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【映画鑑賞記録】JOKER ジョーカー

<<完全にネタバレして書いています。ネタバレ注意!>>

予告編を観た時から、これは観なくてはいけない映画のような気がしていた。公開まもない時に映画館で観たが、なかなかレビューが書けないで放置していたのだけど、忘れてしまう前に書き留めておく。

本当の悪は、人間の笑顔の中にある。

バットマンはコミックはもちろん読んでないし、映画も観ていない。だから、ジョーカーと言われてもあまりピンと来ない。ジョーカーと言われてすぐに思いつくのは、トランプのジョーカーだ。
なのに、なぜ、これは観なくちゃと思ったのだろう?
ちょっと理由はよくわからない。
とにかく、映画の予告で、ホアキン・フェニックスのピエロの顔を観た途端に、この映画を観るだろうと思ったので、観に行った。
(ちなみにピエロがホアキン・フェニックスだということも、認識していなかった・・・)

貧しいピエロの青年

大都会ゴッサム・シティでは、ゴミ収集のストライキでゴミが溢れているニュースがガンガン流れていて、退廃的な空気感。
政治は機能しておらず、人々は貧困に喘いで困窮していて、町中が疲弊したているようだ。
ホアキン演じるアーサーは、ピエロの格好をしながら働いて、病弱な母の面倒を見て暮らしている。本当に貧しくて、細々と日々を繋いでいるような暮らし。
アーサーは、神経の病気で、緊張が高まると笑いが止まらなくなる発作があり、そのせいで、人から気味悪がられてしまったりする。(精神病院に拘束入院していた過去があり、かなり重症だった様子)
ソーシャルワーカーとの面談で、タバコをひっきりなしに吸い、薬が効かないから増やして欲しいというアーサー。これ以上は、薬を増やすことはできないと言われて面談は終わる。この面談が、すごく機械的に見える。一人のソーシャルワーカーが何人もの面談をしているのだろうと想像させるし、アーサー一人に時間をかけてじっくり寄り添うことはできないのだろう。
でも、この人は、ここが命綱なんじゃないか?っていう。。公共福祉の現実。

バスの中で、子どもを笑わせようとして、子どもの母親に叱られて、笑いが止まらなくなってしまうシーンは切なかった。「私は病気で笑いが止まりません」というような説明が書いたカードを持っていて、それを笑いながら提示していた。遠巻きに見ているバスの中の人と、笑いが止まらないアーサーの対比。アーサーはあの集団のなかで、弾かれている。「違う」もの、気味の悪いものとして。

母親は精神と心臓を病んでいて、30年前に家政婦をしていた大富豪のトーマス・ウェインに助けを求める手紙をなんども書いている。返事はなく、助けは来ないが、母はずっと「あの人はいい人だから、きっと私たちを助けてくれるわ」と夢見がちな少女のように手紙を書いて出す。
そういうやりとり、一つ一つが、アーサーの孤独感を浮き彫りにしていて、「誰にもわかってもらえない」という感じに無力感が漂ってしまう。
ただ、一つ、アーサーは「コメディアンになる」という夢を持っていて、その夢を支えに綱渡りのように日々をしのいでいるように見える。
マレーと言う憧れのコメディアンのショーをTVで見て、いつか自分もと夢を見ているアーサー。

アパートのエレベーターで会ったシングルマザーのソフィーに一目惚れしたアーサーは、翌日ソフィーの仕事場まであとをつけていく。
この辺の執拗さは、ちょっと気味が悪い感じを醸し出していた。
けれど、ソフィーは笑って許してくれ、アーサーと友好な関係を築いていく。

事件の発生

そんな綱渡りみたいな生活にさらに追い討ちをかけるように、次々と事件が起きる。
道化の仕事中に、10代の若者たちに襲われ、ボコボコに暴行される。無抵抗のアーサーを蹴り倒していく若者たち。
そして、宣伝用の看板を壊されてしまったのだが、それもアーサーの話は聞いてもらえず、社長から仕事放棄を疑われ、弁償を要求される。
同僚のランドルが、落ち込むアーサーにロッカールームで拳銃をプレゼントする。これで自分の身を守れ、と。この銃が、この後裏目に出ることに。。
アーサーは小児科の病棟でピエロの仕事をしている最中に、この銃を持っていて、床に落としてしまい、騒ぎになってしまう。そして、ピエロのプロダクションから即刻解雇される。ランドルは「アーサーに頼まれて銃を売った」と、自分が銃を渡したことを否定したため、アーサーはランドルに裏切られて、仕事仲間からも孤立してしまうことに。

