そのこと自体がとても大変なことだった。
「あなたはどうしたい?」という問いに対して、本当に苦痛しかなかった。
自分でどうしたいか?がわからなかった。
他人の言う、世の中にある、何かに照らし合わせて正しいか、正しくないか?合ってるか、合ってないか?と言う、どこかにある正解を選びとることが決めることだと思っていた。
そのことにずっと労力を使ってきたのだった。
誰かが正しいということをやっていれば責められることはない。
誰かが決めてくれたことをやっていれば、自分で責任を取らなくて良い。
そんな風に思っていたのだと思う。

わからないということをホールドしておけなかった。
ホールドするというのは、まあ保留しておくみたいな感じ。
保留にして一旦停止して持っておくみたいな。
そういうことが全然できなかった。
すぐに決めて、決めたことは最後までやる。途中で変えてはいけない。なぜならやると決めたから。そうやって生きてきた。やると決めたことは、途中で嫌になっても我慢してやった、最後まで。
それが責任だと思っていた。

でも、最後までってどこまでだろう?
子育てに終わりはないのに。
というか、あるかもしれないけれど、それはまだまだ先のことで、いつ終わるか分からない。いつ終わるかわからないことをずっと我慢してやるのだろうか?
私はこれをいつまでやるんだろう、多分そんな風に思ったんだと思う。
それから、ようやく、私は自分で自分の人生を生きたいんだと思った。

それでも最初はなかなかうまくいかなかった。
あなたはどうしたいの?と聞かれて、強い怒りを感じるほどだったから。
どうしたいのかが分からないのだと。
それでも少しずつ少しずつ自分の思う方向へ、直感の働く方向へ。
少しずつ少しずつ進んできたように思う。

決めること、と、判断すること、は違うんだなと、そういうことに気づくようになってきた。

選択する時、正誤に気を取られていると、どんどん体力が奪われる。
正しいこと、が何かは人によって違うと言うことがたくさんあるから。

最善で最短で得になる。
そういう選択をしたかった。
それが幸せへの近道のような気がするから。
子供に余計な苦労をかけたくないし、しなくていい辛い体験をしてほしくない。
親ならそんな風に思うかもしれない。
私もそう思っていた。
だから、私の選ぶ選択肢について、これは最善で最短で、子どもにとって得だろうか?私にとって得になるだろうか?
そういうことを選ぶために、必死で情報を集め、ない知恵を絞り、選ぶ。
でも、それが最善で最短で、得になる選択かどうか、誰にもわからない。
誰かにとってはそうかもしれないし、誰かにとっては違うかもしれない。
親にとってはそうかもしれないけれど、子どもにとっては違うかもしれない。
そういうことはよくあるではないか。

ジャッジすることがいけないのではない。
ジャッジすることが必要なこともある。
けれども、答えのない、正解のない、問いについて決める時、ジャッジする必要がない。
自分自身に問いかけてみる。
自ずと答えが分かってくる。
答えがわからなくても、何となくこっちと思う方に進んでみる。
やってみたらわかる。
そういうこともたくさんある。
やってみる前に、最善で最短でこれが一番得だろうか?と考えている時間が、一番もったいない。

自分自身に問うてみるとき、そのときこそ自分の真ん中にいる必要がある。
自分の真ん中というのは、どんな感じかな?
マインドフルネスの説明だと、余計な思考や感情に囚われず、今ここに意識を集中している状態のこと、って言うことらしい。
正直で、素直で、自分のまんまでいる、みたいな感じ。
そう言う自分自身でいる必要があるんだな、ということを思っている。
誰かの正解ではなく、世の中に合っているか?ではなく、私自身の答えは、私の中にあるっていうこと。
それが決めるっていうことなんだな。
今はそんな感じです。



1096日連続毎日書くことに挑戦中です。サポートしてくださるとものすごくものすごく励みになります◎ あなたにも佳いことがありますように!