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【877/1096】待って、待って、待って、待つ

もうずいぶん前からその芽はうっすら見え隠れしているが、まだそこに触れないほうがいい、ということがセッションをしていると、わりと頻繁に起きる。
カウンセラーの側には見えているが、クライアントはまだ口に出せないとか、うまく認識できないとかそういうもの。
他者は見えるが、本人は見えていない。
そういうとき、「こう見えてますよ」と言うと、それを相手は受け入れられないことのほうが多い。

セッションでは、相手が受け入れられない状態のものを出すのは、しない。
受け入れられる状態になるまで待つ。
待って、待って、待って、待つ。
ひたすらじっと待つ、というのは、自分の器が試されているという感じがする。
少しでもこちらが揺らぐと、相手は見せなくなってしまう。
それは、もうこちらは万全に受け入れていて、ただ相手が受け入れ準備が整うまで待つのである。
セッションをしながら待っている。
継続したセッションでなければこれはできないし、継続も定期的に受けるときに生まれるものである。

待って、待って、待っていたものが、「今!」というときがくる。
そのときに、ためらわずに行けるかどうか。
これは、こちらの技術、技量もそうだが、自分の状態がいつもそれに適した状態でいる、つまり整っているというのが大事である。
それがそろうと、「今!」が起きるのだ。

このときの駆け抜ける感じは、すごい。
本当にたった今、なのである。
消えていく階段をタンタンタンタンタンと、駆けるように、昇っていく。
待って、待って、待って、待ったからこその、今である。
この待ちが、短すぎても、長すぎてもいけない。
タイミングを逃してはいけない。

そして、その階段を昇り切った先で見える景色は、もうまるで違う景色である。
何年も何年もこの瞬間を待っていた人の、その場に立ち会えるのはありがたいことである。
もちろん、何年も待たなくても、その時が訪れる人もたくさんいて、やはりその瞬間は、美しい。
人間の美しさ、という感じがする。
清濁併せ呑んでいる美しさである。

ちなみに私は、「待つ」のは、かなり苦手であった。
気が急くというか、とにかく気が短くて、待つのは苦痛で、とっととやりたい!という人で、それは性質だから仕方ないと思っていたのが、待てるようになったのは呼吸のおかげである。

身体のタイミングを待てるようになると、人も待てる。
自分に対してできることが人にできること、人の役に立てることであるというのは、本当にそのとおりだと思う。

では、また。


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