そして、公共福祉で受けられていた、街のソーシャルワーカーとの面談と薬の提供が、予算削減のために打ち切られる。
アーサーがソーシャルワーカーに言う。
「あんたは、俺の話を聴いていない」
この一言が胸に刺さった。
アーサーは誰にも話を聴いてもらっていない。誰一人、アーサーに耳を傾けて、アーサーの物語を聴いてくれる人はいない。ソーシャルワーカーは、「あなたもわたしも捨てられる存在なのだ」と言う。排他的な世界で、底辺で必死に生きている人たちの姿がこれでもかと映し出されて、暗澹たる気持ちになってくる。


この辺のアーサーの徐々に、だけど確実に、追い詰められて逃げ道がなくなっていくような、息苦しい感じがなんとも言えない。苦しい。そして、これをわたしは知っている、と思う。この苦しさから逃れることはできないのか?と。自力ではもうどうすることもできなくて、助けを求めたいけれど、助けを求める先もなくなっていく感じ。

地下鉄事件

ここで、さらなる事件が起きる。
ピエロの格好で地下鉄に乗っていたアーサー。電車の中にトーマス・ウェインの証券会社に勤めるエリート3人がいて、女性をからかっていた。エリートのあの人を見下す感じがいやらしく映し出される。アーサーはここでも笑いが止まらなくなってしまい、3人の男たちに袋叩きに遭います。ゴミのように扱われて、ひどい暴行をされる。今まで一度も抵抗したことのなかったアーサー。若者に襲われた時も、抵抗することなくやられているだけだった。でも、ここで、衝動的に銃を持って、彼らを射殺します。一人、足を打たれて逃げる男を、今までとは別人になったようなアーサーが追いかけて、追い詰め、息の根を止めるまで銃を撃ち放つ。
衝動的で、どうにもならない行動。
ここは、悲しかったなあ。こうなる前に、助けがあったら。
誰か一人でも、彼の声を聴いてくれる人がいたら。
同じ人間として対等に関わってくれる人がアーサーには誰一人いなかった。そのことがひどく悲しかった。

その後、アーサーは何かが弾けたように、高揚した行動を取り始め、同じアパートに住むシングルマザーのソフィーの家に行き、口づけし、コメディショーに出演するから観に来るように誘います。
そして、本当にショーに出演。自分のネタを書きためたノートを片手に。だけど、ショーの最中に笑いの発作が出て、なかなかうまくは行かず。でも諦めずに最後までショーを続けていくアーサー。最後にはお客さんも笑ってくれて、ソフィーも笑ってくれた。ここで初めてアーサーは人に受け入れられたような気持ちになったんじゃないか?と思った。
このショーが、人気コメディアンのマレーの目にとまり、マレーのテレビショーに出演することが決まるアーサー。マレーは憧れの存在で、父の存在を知らないアーサーは、父親をマレーに投影していたのではないか?と思われるようなシーンもありました。
殺人という行為をしてから、このような希望が次々に現れるのはとても皮肉で、だけど、アーサーにはこれしか道がなかったようにも感じ、なんかもう切なかった。

一方で、母親は相変わらずトーマスに手紙を書き続けていて、だけど、アーサーはいい加減にもうやめてほしいと思っている様子。相手にされていないのに手紙を書いている母親が哀れだし、ひたすらトーマスにすがっていて自分では何もしない母親にイラついてもいるように見えた。
そして、トーマスは市長選に出馬することになっていて、自分の会社のエリート3人が地下鉄で殺されたことをテレビでコメントし「仮面なしでは殺人もできない」と揶揄していた。しかし、富裕層に反感をもつ貧困層の市民からは、地下鉄殺人のピエロはヒーローとして祭り上げられていくのであった。

父親

ある日、アーサーは、母の手紙の内容を目にする。そこには、アーサーはトーマスの息子であるという内容が書かれていて、衝撃を受けるアーサー。
母親の話は、要領を得ないながらも、昔、トーマスと愛し合っていて、だけど家柄が違うから一緒にはなれなかった、と言うような話であった。
アーサーは、トーマスに会いにトーマスの豪邸に行き、そこで、まだ幼いトーマスの息子、ブルースに門越しに手品のショーをして見せていると、母の名前を聞いて顔色を変えたボディガードに「お前の母親は狂っている」と言われ、手酷く追い返されてしまう。
アーサーの声はいつも届かない。ここでも。
そして、母が脳卒中で倒れてしまう。その上、警察がやってきて、地下鉄の事件の犯人ではないか?とアーサーは疑われ始める。

トーマスになんとかして会おうと、トーマスが映画館に来るときを狙います。トイレで、二人きりになったときに、トーマスに母のこと聞き、父親かを尋ねるアーサー。そこでトーマスに拒絶され、さらには、母親は嘘つきで、妄想がひどく、お前は母の養子で自分とはまったく関係がないと言われ、殴られ追い返されてしまう。アーサーから脅迫されていると思い、防御に走るトーマスにアーサーの声は届かない。
「僕はただハグしてもらいたかっただけだよ、パパ」と叫ぶアーサーの声はどこにも誰にも届かない。
もう、アーサーにはなんの救いもなくて、本当にただただ絶望への道しか進むことができない感じが、つらかった。

そして、アーサーは母が昔入院していた精神病棟のカルテを見に行きます。
受付係の黒人の男性がアーサーの様子を心配して「街の福祉のカウンセリングを受けた方がいい」と言われるのだけど、そこはアーサーが通っていて、だけど予算削減で行けなくなってるわけで、なんと言うか閉塞感が半端ないなーと思った。アーサーの逃げ道は、全て断ち切られている。
そして、その男性から力ずくで奪った母の入院記録には、アーサーが養子であること、母が精神疾患を患っていたこと、母の交際相手の男性に虐待されてアーサーは脳神経に損傷をおったことがカルテや当時の新聞の切り抜きに書かれていた。
だけど、これは、本当にそうなのか?と言うのが私にはわからなかった。母のペニーは、トーマスと別れるときにサインさせられた、と言っていて、金持ちの権力でいくらでもでっち上げることができたのではないか?(トーマスがしたことを隠すために)と言う考えが浮かんでしまった。
妄想と現実の境目はどこだろう?

ソフィーに会いに、ソフィーの部屋に駆けつけるアーサー。
しかし、ここで、ソフィーは「一番奥の部屋の人ですよね? どうしてここにいるの? 子どもが寝ているの」と怯えます。
今までのソフィーとの温かい交流は、すべてアーサーの妄想だった。
なんて言うか、もう本当に救いようのない絶望感がここに漂っていた。
アーサーの絶望はここで確定したように見えた。

ジョーカーの誕生

脳卒中で運ばれた母親の入院先で、アーサーは、枕で母を窒息死させる。
その入院先の病院で、マレーのテレビショーで自分のコメディが流れると言う皮肉。

街では、貧富の差に喘ぎ、苦しむ人たちが、エリート3人を殺したピエロを英雄視して、富裕層へのデモがあちこちで起きて、一触即発の状態。
警察は、3人のエリートを殺したのはアーサーではないか?と、事情聴取するために二人の刑事がアーサーを追いかけていた。
アーサーは、そんな現実に目を瞑るように、マレーのショーに出る時のリハーサルを自室でしている。
妄想の中でだけ、想像力の中でだけ、幸せでいられる。
あまりにも辛い現実を直視することができないと、人は妄想する。そのことを知っている。
アーサーの痛みがわかる。だからこそ、彼に救いがないことが余計にツラい。
アーサーは、銃のコメディを創作し、自分をバーンをやる演出を練習していた。自らの死をショーの最中にする気だろうか?と思う。

マレーのショーに出る日。
アーサーは、母の若かりし日の写真を見ている。裏にはメッセージとTWのサインが。トーマスから母へ親しみを込めて贈られた写真のように見える。
二人はやはり、親しい間柄で、アーサーが息子であることが真実のように思える。
しかし、その写真をアーサーは握りつぶした。自分を捨てた父を、今度は自分が捨てるとでも言うように。


ピエロのメイクをしているアーサーの元に、元の同僚で小人症のゲイリーとランドルが、母の死を知りやってくる。実は警察が二人のところにも事情聴取に来ていて、アーサーの様子を探りに来たのだった。
アーサーが、ペーパーナイフを持って、ドアを開ける。
もうこの時点で、私の心臓がどくどくしていた。どうかやめて欲しいと願わずにはいられなかった。
でも、アーサーは、それをした。
ランドルを酷く、目も当てられないような姿にした。
泣き叫ぶゲイリーに「君には何もしないよ。君だけが僕に優しかった」と言うアーサー。
彼に他に道がなかったことが、本当に本当に悲しい。ランドルと話をする、と言うことの選択が彼にはまったくなかった。彼の話は誰も聴いてくれないから。

エリート殺しの事情聴取のため、アーサーを追う警察の手を逃れて、マレーショーに向かうアーサー。
路地裏の階段で、彼が踊るダンスは、華麗で、力強く、惚れ惚れとする。
彼はここで笑う。発作ではなく。踊りながら笑う。
とても美しかった。悲しかった。痛かった。そして、恐怖だった。

マレーショーの出番前の楽屋で、マレーと握手し、なんども「大丈夫だよ」と言われるアーサー。
マレーは、アーサーを唯一、人として接してくれているように見える。
アーサーは「自分のことはジョーカーと呼んでくれ」とお願いする。
ショーの本番。
アーサーは、拍手で迎えられたものの、小さな失敗でマレーがだんだん失望していくのをみて、焦り出す。
銃を出して、練習したコメディをしようとするものの、「もう嘘をつきたくない」と、エリート3人殺しをしたことを告白するアーサー。
マレーは、急に態度を変えて、アーサーを糾弾する。「売名のためにそんなひどいことを言うのか?」「自分のしたことを正当化するのか?」と。
「エリート3人が死んだらニュースになる、だけど、僕が道端で死んだら、みんな踏みつけるんだ。もう自分を偽るのはやめる。僕には守るものも失うものも何もない」と言うアーサー。
そして、マレーに「あなたも他の人と同じだ。最低の人間だ。僕を笑い者にするためにここに呼んだんだ」と言って、マレーを撃ってしまう。何発もマレーに向かって発射する。
彼は、誰からも信じてもらえず、誰のことも信じられなかった。
彼の痛々しいほどの正直さは、誰にも理解してもらえず、曲解され、受け入れられる前に裁かれた。
彼の前に、殺人はしてはいけないと言う「正しさ」は何の役にも立っていない。正しさを突きつけて、マレーは殺されたのだと思った。正しさを突きつけるのは暴力だ。それが殺されていいと言う理由にはならないけれど。

マレーショーの生放送中にマレーを射殺したジョーカーは、逮捕されるものの、一躍ピエロの格好をしたデモ隊のヒーローになっており、パトカーを止めるために車が突っ込んでくる。
瀕死の警官を尻目に、ジョーカーは車の上に引っ張り上げられ、両の手を突き上げると、彼を取り巻くピエロの市民集団から英雄のように讃えられる。

一方で、トーマス・ウェイン一家は、混乱する街の中を逃げようとするものの、ピエロの仮面をつけた暴漢に襲われ、トーマスと妻は、幼いブルースの目の前で射殺されてしまう。
なんか、復讐のループの始まりを予感させて、口の中がすごく嫌な味がした。(このブルースが、のちのバットマンとのこと。後から知った。)

ラストシーン 入院している病院で

白い病院の中。手錠をして拘束服に身を包んだアーサーがソーシャルワーカー(公共福祉で面談していたソーシャルワーカーと同じ人)との面談中に、笑い出す。
「面白いことが浮かんだ。理解されないだろうけどね」と言って。
白い病院の廊下で、軽やかなステップで踊るアーサー。
その足元には、赤い軌跡がべっとりとついている。
あれは、誰の血なんだろう?
ここで映画はエンディングテロップへ。

鑑賞後の感想

映画の中で、ジョーカーが「俺の人生は悲劇だ。いや、そうではない。喜劇だ」と言うモノローグと共に、Smileが流れてくるのがもう何だか胸が震えてしまって仕方がなかった。
途中で母親の、「あの子は泣かないの。泣きたい時に笑ってくれるの」みたいなセリフがあって、そのせいで、アーサーは笑ってるんじゃないか?と思ったりした。泣きたい時に泣けないのはつらいことだ。
ジョーカーのような境遇にいた時、自分がジョーカーにならないと断言できるだろうか?と思う。人を傷つけるよりも、自分が傷ついた方がはるかにましだと思う。だけど、彼も最初は、人からどんなに傷つけられても無抵抗でそれを受け入れていたのだ。自分が傷ついても、人を傷つけることをしない優しい青年だった。
これはフィクションだけれど、社会的弱者に対する社会構造を明確に映し出している映画だと思った。これは個人の問題ではなくて、社会の問題なのだって言うこと。それを考えるってこと。

音楽がすごく効果的で、全方位から聴こえてくるので、これはやはり映画館で観るのがいいです。

ラストの精神病院では、アーサーはピエロメイクはしていないにも関わらず、ジョーカーにしか見えない。
ホアキン・フェニックスの演技は間違いなく素晴らしいです。

暴力シーンが、かなりリアルなので、過敏症の私には直視することはできなかった。体調が良く、自分のスペースが十分にある時に観るのがオススメです。

(なお、ストーリー&セリフは記憶に基づき書いているため、映画と多少違っている可能性があります。念のため。)

☆☆☆☆つけたし☆☆☆☆

ジョーカーを観終わって、すぐに思ったこと&バットマンを観ている友人から聞いた話(特にラストシーン)から考えたこと。

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